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"美味しい学校"に行ってきました。


週末に山梨北杜にある「美味しい学校」に行ってきました。

明治、大正、昭和の3つの時代をまたがる3つの校舎が"美味しい学校"に改装されました。少子化で廃校が多くなり、。これらの廃校を飲食や宿泊などの体験施設に蘇らせる非営利団体や社団法人も多く存在します。

「美味しい学校」は2000年に設立された社団法人であり、地元では有名な廃校活用プロジェクトであり、地方振興の先駆者です。ここでは飲食、宿泊、ハーブ風呂、展示など、さまざまな施設が一体化されており、年間を通してさまざまな年齢層のお客様を魅了しています。

Rさんと2人で5170円のイタリアンのでランチセットを頼み、色取りの高原野菜、窯焼きのピザは予想以上に美味しかったです。イタリアン料理の質としては、東京、北京、上海にはより良い選択肢がたくさんあります。しかし、このような周り何もない山間地域で、数十年から百年をまたがる元教室に座り、窓の外の桜や田畑、遠くの八ヶ岳を眺めると、まるで時空を超えたような感覚がしました。

200円を支払って旧校舎の展示を見学しました。小さなオルガン、小さな机と椅子、急な階段の横に「自信のない人は登らないでください」と書かれています。つい手足を使って3階の鐘楼まで登ってしまいました。

そっと鐘をたたいてみました。昔、毎日3階を上り下りし、授業の始まりと終わりを知らせる先生が、鐘をたたいた後に、窓の外の四季の景色を眺めていて、何を考えていたのでしょうか? 

2階の教室に戻ると、中央にあるストーブは、私に通っていた故郷の中国四川にある二大隊小学校の教室を思い出させました。

6歳の時、私はどうしても学校に行きたいと思っていました。学齢に達していないため、町の小学校には行けず、両親が工場の近くにある二大隊小学校を見つけました。数学を教えていた小学校の先生は小学校卒業で、何を学んだかは覚えていません。

ただ、冬はとても寒く、顔や手に凍傷ができました。窓にガラスがなく、床はセメントでなく、土で固められた記憶でした。教室の中央にあるストーブには時々水が入ったコップが置かれ、蒸気が立ち上り、暖かさを感じさせてくれました。

学校よりも、友達と学校への行き帰りが楽しかったです。学校へ行く途中、川辺で注意深く刺がある野バラを摘み、学校の近くの小さな石橋の下に隠しました。帰る時には、それを持ち帰り、うがい用のコップに挿しました。

田舎の小学校は、記憶がどんどん遠く曖昧になりつつあり、行き帰りのメモリがとても具体的です。

あなたの記憶の中の小学校はどんな感じでしたか?もし小学校へもう一度行けるとしたら、あなたはどんな学校に行きたいですか?

「美味しい学校」は美味しくて見栄えが良いだけでなく、学びたいモデルでもあります。入り口で受付されるO先生が穏やかでありながらも、普通の田舎出身とは異なる雰囲気の方でした。きっと物語を持つ人物です。再会できたらと、楽しみにしています。

美味しい学校
http://www.oec-net.ne.jp/

〒407-0322 山梨県北杜市須玉町下津金3058

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