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元町中華街癒やしの薬膳飯店 第1話【創作大賞2024漫画原作部門応募作】

<あらすじ>
売れない漫画家の進藤昇は、祖父に言われ元町中華街の細い裏道にある「薬膳飯店 シャンチー」の住み込みのオーナーになる。
そこは、明るく活発な可愛い女子、明々と、無口だけど料理の腕は確かな小龍の姉弟が店員で、客の体や心の不調を読み取り、個々に合わせた薬膳料理を出す中華屋だった。
そして実は明々と小龍は、何十年たっても老けない、不死身のキョンシーなのだ。

訪れる客目線でオムニバス形式で描かれる、中華グルメヒューマンストーリー!



<第1話>

みなとみらい線の電車を降りて地上に出ると、そこはまるで異国だ。
見上げるほどの大きな朱色の鳥居がそびえ立っている。
平日なのにも関わらず人通りは多く、どこからともなく焼けた肉と香辛料の香りが漂う。

「久々に来たな……元町中華街」

俺はそう呟き、朝陽門と書かれた大きな鳥居をくぐり、目的の店へと足を進めた。
 
 
元町中華街 癒やしの薬膳飯店
 
第1話
 
 
俺は新藤昇しんどうのぼる。漫画家だ。
幼い頃から漫画が大好きだった俺は、授業中もノートの端にオリジナルのキャラを描いては友達に見せて遊んでいた、典型的な漫画少年だった。

高校生の時、漫画研究部で絵がうまいともて囃されていた俺は、周囲に乗せられて漫画を一作描き人気の週刊誌に投稿。
すると見事、初めてなのに佳作を受賞し、担当編集がついた。

授賞式で賞状をもらった時に、俺は確信した。
自分は子供の頃に読んでいた漫画のような人気漫画を描き、少年たちに夢を与える漫画家になる!と。

自分の才能を信じて疑わなかったのだ。

そして20歳の時、週刊連載が開始し、順風満帆で悠々自適な漫画家生活が始まる……と思っていたのだが。

人生はそんなに甘くはない。

滑り出しは良かったのだが、回を重ねるごとにどんどん落ちていく人気。アンケートの不調により掲載順は雑誌の後ろの方に下がっていく。
担当からのアドバイスに頭を悩ませ、SNSをエゴサーチしては酷評に歯を食いしばっていた。

テコ入れのためにイケメンライバルや巨乳女子キャラを出してみたけれども、そんな浅はかな展開は目の肥えた読者にはすぐ見抜かれ、見事に打ち切られた。

その後も何度か企画書を出し、新連載が始められても、すぐに打ち切り。
コミックの売り上げも振るわず、最終的に週刊誌の編集からフェードアウトされてしまった。

25歳にて無職になった、学歴も職歴も無い俺は、途方に暮れた。

今から他の職につくことは考えられなかったので、別の出版社に持ち込んだ。
しかしなかなか連載まではこぎ着けない。

一応週刊連載していた知名度をもとに同人誌を描いてコミケで売ったりと食い繋いでいたが、貯金はみるみるうちに減っていき、都内で一人暮らしをしていた俺は仕事場を引き払い、横浜の実家に戻ってきた。

そして気がつけば28歳。

幼い頃漫画を読みあっていた友人たちは、会社でどんどん出世をしていた。
次々に結婚し家庭を持っているのを、LINEのアイコンから知る。

なのに俺は、伸びっぱなしの無精髭と目の下の隈を携えたまま、ペンタブを握りしめて必死に漫画界にしがみつく、子供部屋おじさんと化していた。

猫背で昼夜問わず部屋に引きこもり、タブレットと睨めっこしている俺に、最初母ちゃんは小言を言っていたが、次第に言わなくなった。

そんな生活が半年ほど続いた後……俺の元に転機が訪れたのだ。


「昇、お前ずっとパソコンばっか見ておって」


漫画家としての転機ではない。

元漫画家のアラサー無職の俺の未来を案じたのか、ため息の増えた母ちゃんが相談でもしたのだろう。
母ちゃんの父親、俺のじいちゃんが久々に家に来て俺の部屋に上がってきたのだ。

「ああ久しぶり、じいちゃん」

小学生の時の学習机にデスクトップパソコンとタブレットを置いて作業をしていた俺は、いつの間にか昼になっていたことに気がついた。

次の出版社に持ち込むための漫画を描いていたら、すっかり時間を忘れてしまっていた。

数年ぶりの再会だというのに、じいちゃんはドカドカと俺の部屋に上がり込むと、乱暴にカーテンと窓を開けた。
真昼の日差しが眩しく差し込み、目を細めた。

「若いのに不健康だな。太陽が昇ったら起き、太陽が沈んだら寝る。それが人間のあるべき姿だ!」

白髪を風になびかせたじいちゃんはそう言い、大きく伸びをした。
床に置いていたエナジードリンクの山に足を引っ掛け、乾いた缶の音が部屋中に響き渡る。

「漫画は順調なのか?」

「……んー、まあまあ」

俺はボソボソと返答する。たまに企業の商品の宣伝やYouTubeの広告のためのイラストを描いて小銭を稼ぎ、その隙間時間で持ち込み作品を描いている俺は、順調とは程遠い。

目線を逸らした俺の、後ろめたい気持ちを察したのかじいちゃんは、ふむ、と顎に手を置いて思案していた。

「お前さんさ、わしの店のオーナーをやらんか」

その手をポンと打ち、名案だと言わんばかりに提案してきた。

「オーナー?」

寝てるときも起きてる時も、万年スウェット姿の俺が聞き返すと、じいちゃんは頷く。

「中華街にもう何十年もやってる中華料理屋さんがあるんだ。
昔はわしも料理人としてそこで腕を奮っていたんだが、年取ってからは店の土地と利権を買ってオーナーだけしているんだ」
 
そういえば母ちゃんが、じいちゃんは昔料理人だったと言っていた。
小学生の時、親が用事でいない日にじいちゃんが作ってくれたチャーハンは、確かに卵がふわふわで美味しくて、おかわりをした覚えがある。
 
「昔からの店員が2人で切り盛りしている小さな店なんじゃが、料理も絶品で、知る人ぞ知る名店なんだよ」
 
ふふふ、と自慢げに笑い腰に手を当て胸を張るじいちゃん。
実家が横浜とはいえ、中華街なんて、中学生の時試験の点数が良かったご褒美に、家族で有名な餃子屋さんに連れてってもらった以来かもしれない。
 
「なんで俺がそこのオーナーを?」

「わしももう70過ぎだろ? いつ、くたばるわかったもんじゃない。
 体が動くうちに、世界中を旅行しようと思ってなぁ。パーっと外国に行ってこようと思ってるんだよ! 今日はその出発の挨拶に来たんだ」

じいちゃんはポケットからパスポートを取り出し、まるで印籠のように掲げた。
10年パスポートだから、まだまだ長生きする気満々だ。

「お前もなぁ昇、三十路も近づいた良い大人が、嫁も貰わずいつまでも母ちゃんに心配かけるんじゃないよ」
 
図星を突かれた俺は、うっと声を漏らしてうなだれる。
ちょうど手元では女キャラのアップを描いていたため、タブレット上のデフォルメされた美少女の大きな瞳と目が合う。
 
「中華街のその店は、一階が店、二階が従業員の休憩所兼自宅になってるから、お前が住み込みで手伝えばいい。
店の売り上げから、家賃と従業員たちの給料を差し引いた金額は、お前のもんだ。家賃なし、美味い食事あり、悪い話じゃないだろ?」
 
確かに、収入の安定していない俺には願ったり叶ったりな条件だ。
 
「それに、お客さんや店員との触れ合いで、アイディアが降りてくるかもしれん。1人でこんな部屋にこもってちゃ、どんな天才でも息が詰まるぞ」
 
じいちゃんはそう言って、ニカっと豪快に笑った。
 
「……天才」
 
俺は、久々に俺に向けられたその単語を、小声で繰り返した。
そしてふと、頭の中に情景が蘇る。

 
『昇は絵が上手いな! お前は天才だ!』


もう二十年以上前のこと。
じいちゃんはまだ白髪混じりの黒髪で、今と同じく豪快に笑っている。
幼稚園で描いたじいちゃんの似顔絵をプレゼントしたら、大きな声で喜んで頭を撫でてくれたのだ。

そうだ、俺はじいちゃんに褒められたから、漫画家になろうと思ったんだった。
褒められて嬉しくて、くすぐったくて。

寝る前に何度も思い出して心が温かくなる、あの気持ちを思い出したくて俺はずっと漫画を描いていたんだ。
一番応援してくれている人が、家族として一番近くに居たんだ。
 
「……ありがとう、じいちゃん。オーナーやってみるよ、俺」

「おう、この名刺のところに、明日にでも行ってみなさいな。わしは明日にはエジプトでピラミッド見とるけどな!」

「気をつけて、旅行楽しんできてね」

「おうよ、お土産楽しみにしときんしゃい」
 
じいちゃんはいつもそうだ。底抜けに明るい笑顔で、周りの人も明るくさせる。
鬱屈した部屋にズカズカと上がり込み、風通りを良くしてくれた。

受け取った名刺を見ると、住所とともに、

「薬膳飯店  シェンチー」

という店名が書かれていた。
 

*      *      * 

 
そして俺は、リュックの中に最小限の着替えやタブレット等の仕事道具だけを詰めて、元町・中華街駅に降り立ったのだった。

鳥居の中に入ると、異国情緒あふれる雰囲気だ。
肉まんや揚げ饅頭を売っている屋台の香り、中華服を着たブタのマスコットが描かれたお土産屋さん、赤い提灯が垂れ下がっている料理店。

甘栗食べるかい? と路上で何度も差し出されるが、愛想笑いで断った。食べたら買わされるからだ。

スマホで地図を確認しながら、目的の店へと向かう。

「この辺だと思うんだけどな……」

画面を見ながら、目当ての場所がないかあたりを見渡す。
しかし、店の看板もどこにも見当たらない。

すると、有名な中華飯店の大きな扉の横に、細い路地裏があるのに気がついた。
薄暗いその道を進んでいくと、ようやく見つけた。

「薬膳飯店 シャンチー」と看板が掲げてあるその店は、小さな木の扉の横に「千客万来」と書かれた提灯がぶら下がっている。

窓から中を覗くが、灯りがついていないので開店中かどうかわからない。
時間は丁度11時。大抵の料理屋は開店している時間だろう。

おそるおそる、入り口の扉をノックしてみた。

「あのーすみません。やってますか?」

声をかけるも、中からは返事がない。
もう一度、コンコン、とノックをして、

「定休日かな……あ痛ぁ!?」

留守か、と拳を下ろした瞬間、ものすごい勢いで扉が開き、鼻っ柱に激突した。
 

「うちは11時半からの開店だよ!」


中から大きな怒声と共に、若い女性が飛び出してきた。

「今仕込みの時間で一番忙しいってわかるね!? うるさいよ!」

俺は顔面に激痛が走ったため、思わずしゃがみ込んで声が出せなかった。

「なに、コンコン音したのに誰もいないね」

目線に人がいないため、イタズラかと苛立った声を上げる女性。

明々メイメイ、下にいる」

女性の頭ひとつ大きい男性が店内からぬっと現れ、後ろからうずくまる俺を指差した。
ああ、と女性は俺に気づくと、謝るそぶりもなく言葉を続けた。

「アンタか。ウチは11時半からだよ。並ぶなら外の椅子に座っときな」

中国語の訛りのある日本語で、店の外の椅子を指差す。

「あの俺、この店の、オーナーの孫で……」

鼻を押さえながらゆっくりと立ち上がると、眉を上げた女性と目が合った。

「あー、ケンゾーの孫。話は聞いてるよ」

彼女は納得したように返事をする。ケンゾーはじいちゃんの名前だ。松永健三。
呼び捨てで下の名前を呼んでいるので、親しい仲のようだ。

「まったく連絡一つぐらいよこしてから来な」

仕込みをしていたのだろう、頬に流れた汗を拭きながら、エプロンにバンダナ姿の女性は店の中に入って行った。ついてこい、ということだろう。

店内は、古いが綺麗に掃除が行き届いている、こじんまりとした中華屋さんだった。
壁にはメニュー表が貼ってあり、炒飯や天津飯、八宝菜や青椒肉絲などが書かれている。

椅子や机は全体的に赤を基調とした色合いで、壁には蓮の花の掛け軸が掛けられている。
俺は、とりあえず席に座ってリュックを下ろした。

「ケンゾーもひどいよ。私たちにはなにも相談せず、急に旅行いくなんて」

俺だけでなく、店員にも急に報告しただろう。思い立ったらすぐ行動するじいちゃんらしい。

「アタシは明々メイメイ。後ろの男は弟の小龍シャオロン。仕込みと配膳はアタシ、調理は弟がやってる」

明々と名乗った女性は二十代前半に見える。若くて元気で、黒目がちの大きな瞳が特徴的だ。
長い黒髪を一つに縛ってポニーテールにしている。
中華風の刺繍が入ったシャツにチノパン、エプロンをつけている。

後ろの小龍と呼ばれた青年は、身長は180センチ超えの長身だ。
ぱっちりした目の明々とは対照的に切れ長の目だが、鼻筋が高く顔が整っている。
無口なようで、腕を組んだままぺこり、と俺に頭を下げた。

「小龍です。……得意料理は、小龍包です」

低い声でそう告げて、ニヤリ、と口角を上げる小龍。

「ああ、よろしく」

俺が当たり障りのない返事をすると、

「アンタ、今のは小龍の鉄板ギャグだから、笑ったげなよ」

と明々に注意された。

「ご、ごめん」

彼のおとなしそうな雰囲気から、まさか初手でギャグを言うタイプだとは思わなかったのだ。

小龍はシュンと肩を落とすと、厨房へと引っ込んでしまった。

「小龍は口下手で繊細だからね。料理の腕はいいんだけど」

明々は、やれやれとため息を漏らす。

「俺は進藤昇です。仕事の合間になっちゃうけど、手伝うから何かあったら言ってください」

俺が自己紹介をすると、

「ふぅーん。アタシの好きな漫画家と同じ名前ね」

と明々が相槌を打ってきた。

「え、新藤ノボルのこと? その漫画家、俺なんだけど」

ペンネームは名前をカタカナにしただけの本名でやっている。
知ってくれて嬉しいなと思っていると、

「……えー!? アンタが新藤ノボル!?」

明々が驚いたのか大きな声を上げた。身を乗り出して問い詰めてくる。

「『神の子ギガンテス』の? 『転生した落武者は武者修行して無双する』の!?」

「そ、そうだよ」

「アタシ大好きなの! コミックも持ってるよ!」

さっきまでの憮然とした態度はどこへやら、明々は手のひらを組んでキラキラとした熱い眼差しを俺に向けてきた。
週刊誌に連載していた漫画のタイトルを大声で言われて、少し恥ずかしい。

厨房から小龍もひょこっと顔を出し、目を丸くしていた。

「ありがとう。嬉しいよ」

「新連載ずっと待ってんだ、早く描いてほしいね!」

明々の言葉に、チクリ、と胸が痛む。

たしかに、時々ファンからもっと作品を読みたい、新連載待ってますとSNSにメッセージやファンレターが届くことがある。

俺だって連載したいのだ。でも、その実力がない。
愛想笑いをして黙り込んでしまった俺の顔を、明々は訝しそうに見ていた。

ぐううぅぅ。

腹の虫が鳴った。

そういえばあ荷物をまとめて実家を出てきたので、ろくに朝食も食べていなかった。
恥ずかしくなって腹を押さえた俺に、明々が提案する。

「腹減ってるのか。昼ごはん作ったげるよ」

「悪いね、ペコペコで……」

壁に貼ってあるメニュー表を見る。がっつり肉料理を食べたいと思った俺は、

「じゃあ、回鍋肉にしようかな」

と注文するが、

「ノボル、出す料理を決めるのはアタシだよ」

「え?」

「店の看板を見なかった? この店は『薬膳飯店』だよ」

確かにそう書いてあった。薬膳、と聞くと、精進料理のように味が薄く病院食のようなイメージしかないけれど。

「うちの料理は、お客さんの不調を治す、『食べるお薬』だからね」

そう言って、明々は俺の卓の向かいの席に座り、じっと正面から見つめてきた。
可愛らしい女の子に近くから顔を覗き込まれて、恥ずかしくなって目を逸らしそうになる。

「栄養状態は悪くない。食事はちゃんと摂ってるね。不調の原因は……睡眠不足か」

明々は俺の顔全体をジロジロと見て、なにやら分析しているようだ。
実家で三食母ちゃんの飯を食っていたが、確かに不規則な生活をしていた。

「顔が青白く血管が出ている。首こり肩こり、頭痛あり。運動不足で筋肉衰え。昼夜逆転生活。漫画家センセーの職業病ね」

まるで俺の生活を監視カメラで見ていたのかというような、的確な指摘だ。
そして明々は勢いよく椅子から立ち上がった。

「二十代後半、男性、睡眠不足にセロトニン不足!」

パンパン、と手を大きく2回叩く。


「注文! 『自律神経改善マシマシコース!』」


店に響き渡る大きな声で叫ぶと、

知道了ジーダォラ!」

厨房から小龍の威勢のいい声が飛んできた。

そして、調理音が鳴り始める。
明々の注文の指示から、小龍がまな板で食材を切り、鍋に油を入れ、炒めている。

さっきまでの落ち着いた雰囲気はどこへやら。俊敏な動きで店で唯一の調理人として仕事をこなしている。

すぐに、香ばしい香りが漂ってきた。
俺の座る席からは、中華鍋から立ち上る真っ赤な炎と、その蜃気楼でゆらめく小龍の顔が確認できた。

そして、待つことたった数分。

好了ハオラ!」

小龍の声と共に、厨房の出窓から料理が並べられていく。
明々が駆け寄り、その皿を順に俺の卓に置いていった。

「さ、『自律神経マシマシコース』。召し上がれ」

置かれた料理を眺めて、俺は唾を飲み込んだ。
空腹にはたまらない、食欲をそそる匂いに見た目も豪華である。

「前菜、スープ、メインディッシュの順に食べなね」

明々に言われ、箸を取りいただきます、と声に出してまずはサラダに手をつけた。
緑色の葉野菜に、黄色の花びらが散っている。あまり見たことがないが、色合いが華やかである。

「春菊と菊花のサラダだよ。春菊の香りはリラックス効果がある」

明々の言葉に相槌を打ちながら、サラダを口に運ぶ。
春菊といえばすき焼きなどの鍋物に入れるがあまり生では食べない。

苦味が口位に広がるが、菊花の甘みが中和してちょうどいい。マイルドな胡麻風味のドレッシングも合う。
すぐに食べ終わってしまった俺は、順番通り汁物を手に持つ。

「豆苗ともやしたっぷりの豚肉のピリ辛スープだよ」

野菜と一緒に薄切りの豚肉もたくさん入っている、具沢山のスープだ。
ラー油が入っているが、肉と野菜の出汁の旨みがあるため辛すぎない。

フーフーと息を吹きかけ口に運ぶが、スープの熱さと辛さで額にじんわりと汗が浮かんできた。

「はー、おいしい」

思わず口から感嘆の声が漏れてしまった。
それを聞き、明々は厨房を振り返り、小龍に親指を立てている。

「ノボルは日光にろくに当たってないから、ストレスを和らげるセロトニンが全然出てない。豚肉は、トリプトファンっていうセロトニンの分泌を促す栄養が取れるんだ」

聞き馴染みのない栄養素の解説をしてくれるが、俺の昼夜逆転生活でボロボロの体に効くように作ってくれているらしい。

「女性は体冷やすなってよくいうけど、男性だって冷やしちゃいけないよ。気の流れが悪くなる。万病の元」

確かに、胃だけでなく身体中が温かくなってきた。最後の一滴を飲み切って、俺はほっと息を吐く。

サラダと具沢山のスープのおかげで、この時点ですでに腹6分目を超えている。
メインディッシュが食べられるか不安になった。

「さ、コースの主役はこれよ!」

熱々を提供したいからか、俺がスープを食べ終わるタイミングを待っていたようだ。
小龍が厨房から出した鉄板を持ち、明々が運んで、俺の卓に置いたのは、

「餃子?」

ジュージューと音を立てている、美味しそうな餃子だった。
皮はパリパリで羽がついており、狐色でいい焼き加減だ。
俺は餃子が大好きなので、心の中でガッツポーズをした。

「普通の餃子はニラやニンニク入れるけど、これは生姜餃子。どんなヘタレもシャキッと元気なるよ!」

明々の言葉に、ヘタレ代表の俺は鉄板の上の餃子を箸でつまみ、ありがたく口に入れる。

肉汁が口の中にはじけ、豚肉の旨みを感じる。
その後に、生姜が喉から鼻に抜けていく。
なんだこれ、すごくうまいぞ。

確かに、ツンとした刺激が巡り体がシャキッとする!

「豚肉にはビタミンB1が豊富で、疲労回復する。生姜のシンゲロールは代謝と免疫力向上、風邪知らずよ」

ま、本当は睡眠とって適度な運動がいいんだけど、これは速攻効くからね、と明々が満足げに腰に手を当てて笑っている。

「ひき肉に味がついてるから、なにもつけなくてもおいしいんだけど、秘伝のタレをつけるともっといいよ」

「秘伝のタレ?」

 なにもつけなくても十分おいしい、皮はもちもちなのに羽はパリパリで、肉汁はジューシーで文句ないのだが。

卓上に置いてある壺を明々が指差すので、蓋を開けてみた。
どろりと茶色いタレだが、薄く赤みがついている。

小皿に匙で数回垂らし、そこに生姜餃子をつけて口に運んでみた。
食べたことのない感覚。

しかし、確実にうまい!という感情だけが脳を巡った。
赤みはあるが辛くはない。むしろまろやかなコクと、何やら少し甘みがある。

俺はたまらず、またタレを餃子にかけ、一口で食べ切ってしまった。

「ふふ、おいしいでしょ。それの隠し味はココナッツよ」
「ココナッツ?」

ハワイのお菓子とかでしか食べたことも聞いたこともない。
南国のフルーツが、中華の食事に合うなんて。

「ココナッツは脳のエネルギーになる。頭使う漫画家センセーにはピッタリね」

甘じょっぱいタレが、生姜の薬味とやけに合う。肉汁が口の中で弾けるが、食べるのを止められない。
そして俺は鉄板の上の餃子をすぐに完食してしまった。
スープを食べ終わった時点では、食べ切れるかななんて心配していたのに。

「ご馳走様。……すごく、美味しかったよ」

なんだろう、腹が満たされた満腹感だけでなく……体の芯から活力が湧いてくる気がした。
目の奥から、手足の先までじんわりと温かい。血が巡っている、というのはこういうことだろうか。

「医食同源。食べたものは、その人の体になる。だから、たかが食事と手を抜いちゃダメよ。ゲンゾーの孫、ノボルセンセー。これからよろしくね」

食べた皿を片付けながら、明々は実に嬉しそうに告げた。
彼女のその笑顔を見たからか、満腹で満たされたからか。俺の頭に一つの案が降りてきた。

「……描いてみるか、グルメ漫画……」

ずっと少年漫画を描きたいと、バトルや能力物ばかり描いていた。
でもそういえば、戦いの後の食事のシーンがの料理が美味しそうに描けていると担当に褒められたあことがあった。
倒したモンスターの肉で作る料理が面白いと、読者コメントに書かれていた。

『昇は絵が上手いな、天才だ!』

じいちゃんに褒められたあの日から、見果てぬ夢を見ている。
でもやっぱり俺は歳を取っても夢を諦めきれない。

再起するんだ、この店で。彼らを手伝いながら、心揺さぶる漫画を描くんだ。
来てよかった。

中華街の薄暗い路地裏にある、店員2人でやっている、小さな薬膳飯店。
袋小路に迷い込んで出れずにいた、俺の人生ごと、大きな声と春菊と生姜とココナッツが吹き飛ばしてくれたんだ。

きっと今はもう外国でエンジョイしているであろうじいちゃんに礼を言いたい。

じいちゃんが帰ってくる時には、グルメ漫画で連載をとるんだ!

「顔色が良くなった」

厨房から出てきた小龍が、プーアル茶を俺に差し出し、微笑んでいた。
茶を口に含み、ほっと飲み込んで、壁に貼られている写真に目をやった。

「あれ、この写真じいちゃんか。若いなぁ」

そこに貼られていたのは白黒の写真で、店の入り口で若かりし日のじいちゃんがピースをしている。
皺も白髪もない若い青年時代のじいちゃんが、調理服を来てニッカリ笑っている。

その横には、同じぐらいの年齢の若い男女が立ち、こちらも笑顔を浮かべている。
しかし、その顔を見て驚いた。

「………んん?」

写真の下には日付が印字されている

1975年。もう50年近く前だ。じいちゃんは二十代前半。
その横に映っている従業員と思しき男女は……。

俺は写真と、横に立っている2人の姉弟の店員の顔を見比べた。

どう見てもそっくりなのだ。明々と小龍が、写真の中の人物と。

でも写真は50年前のもので、青年ケンゾーはジジイのケンゾーになっているのに、隣の男女は全く老けても変わってもいない。

「この人、君たちのご両親? いや、おじいちゃんおばあちゃん、かな?」

あまりにも似過ぎているので親族の類に違いないと、俺が尋ねると、

「いや? それアタシよ」

「俺です」

と当たり前のように返事をされた。

「え、でも50年前の白黒写真だよ。店も開店直後で新そうだし……」

俺の問いに、明々と小龍は目を合わせると、2人で示し合わせたように頷いていた。


「だってアタシたち、キョンシーだから」


「…………は?」


時間が止まったかのような沈黙。

「だから、キョンシー。知らない? 死体に宿る妖怪だよ」

「顔にお札貼ってなくても動くけど」

小龍が、キョンシーのお決まりのポーズのように両手を前ならえした格好でピョンピョンその場で飛んでいる。

「不老不死だから、老けるわけないね」

明々がピョンピョン飛んでいる小龍の肩を叩いて笑っている。


しかし頭の処理が追いつかない俺は、再び写真と、その日付と、目の前の2人を交互に見た。
 

「え……えええぇぇぇぇぇ!?」

 
俺の叫び声が、元町中華街の小さな路地にこだました。


【第1話 完】


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