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話題の某宗教に勧誘されたけどカレーだけ食べて帰ってきた話

20代前半、寒さに身を縮こまらせて歩いていた冬のある日。

通勤の帰り道、買い物で立ち寄った埼玉県内にある大きめの駅前で、見知らぬ女性に声をかけられた。

「手相を勉強しているのでよかったら見せてもらえませんか?」

昔からスピリチュアルや占いが好きだった私。
実際に見てもらったことはなく、一度は鑑定してもらいたい願望を抱いていた。

「いいんですか??ハイ!!喜んで!!」思わず女性の言葉に飛びつき、手のひらを差し出した。
そのころの私は恋愛がうまくいっておらず、鬱々とした日々を過ごしていたのだ。

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手相の説明を受けながら、私は女性にたくさんの悩みごとを話した。不思議なことだが、色々な事情を知る友人よりも、全く見知らぬ人のほうが素直に本音を話せることもある。

「ツライですよね、きっと大丈夫ですよ」

女性は手相を見ながら、悩みごとを話す私に優しく声をかけてくれた。すごく親身に聞いてくれて、穏やかで温かい感じのするいい人だ。

この時点ですでに私は女性に心を開きはじめていた。共感のうまさと自分の心が弱っていたことが重なり、どこの誰かもよく知らない人を、ものの数十分で信頼しはじめていたのだ。


手相がひと通り終わったとき、女性が切り出す。
「よかったら姓名判断ができるすごい先生がいるのですが、私の紹介で行けば割引で受けられますよ。通常6,000円のところ3,000円で受けられます。その先生はすごい人で、普段はなかなかみてもらえないんです!よかったら行ってみますか?」


「ハイ!!喜んで!!」

女性がどんな人かも知らず、どんな場所に連れていかれるかもわからないのに、無防備な私は即答した。

この時はただ占いを受けたい気持ちだったのだ。料金を事前に伝えられたことが安心感にもつながった。無料だったら逆に怪しんでいたかもしれない。

当日一緒について来てくれるというので、女性と連絡先を交換してその日は別れた。


連れて行かれた先は怪しい○○そこで見せられたのは・・・

場所は都内の◯◯住駅。
待ち合わせていたお姉さんと一緒に、近くにあるというカフェに向かう。

そこにすごい先生がいるらしい。しかも先生に鑑定してもらえるのはかなりラッキーだという。


最初ひとりでは不安だろうからと、わざわざ一緒に手相の女性が来てくれたことで私はすっかり安心していた。


駅から通りを少し歩いた先にカフェはあった。パッと見た感じは、個人で営んでいるような普通の喫茶店だ。

やや暗めの照明の店内。席には仕切りがあり、一人ずつ座る場所がある。
ヘッドホンを付けてパソコンのモニターで動画を見ている人が2人いた。

このころはまだネットカフェが少なかった。一度もネットカフェに入ったことのない私は、ひとつずつ仕切られた席の作りを不思議に思いながら、奥のテーブル席に案内された。

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ドキドキしながら座って待っていると「先生」が来た。
先生の穏やかな表情にちょっとだけ安堵した。

しかし鑑定が進むにつれてなんとなく感じる違和感。不安になり途中からかなりうわの空で、鑑定内容をほとんど覚えていない。このままだとあまりいい人生にならないという言葉だけが頭の中に残っていた。

鑑定が終わり、先生が言った。
「最後に見て行ってもらいたい素晴らしい動画があるのですが、お時間もう少しいいですか?」
私は安く鑑定してもらった手前「はい」と言わざるを得ないような気がしてそう返事した。

入店したとき仕切りのある席で動画を見ていた2人は、いつの間にかいなくなっていた。

カフェには先生、一緒にきてくれた手相の女性、そして私の3人しかいない。ビシバシやばい予感がして不安が募るが、とりあえず案内された席につく。


ヘッドホンを渡され耳に付けると動画が始まり、いきなりキリストの話だ。動画の中でスーツを着たおじさんが喋っていた。

さすがの私も宗教の勧誘だと気づいてとにかく早く帰りたかったが、先生と手相の女性に見張られている気がして身動きができない。


とにかくこれを見終わったらすぐに帰るしかない。そう思った私は「簡単にワナにはまるものか!」と気持ちを強くもちつつ視聴していた。しかし意外と心に響く話もあったのも事実だ。
「フムフム。なるほど」「いかん、洗脳されかけている!」
と交互に思考を巡らせながら、なんとか最後まで動画を視聴したのだった。

不安になった私がとったまさかの行動

動画が終わり、カウンター付近にいた先生と手相の女性に「終わりました」と声をかける。
コートを着て荷物を全て持ち、今すぐ帰れる態勢だ。

「どうでした?」と聞かれたが、宗教の勧誘だと気づいていた私。
「よくわかりませんでした。もう時間もないので帰りますね」と答え、そそくさとカフェを出ようとした。

そんな私に手相の女性が言った。
「カレーがあるんですけど、よかったらそれだけ食べていかれませんか?」
「ハイ!!喜んで!!」

かれー

今振り返ると、すぐ帰らなかったバカさと食いしん坊ぶりに我ながら驚きを隠せない(笑)あまりの不安に気が動転していたのかもしれない。

カレーを食べている間はずっとキリストの話やこれからの人生について話をされたが、もはや聞いていない私は適当に相槌を打ってカレーを完食することに集中した。

帰り際カレー代を支払おうとしたが、いらないと言われたのでお言葉に甘えさせていただいた。


無事帰宅した私は、勧誘の罠にはまらず、姓名判断を半額で、カレーを無料でGETしたことに妙に満足していた。

しかし振り返って思うのは、カレーに睡眠薬が入っていたり、監禁されたりしなくてよかったということだ。


人はなぜ宗教にハマるのか

あの後、手相を見るといって駅前で宗教の勧誘をしている人たちがいるという記事をネットでみた。
けっこうな額の献金をしなくてはならず、そのせいで生活に困っている人もいるという。暑い日も寒い日もみんな必死に活動しているらしいと書かれていた。

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私は手相の女性が心配になった。彼女は悩んでいる私によくなる道を伝えたくて、カフェに連れていってくれたのだと思う。そう思えるほど温かさを感じる人だった。

きっと彼女も迷い、悩み、人生を変えたくて入信したのだろう。

人はなぜ宗教にハマるのだろうか。弱っているときに心から安心して相談できる誰かがいたら結果は違ったのか。

宗教を否定しているわけではない。信仰を持つことで困難を乗り越えるパワーを心に宿してくれることもあると思う。私自身も、見えないエネルギーや波動など信じているし、実際感じる。

しかしカルト化した宗教は危険だ。罪悪感や恐怖心を巧みに利用し、自己破産するほどの献金や法を犯す行為をさせるなど、本人の思考を奪って一線を越えさせてしまう。それはもはや宗教ではない。


生きていると誰もが悲しみや孤独を感じることがあるだろう。ツラくて苦しくて、今すぐ逃げ出したい時もあると思う。そんなときは逃げてもいい。

でも逃げ道を間違えないでほしい。

逃げ道を間違えないためには、信頼できる人間関係をもつことだ。自分の話を聞いてくれる人、時には真剣に叱ってくれる人がいると、悩みの渦の中で方向がわからなくなっている自分を引っ張り上げてくれる。

類は友を呼ぶという言葉がある。似通った者同士が集まるという意味だが、裏を返せば集まる「類友(るいとも)」を自分自身で変えることができるのだ。

類友を変える方法はただひとつ。自分自身を磨き、高めていくしかない。信頼できる人がほしいなら、まず自分が信頼される人になることだ。集まってくる人たちは自分の鏡だ。中にはソリが合わずわかりあえない人もいるが、それも含めて鏡なのだ。


偉そうに書いてみたが、今日も怠け心に負けそうになり、自分自身からの信頼がうやむやになる私であった。

※この話は実話ですが、鑑定料金などうろ覚えな部分も含まれています。

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