改修

【住宅と建築】06_2000年代 質の時代とリノベーション

2000年代に入り、既存の建物を改修して継続利用するいわゆる「リノベーション」というものが流行り始める。

リノベーションの時代

戦後の1960-70年代に生まれた世代は、高度成長期のレトロな街並みに憧れを抱いていた。映画「三丁目の夕陽」を見て、その時代を経験していない人たちも、「なんだか懐かしい」とノスタルジーを感じるのは、あの時代に憧れているからだとも言われている。

「リノベーション」が本格的に行われた背景には、2001年から放送を開始した「劇的ビフォーアフター」というテレビ番組の影響も大きい。

子供の頃私も好きでよく見ていたし、父親も楽しみにしていた。

「新築」とは違って、既存の問題点を解決してより良い空間にするというのは、建築を学んでいない人にとってとても分かりやすく魅力的だっただろう。

70年代は、空間や平面は大衆にはウケなかった。だからこそスペックとカスタマイズを購買戦略にしたハウスメーカーが成長して来た。

しかし、「リノベーション」によって建築家は「住宅」という部門において、既存の活用によって空間を豊かにすることで、大衆に対して「豊かさ」を提供出来るようになったのだ。

人生双六(じんせいすごろく)

90年代以降から、「パラサイトシングル」という言葉が生まれ、問題視されるようになった。

「パラサイトシングル」と言うのは、社会へ出ても実家で暮らしている未婚の男女を指す言葉である。

今でこそ結婚年齢は上がっていることは当たり前に認知されているが、90年代において実家暮らしといのは、住宅産業を揺るがすものとされていた。

当時、子供の頃は実家で暮らし、上京すると同時に木造の賃貸アパートに住み、働くようになると賃貸マンションに暮らして、結婚し子供が出来ると郊外の戸建て住宅を購入するという流れを「人生双六」と呼ばれていた。

しかしバブル期を経て、都内のマンションや都心にほど近い郊外のマンションを購入するようになった世代の子供たちは、実家から大学や会社に通えるようになった。実家の方が金銭的にも問題なく生活に不自由を感じないことから、実家を出る若者が減ったのだ。

これによって住宅を購入する人が減り、住宅産業は危機を感じていた。

そして、またもその危機や販売競争が「ハウスメーカー」を今に至るように進化させることになっている。

集まって住むことの豊かさ

建築家たちはこうした社会情勢から「集まって住むこと」の意味を見つけようとしていた。

大量供給時代に効率的、合理的と考えられ建設された集合住宅において、「集まって住むことの意味」を議論し始めていったのだ。

2000年代に入ると、住宅は社会に開き、都市を味方につけると言うのは当たり前に使われるようになっていた。

特に顕著に現れていたのは、西沢立衛氏の森山邸で、住宅の機能を分散させ、小さいながらも都市のように他人との関係を築けるような集合住宅を意図している。

他人ではなく知り合いの数人で暮らしているから成立しているものではあるが、集まって住むことで生活に豊かさを与えられるという考えは浸透していった。

一方で都心のマンションを専門に扱うデベロッパーは、開くのが当たり前になったからこそ、「自分だけの居場所」を守るべく、安全性を販売戦略とした過度なセキュリティを採用していった。

そうした建築間の矛盾はあるものの、新しい暮らし方やより安心して暮らすための「質」の向上、ハウスメーカーはより住環境を豊かにするための「質」を進化させていったのだ。

2000年代は、まさに質の時代であった。


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