見出し画像

今年のベスト本なんて、選べねぇよい

僕のnoteを唯一特定したリアルの知り合いが、この前「今年のベスト」的な記事を書いてはどうか?と話を持ちかけてくれた。

「じゃあ本というテーマでやってみよう」と思って気づいた。それは無理だ。

読んだ時は衝撃を受けたり、面白いと思ったとしても、時間が経つにつれて自分の中でその本の重要性が薄れていくことは多い。逆に、読んでしばらく時間が経ったのちに、どんどん自分の中で重要性が高まっていき、再読し、理解を深めていくことも多い。

だったら、「ベストオブ本」のランキングは、「今年読んだもの」という括りではなく、2022年12月時点での「オールタイムベスト」にならざるを得ない。

というわけで、僕は2022年12月時点でのオールタイムベスト10選を発表する。1年後にはもしかしたら、2023年12月のオールタイムベストを発表するかもしれない。全く同じ顔ぶれということもありうるが、その際は殿堂入り制度の導入を検討しよう。

(改めて考えれば、今年読もうが、去年読もうが、どうでもいいことなのかもしれない。どうせ今年出版された本だけを読むのではないのだし。)

前置きが長くなった。それでは、僕の人生に大きく影響を与えた本たち‥そんなテーマで書いていく。


読んでいない本について堂々と語る方法/ピエール・バイヤール

僕が「あぁ、資本論ね? ぜんぶ読んだよ」と言ったとき、その真偽を判定する読書証明書は存在しない。仮に本当に100時間くらいかけて読んでいたとしても、1文字も頭に残っていないかもしれない。あるいは、10分でパラパラと流し読みしただけで、全てを直感的に理解したのかもしれない。

その本の存在を知りもしない状態から、一字一句丸暗記している状態まで、多くの人はその中間のグラデーションのどこかにいる。そして「読んだ」と「読んでいない」の絶対的な基準点は存在しない。

そんな詭弁じみた理論からスタートしたこの本は、僕に本について堂々と語るときの基本姿勢を与えてくれた。

この本の中に登場する、「スクリーンとしての書物」という概念を、僕はよく脳裏に思い浮かべる。本は自分の考えを投影するスクリーンとして機能するという、精神分析家っぽい概念だ(著者は、精神分析家らしく、「あ、だからか」と感じる瞬間はたくさんある)。

僕は本の感想を書くときに、もう一度本を開き直すことはない。読みながら「これは使う」と思った箇所は引用用にメモしておくが、大抵、読み終えたときに頭の中で振り返り、自分に都合よく体系化して、引用文を目印にしながら、一本のnoteに仕上げる。そのとき、本は単なるスクリーンと化すのだ。

そういう姿勢をとることに躊躇わなくなったのは、紛れもなくこの本のおかげだ。まぁ、別に本の感想を文章にする機会がない人にとっても、読書とはなにか?に対する洞察は興味深いと思う。

さて、いきなり変な本を紹介してしまった。この本が与えてくれるノウハウを念頭に、この後の文章も書いていこうと思う。


ブルシット・ジョブ/デヴィッド・グレーバー

間違いなく僕の人生を変えた本。この本がなければ、僕の今の人格は存在しないように思う。今まで直視してこなかった「無駄な仕事をしているかもしれない」という事実と「僕たちの社会はとんでもなく無駄なことをしているかもしれない」という事実に気づかせてくれた本だ。

そこそこ売れた。でも、多くの人はブルシット・ジョブについて誤解していると思う。この本は概ね「社会がイカれている」ということを発信している本なのだ。社会のスケールでモノを考えたり、オルタナティブを想像したり、そういう夢想家タイプではない人は「まぁ無駄な仕事ってあるよね。でもお金稼がなあかんし、しゃーないよね」という毒にも薬にもならない一般論を引き出して終わる。

あるいは、「無駄な仕事なんてない」とか「ブルシットジョブとは人への思いやりだ」とか、そういう逆張りの意見を引き出す。ブルシットジョブ理論が問いかけているのは、もっと有意義な形で人の思いやりを引き出せるんじゃないか?という疑問だというのに。

本当は社会を変えるポテンシャルを秘めた本だ。本当ならね。でも、お上に逆らうという発想をもぎ取られ、個人主義に走りがちな僕たちは、上手くブルシットジョブを読み解けない。

ブルシットジョブ理論に対するありがちな反論に対する反論はこちら。


隷属なき道/ルドガー・ブレグマン

僕はベーシック・インカム至上主義者だが、ベーシック・インカムに関してはこの本以外からは何も学んでいない。この本で十分だと感じたからだ。しかも一回しか読んでいない。それで十分だと感じたからだ。

この本は「逆に、ベーシック・インカムで解決されない問題ってなにかある?」というブレグマンの主張を貫き通すためにそのための根拠となるエピソードが紹介されている。「働かなくなるだけ」とか「財源がない」とか、大して考えもせずに勢い任せで発せられた甘っちょろいBI批判を徹底的に叩き潰してくれる。

ちなみにブレグマンは、この本を読んだ人から次から次へと「人間は所詮、怠惰で利己的なのさ。BIなんで無理だよ」という反論ばかりがやってくるのに嫌気が差して、『humankind』という本を書いたらしい。この本もオススメ。

ちなみに、ブレグマン思想のエッセンスは以下のインタビュー記事にギュッとまとまっている。フォローさせてもらっているNever AwakeManさんが訳してくれてるやつ(いつもナイスな記事の翻訳あざっす!!)。



無銭経済宣言/マーク・ボイル

僕を自然農や生ごみコンポスト、日曜大工に向かわせたのは、間違いなくこの本。

お金のない暮らしを実現するためのハウツー本でありつつ、その背景となる思想が書かれている本だ。ハウツー部分も、「野菜を育てよう」とか生半可なものに留まらず、地元で採れた繊維素材から手刷りで本を作る方法といった、「そこまでやるか?」というレベルのノウハウにまで及んでいる。

マーク・ボイルは人類最左翼だと、僕は考えている。いわゆる「自然に帰れ」系の論者の中でも、徹底された思想の持ち主で、彼にとっては電気自動車はもちろん、自転車や革靴すら産業資本主義の象徴だとみなされる。地域の素材でできた木靴か、あるいはもっと言えば裸足こそが至高。そんな思想の持ち主だ。

生半可なガンジャでは満足できない、思想ジャンキーにはオススメ。ちなみに、もっとハードにキメたい方は『モロトフカクテルをガンジーと』という本も試してほしい。「ガンジーと一緒に火炎瓶を投げようぜ!」みたいなことが書かれているから。


哲学探究/ヴィトゲンシュタイン

色々と哲学書は読んできたが、僕はこの本に一番影響を受けた。デカルトやカント、ニーチェ、パスカル、ベルクソン、ショーペンハウアー、ドゥルーズあたりも好きだが、ヴィトゲンシュタイン(後期)が一番好きで、noteでもちょくちょく引用してしまう。

この本は結局のところ、言語ってなんなの?というテーマを掘り下げている。「言語を理解するには定義ではなく使用を見つめなければならない」という指摘は、ふだんの自分の言葉を考え直す意味でも、外国語を学ぶ意味でも、かなり使えると思う。

そんな打算抜きにしても、この本は純粋に面白い。ヴィトゲンシュタインの話は、なんと言っても笑えるのだ。ゲラゲラ笑いながら読みたい本を探しているならオススメ。


測りすぎ/ジェリー・Z・ミュラー

あんまり売れてない本だと思うけれど、全面的官僚制時代を生きる僕にとって、「測りすぎ問題」のリスクと歴史的背景を知る過程は、知的な興奮に満ち溢れたものだった。

「測定執着」をカルトと断言している本なわけだが、カルトにカルトと言っても仕方がないことは周知の事実なわけで、世に出回っているこの本は社会を変える可能性だけを内に秘めて、湿っぽい古本屋の奥で眠っていることだろう。

正直、タイトルが悪いから売れないのだと思う。タイトル変えて、売り直そう。あるいは同じような内容を日本人の著者が新書で出せば、社会的センセーションを起こせるかもしれない。誰かやってみて欲しい。


「わかりあえない」を超える/マーシャル・B・ローゼンバーグ

安手の自己啓発本とスピリチュアル本を足して2で割ったような装丁の本だが(このタイトルと装丁を許した人を説教したい)、この本は僕たちの暗黙の前提を覆すという意味で、極めて哲学的な本だった。

著者はNVC(非暴力コミュニケーション)というコミュニケーション手法を提唱している人だ。このネーミングもセンスがない。そりゃあ誰も暴力コミュニケーションなんてやらないのだから、通りすがりの人がNVCという言葉を見ても、「非暴力コミュニケーション? もちろん、私もやってますよ!」と一瞥される。仮にその人がそのままピンサロにでも行ったとすれば、スッキリしたあとにはもうNVCという言葉は記憶の片鱗にも残っていないはずだ。

僕は、「非道徳コミュニケーション」に変えるべきではないかと思う。なぜなら、道徳こそが「わかりあえない」の原因であることを著者は主張しているのだから。

「こうすべき」という道徳感情を一切排除する。すると現れてくるのは「こうしたい」「こうして欲しい」というニーズだ。著者はそれをそのままぶつけ合えば良いと主張する。普通ならそんなの「わがまま合戦になるじゃん?」と思うが、そうではないことを様々なエピソードとロジックを交えて教えてくれる。

タイトルと装丁通り、ライトなビジネス書感覚でサクサク読めるので、2〜3時間くらい空き時間ができたときにでもオススメ。


情動はこうしてつくられる/リサ・フェルドマン・バレット

脳科学者が書いた本。「構成主義的情動理論」には、かなり影響を受けた。「構成主義的情動理論」とは、ポストモダニズム風の社会構成主義の、脳科学版だと思ってくれれば問題ないと思う。

要するに…

情動は実在するが、「分子やニューロンは実在する」と言うときに込められている客観性という意味において実在するのではなく、「お金は現実のものだ」などと言うときの意味で現実なのであり、情動は幻覚ではなく、人々のあいだで得られた同意の産物なのだ。

『情動はこうしてつくられる』リサ・フェルドマン・バレット

ということだ。「何言うてるん?」か「だからなんなん?」というのが一般的な感想だと思う。

まぁ落ち着いて欲しい。情動というのは所詮言語によって形成された概念にすぎない。僕たちは物自体(カント的な意味)の世界とは別のマトリックスのようで胡蝶の夢のような秩序だった世界を概念と因果によって生み出しているわけだが、情動もそのための道具の1つなのだ。

秩序はモザイク付きのAVに似ている。本当に挿入されているか、されていないかは重要ではなく、ただエロければいい。秩序も同様で、それが客観的な現実に即しているかどうかはどうでもよく、秩序が存在するかどうかの方が重要なのだ。

そういう人間の本性を理解すれば、社会のこと、対人関係のこと、自分の内面のことなど、大きく考え直さなければならないことに気づく。よくよく考えれば『哲学探求』とやっていることはほとんど変わらない本なので、セットで読むのもいいかもしれない(たぶん2冊合わせて3週間くらいかかりそうだが)。

ちなみに僕はこの本を読んだのちに、デカルトの『情念論』という本を読み直した。真逆のことが書いてあったからだ。真逆の主張をしている本を読むのも、楽しくて好き。


感覚が生命を進化させた/実重重実

大学生くらいの時に一般教養の授業で、恐らくネオダーウィニストの教授から進化論の話を聞いた。あらゆる人間の行動や心理は、利己的な遺伝子が自己複製の機会を最大化するための行為に過ぎないと解釈すれば、対人関係の森羅万象が理解できると話すその教授の話を聞いて僕は衝撃を受けた。その後、進化心理学で味付けされた本を読み漁った時期もあった。

しばらく経ってから、「そうも単純ではないぞ?」という話が耳に入ってきた。エピジェネティクスの話や、ラマルキズムの話、共生関係の話など、突然変異と自然淘汰だけでは説明がつかないことも多そうだ。しかし、進化論版諸子百家が百花繚乱する中で、僕は何を信じればいいのか混乱していた。

『感覚が生命を進化させた』は、その戦乱の最中に颯爽と登場し、天下泰平を実現した。探索、共生、階層化などの概念を用いて、様々な議論を止揚してくれる感覚があった。そして、繋がりあって、受け継いで、分かち合って…そんな生命のぬくもりも思い出させてくれた。

いい本なんだけどね。多分売れてないと思う。新書とかで出した方がよかったんじゃないかな。


レンマ学/中沢新一

最近僕は転職して、全く新しい事柄をたくさん覚えなければならない事態に陥った。初めは意味不明な記号の羅列を目の前にして呆然とした。「千里の道も一歩から」という気持ちで知識を1つひとつ習得していると、ある瞬間に全ての点がつながり、複雑なネットワークの総体が僕の目の前に現れた。

それは直線的な言語による理解ではなく、関係性を直感的に捉える理解。中沢新一のいうレンマ的知性が働いた結果なのだと思う。

因果を直線的に捉えるロゴス的な知性は注目されている一方で、因果では説明がつかない複雑なネットワークを捉えるレンマ知性はそのわかりにくさゆえに、あまり誰も寄り付かなかった。

しかし、その萌芽はあらゆる場所に存在していて、レンマ学は幅広い射程で、それらを捉える。仏教から、量子論、生命科学、数学、言語学、精神分析などなど…。たまに「おれの知識幅広いやろ?ドヤ?」と言いたいがために話題を広げる論者もいるが、『レンマ学』は、そうではない知の体系を味わえる。

知性とは何かを考えたくなる人には、いい本かもしれない。

余談だが、「西洋はロゴス、東洋はレンマ」みたいな鈴木大拙のような二元論的オリエンタリズムの罠に陥っていないこともこの本の評価ポイントだ。そういう意味でも、嫌な思いをすることなく読めると思う。


ティール組織/フレデリック・ラルー

この本は、西側諸国でスパイ活動を行う共産主義者のような本だ。「ティール組織は利潤追求の目的に合致しますよー? ピラミッド型や成功報酬型のマネジメントが行き詰まった時代のトレンドですよー?」というセールストークで、実際はアナキズムやコミュニズムの思想であるものを、キラキラのパッケージに仕上げて売り込んでいる。

おそらく、著者にそのような思惑はない。だが、僕のようなアナキズム&コミュニズム大好き人間からすれば、「いやこれそうやん!」とならざるを得ない。

だから僕はこの本には期待していた。しかし、スパイ活動はあっさりと失敗した。「ふん、人間は所詮怠惰で、利己的なのさ…」とニヤニヤしながら近寄ってくる西側諸国の秘密警察に捕まってしまったのだ。

今やティール組織といえば、3年前に終わった(プチ)トレンドワードの扱いである。「DX」とか「5G」とか、そういう類の言葉だ。再ブレイクしないものだろうか…。

(あ、内容が知りたい方は、適当にググってきた記事でも読んでおいてください)

(どうでもいいけれど、ティール組織を語る前段階で、レッド組織とかオレンジ組織とか組織の進化が語られるのがお決まりになっているが、僕はこれはどうでもいいと思っている。この分類があまりにもお粗末で、狩猟最終民を馬鹿にしていているからだ)


負債論/デヴィッド・グレーバー

これは装丁が破れるまで読んだ。分厚過ぎて、自重で崩壊したのだ。

初めて読んだ時、グレーバーが何を言っているのか、全く理解できなかった。グレーバーは「やっぱり借りたお金は返さないと」と女性に言われて困惑したというエピソードで、この本をスタートさせている。「いや、そら返さなあかんやろ?」と僕は思った。

そのまま読み進めると、この本は徹頭徹尾、理解不能になる。だから1章でグレーバーが何を言おうとしているのかをまず理解しなければならない。「金を返さなければならないって、どうして?」という疑問を、グレーバーと共有するのだ。

2章から5章くらいまでを読んでいると「金を返さなければならない」というモラルは、反証不可能な事実であるように見えて、実は様々な暗黙の前提の上に立っていることに気付かされる。そして、人間関係のあり方が、実際はもっと多様であることに気づく。

6章から7章は、正直いまだにあんまり何言ってるのかわかっていない。8章以降は、7章までに確認してきた理論をもとに、世界史を振り返るという壮大な営みがスタートする。長いので、気になる箇所だけ読んでもいいんじゃないかと思う。

この本を初めて読んだのはもう何年前だろうか。初めは意味がわからず、読み終えたあとはただのオブジェとして1年くらい本棚を飾ってくれていた。その後、ちょくちょく読み返したり、noteで引用したりする中で、自分の中で重要度が高まっていった。

たまに混ぜ返して放置おけば、いつしか美味しく出来上がる。糠漬けのような味わいのある本だ。




まとめ

10選と言いながら12冊紹介していることにお気づきだろうか。僕は気づかなかった。1冊目は、番外編というか、導入編というか、そういう扱いにしよう。あれは変わり種だ。そして『ブルシット・ジョブ』は殿堂入りにしよう。殿堂入り制度、やっぱり要るわ。

雑にまとめてきたが、これらが、現段階の僕を形作っている本だ。20歳の若者にこの10冊(12冊)を読ませて10年くらい寝かせれば、僕みたいな人間が出来上がるのではないかと思う。


と言っても、これらの本も、5年10年とたった頃には、破り捨てられているかもしれない。実際そういう本は、これまでにあった。たとえば、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』だ。この本は愛の希少性を力説するあまり、人間は本来、愛を持たない利己的な存在であることを暗黙のうちに前提としていることに最近気づいた。ロバート・ライトという人が書いた『なぜ今、仏教なのか?』という本は、あまりにも利己的遺伝子論に依拠しすぎていて、読むに堪えなくなった。これらはかつてはバイブルと思っていたが、考え方が変わっていった今は、ブックオフに売りに行くことを検討している。

僕はいろんなイデオロギーに染まっているし、他の人もそうだろう。だが、どういう種類のイデオロギーに染まっているのかを理解するのに、オールタイムベストを振り返る営みは役に立つ。気づいたら2時間くらいこの文章を書いているが、やってよかった。でも、そろそろ疲れたよ。本当は、この朝の時間を使って本を読もうと思っていたのに。思いのほか時間を取られてしまった。

来年はやるだろうか。たぶん、めんどくさいのでやらないが、ベストが更新されたときにはまた書こうと思う。既存の顔ぶれへの評価も変わってくるかもしれないしね。

では、次回に乞うご期待。

この記事が参加している募集

読書感想文

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!