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心頭滅却スイッチという考え方を導入してから人生が捗っている

心頭滅却すれば、便意もまた心地よし。
出典不明

これから、僕の便意事情について語ろうと思う。文字通りクソどうでもいいのだけれど、語らずにはいられないので、語りたい。

僕は基本的に朝にしかウンコをしない。だが、朝の一撃で全てにケリが着くわけではなく、毎日2度のウンコをする。

1度目は家で。余震のような軽微なウンコだ。2度目となると大抵は職場で、本震と見做せるような本格的なウンコを大腸から搾り出す。これをもって、僕の1日のウンコは完了する。

2度目のタイミングは、前日の食べた量や内容によって左右される。量が多かった場合は職場に着く前に便意を催す場合もある。

今日はまさしくそのような事態に陥った。職場に着く前に便意を催したのだ。

朝の駅のトイレには、僕は期待していない。どこかのサラリーマンがダラダラとスマホをいじりながら大便器を独占しているのが普通である。そのため、職場着くまで便意を我慢しなければならない。

そんなとき僕は、心頭滅却スイッチをオンにする。これは、様々な苦痛の感情を俯瞰的に見つめることで、苦痛の実存的な実感を度外視するための手法だ。

煩悩にまみれた僕たち人間は、常に心頭滅却していることは難しい。菩提達磨のように、手足が千切れるまで壁に向かって座禅するなどの修行を積まなければならないだろう。

僕も、多くの人たちも、そんな修行をする時間はない。出家しなければならないだろうし、出家しても成功するとは限らない。だから、一時的に心頭滅却するためのスイッチを入れるのだ。

これは、便意を我慢するときだけではなく、歯医者で治療を受けるときや、寒さや暑さを我慢するときなどにも使える。何かと便利なスイッチだ。

もちろん、これは現実に存在するスイッチではない。そのため、スイッチの存在を実感することが難しい。

コツはニーチェの考え方を取り入れることである。ニーチェいわく、人は何も欲しないことはできず、何も欲しないくらいなら無を欲する生き物であり、禁欲的な仏教などの思想も、結局のところサディズム的な無を欲しているに過ぎない。

つまり僕は、苦痛を我慢するという体験を目的化する。そうすることによって、苦痛を眺めるという体験が、だんだんと快感であるかのような錯覚を覚えるようになる。こうして僕は、今朝も便意を乗り越えた。

心頭滅却スイッチ、心の片隅に置いておいて欲しい。きっとあなたの人生をプラスに働かせる要素となるはずだ。

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