2ヶ月ぶりに出社して、集中力とマリオカートについて考えた。

昨日は勉強をサボった。オフィスに歩いていくだけで、クタクタになったからだ。息子を抱っこし続けていて、体重も体脂肪も変化しなかったので、体力は衰えていないだろうと見積もっていたが、甘かったらしい。

さて、オフィスに到着して、「育休どうや?」みたいな話を何度かした。ああだこうだと話した。仕事をした。また話しかけられて、ああだこうだと話して、仕事をした。そして、話して、固定電話がなり、仕事をして、話して‥

あぁ、ダメだ。集中できない。間違いなく、家にいた方が生産性が高い。一体、なぜだろうか?

たしかに家ではかなりのデシベルで息子が泣く。地べたに座り、こたつのテーブルでキーボードを打っている。設備環境は最悪だ。しかし、集中できる。その理由は「この時間は仕事」と妻が理解してくれるおかげで、僕は息子が泣いても気にしなくていいからだ。

聞こえは悪いが「無視できる騒音」なら集中力は途切れない。だが、自分に向かって話しかけられる雑談や電話など「無視できないコミュニケーション」は、集中力を著しく損なう。

僕は集中力をマリオカートに例えることにしている。レースの最中にバナナを踏んだとして、止まっている時間はせいぜい1〜2秒だ。だが、ノーミスの時と比べてタイムの差は1〜2秒では済まない。最高速度に到達するまでに時間がかかるからだ。

実働8時間ぶっ通しで最高速度で走り続けるのと、10分おきにバナナを踏むのでは、大きな差がつく。さらにいうと、「バナナにぶつかるかも」と回避行動をとるだけで、ロスされる時間はある。仕事中に、後ろを人が通れば「それ、なに作ってるん?」と話しかけられる可能性が脳裏をよぎる。その瞬間、集中力は途切れる。こうやって例えればわかりやすいが、まだまだ持続的な集中時間の重要性を理解していない人は多い。

例えば、以前の僕の妻だ。『シャイニング』というホラー映画を一緒に観ていた時のこと。作家志望の主人公(?)が、執筆中に奥さんから頻繁に話しかけられることに対してブチ切れるシーンで、僕は主人公に共感した。だが、僕の妻は主人公のことを批判した。(そのあとマリオカートの話をして、一定の理解を得た。)

とある欧米企業では「話しかけないで」という旗をデスクに立てる文化があるらしい。いい仕組みだと思ったが、顰蹙を買う可能性が高いので、まずはマリオカートの比喩で、理解を広めてからにしよう。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!