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約束の中で生きる彼女~ある相談者Kの場合~


ある女性が私の元を訪れました。相談があるのだと言うのです。

晴れた顔をしております。

もう解決しているのではないかと思ったのですが、話を聴いてみました。




あの時、「約束したから」と意地を張ってしまったのだと言います。

「これを最後に、役者にはならない」と、別の道を選んだらしいのです。

 適正と適所、優先順位と約束。彼女の中で、何かあったのか、何が起こったのかは、分かりません。「自分の器以上に、たくさんのひとと約束をしすぎたのかもしれない」と、泣きながら笑いだしていました。自ら踊っているつもりが、いつのまにか逆転していたのだと。

「そこ、先読みしない!」

「ひとりで仕上げすぎない!」

「受けができていないのに、それはしたらダメ!」

 彼女の脳内では恩師の厳しい言葉が、今なお回っているのだと。

かつてある人は、彼女にこう言ったようなのです。
「助けてって言わないと、ひとは助けてくれないよ」
「最初から言ったら、みんな、何にもしないから」

 そこでキレたらよかったのだと彼女は笑っていました。

 それは、最後の最後に、彼女に投げかける言葉ではなかったのかもしれなません。もしかしたら、今まで、その人はそんな人ばかりに囲まれていたのかもしれないし、あまりに卓越した才能で、一般的な感覚が削がれてしまい、彼女の気持ちなど考える余裕が無かったのかもしれません。

 あるいは、彼女に向かって話すようでいて、本当は周りの人間に伝わるように言ったのかもしれませんね。

 師とは、そういう一面も持つものでしょう。

 教室では、正解を知っている子をわざと1番に当てないこともあります。そのことを気づかないうちには、彼女はこれからも、伸び悩むのかもしれません。けれども、それは、わたしの触れる領域ではないようでした。

 彼女は、渾身の想いで、「助けて」と言ったら、本気で忘れられていた経験があると、また、泣きだしたのです。

 「仕方ないでしょう。もう、忘れたらいかがです」

 冷たいわたしの言葉を受け取ったようでしたが、それでも彼女は、そのことを忘れたくないのかもしれません。色も違うのに、「助けて」と言ったところで、声の届かない田舎にいる彼女には、何もできないのに、それでも彼女は、これから何をしたいというのでしょう。

「それって、あなたの優しさに、周囲が甘えてませんか?」

 彼女に投げかけてみました。

 舌足らずな彼女は、自ら動くしかないのだと答えました。

「動かずに、なんにもないひとに成りきったらいいのでは?」

 そんなアドバイスを、彼女はまた受け取っていたようでした。

 彼女の周りの人は皆、彼女がどうしたら着火するのか、その言葉を知っているようで、全てがその通りで、全てが彼女を形成しているのでしょう。

 本当に、なんにもないひと。

 なんにもないことすら、楽しんでいるように見えるひと。

 かつて、ある監督はこう言いました。「空気をつくるのが、監督の仕事」と。彼女はもう、それをしているのではないでしょうか。

 それでも、かたくなに、「和」が出来てしまうと、役割を終えるものだと思いこんでいる彼女は、「それ以上そこにいたら、なぜか、逆転していく」と、最後に泣いて、笑うと風の如く去っていきました。

 無理なく生きる道もたくさんあったろうに。彼女を形成してきた環境は、「言葉」だけではなかったのでしょう。彼女を生かす環境は、わたしの目に映る範囲のどこにも、ないのかもしれません。

 彼女は、もう、それ自体を創るひとなのかもしれません。



2021.04.10 初稿(ある相談者Kへ)

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