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番外その2:今年も後半戦に入ります。

今年のスケジュールも後半戦に入りました。二学期の始まりです。大学の方はそもそもの入学者数が多いので、ある程度減ってくれた方が仕事の負担が減るという実に手前勝手な現実があります。特に授業内容に関するクレームが出ない限り、ドロップアウト数は気にしていません。自分の授業だけ異様に出席率が悪いといった状況だと気になりますが、明らかに学問に向いていない人もいるので退学することが悪ではなく、自分の進むべき道を考え直してもらえる機会だと思うようにしています。

問題は成人学校の方です。あまりにドロップアウト率が高く、次年度登録者数が少ないとそのままクラス廃止→仕事が減る→収入減という厳しい悪循環が待っています。教師といえども霞を食って生きる仙人などではなく、しっかり「市場」という現代の牢獄の中を泳いでいるわけです。来年も、再来年も冬にスキーを楽しむには、なんといっても収入確保という真っ黒な(?)錦の御旗を下すわけにはいかんのです。

二分の一の法則

大学の方は一年生と二年生の間に「二分の一の法則(今、命名w)」が機能します。最初は大所帯の学年を二つのグループに分けても、それでも各グループ教室に入り切れないほどの人数が履修登録をしますが、次の年の九月には一学年が一つの教室に余裕で収まるぐらいにサイズダウンします。いい感じです。

成人学校はどうなんでしょうか。私は他の学校の状況はあまり把握していませんが、私の同僚が受け持つ一年生のクラスは大体この法則下にあるようです。ひどい場合はクリスマス休暇前に既にこの法則が効き始めるとか。
ここまでくると自然災害というより人災では?・・・と言いたくもあります。

一つ付言すると、この「二分の一の法則」なるものは二年生以降になるとそのままでは当てはまりません。既に篩にかかっていることもあり、ドロップアウト率は一割前後ではないかと思います。

とまあ、以上は私が経験したベルギーでの状況です。

今年の状況

今年の一年生は朝・夜の二クラスで、総勢27人でスタートしました。朝が6人、夜が21人です。

これも経験上、理解し得たことなんですが、朝のクラスの方が夜のクラスよりドロップアウト率は低いです。朝のクラスの皆さんは眠たい目を擦り、早起きをして遠くの町から来られているにもかかわらず、実に熱心で出席率も高く、提出物の締め切り期限も概ね遵守されます。これまでのところは・・・。

それに対して夜のクラスはどうでしょうか。
同じように眠たい目を擦られている印象がありますが、これは仕事や勉強の疲れによるといったもので、朝とは異なり、教室の空気はちょっと淀んだ感じになっていますw。
まあ、致し方ないですね。当然、全員出席という状況にはほど遠く、提出物も全員提出は夢です。

現在までのところ、朝は5人が残っています。対して、夜の方は・・・15人が修了できるように努めたいところです。

一般的に、クラスを維持するためには12人以上の生徒が必要とされているのがベルギーの成人学校の裏事情です。12という数字が絶対防衛ラインですね。そこに将来的な見通しを加味して、次年度のクラスの維持・廃止が決定されます。15人前後の生徒数であれば来年は問題ないかと思われます。では朝はどうか?

実は私がこの仕事を始めた15年前、まだ日本語が今ほどブームになっていなかった時、朝のクラスは7人ぐらいいたと思います。その翌年も同じような状況だったと記録にあります。しかし、その後、10〜15人の間を行き来するようになりました。私が来る前も生徒数が数人だったことを考えると、朝のクラスの存在が周知され、生徒数が増え始めるには数年が必要なのかもしれません。もっとも、経営のスリム化もあって、前職場の朝のクラスは全て廃止されたようですが。

一般的に、朝のクラスは夜よりも生徒は集まりにくいです。しかし、朝しか通えないという方の間で確実な需要はあります。また、朝のクラスは非常に安定感があり、授業も気持ちよく回ります。実は朝のクラスこそが成人学校の安定経営の鍵になるのではないかと思っています。

今の学校では朝のクラスは今年からスタートしました。二年前、私の提案でアントワープにある姉妹校でも朝のクラスが設けられ、8人の生徒がいたそうです。しかし担当したのは私ではなく、結局、3人しか残らなかったので、翌年、あっさり廃止されました。

今の学校は地理的にはブリュッセルとアントワープの間にあり、どちらからも通えるという非常に大きな強みを持っています。午前中に日本語クラスを開講している成人学校が他にないことを考えると、実際に二つの大都市から生徒を集めることで、かなり有望なクラスができそうです。ただ問題はその存在をいかにして広報するかです。

マネージメント

教師といえば、何かを教える人と思われがちです。まあ、それはそうなんですが、しかし決められた時間に教室に来て、その間、ただ何かを教えるだけでは人は学びに対して興味を失い、やがて消えてゆきます。日本語などというこちらの社会で何の役にも立たず、習得が容易ではないものならさらに人が去る確率は高いです。人がいなくなると、周り回って収入を失うという現実が待っているのが成人学校での仕事であり、その覚悟を持って、できるだけ生徒を失わない工夫を常に心がけなければいけません。

では人を集め、そして集まった人を失わないためにはどうすればいいのか。
こういう命題を自分の目の前に置いたとき、教職の中にマネージメントという概念がはっきりと浮かび上がります。授業の工夫はもちろん、学習者一人ひとりのケア、授業以外での環境・関係作り、学校経営に資するような提案など、いろいろな仕事が見えてきます。非常に面倒臭い作業が多いです。ある意味、そんなことをしなくても授業は回ります。実際、ただ教えればいいというだけ(としか思えない、「やる気あるの?」と問い詰めたくなる同僚)人もいます。でも、やはりそれだと生徒は消えてゆきます。

最初に、教師も「市場の囚人」のようなことを書きましたが、「教える」以外の部分でどれだけ面倒くさい仕事をこなせるか。実に逆説的ですが、ここに囚人が囚人を脱する瞬間もあります。面倒臭い仕事を通してこちらも自分の地平線を広げてゆく。それを楽しむことができれば自分自身もきっと成長できるでしょう。

さらに、日本人の教師には自分の母語や生まれ育った国に関心を持ってくれている方に奉仕する、言葉にするとちょっと恥ずかしい表現にしかなりませんが、こういった気概のようなものも感じられます。私自身、そういう気持ちは確かにあり、教室に集った人たちに楽しんでもらえるようなエッセンスをどこかに仕込んでみようとの変な気負いを常に持っています。

仕事を通じ人に奉仕し、自分も成長する。そして、結果として生活基盤も手にする。これらの要素の歯車がしっかり噛み合い、回るようになれば理想です。
自分が今、これを実現できているのかは疑問ですがw。


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