私にとって一人きりの時間はエネルギーを補充するのに必要な時間
一人でいるから、誰かが恋しくなるし。
誰かといるから、一人でいることが必要になる。
先日、ふとこの感覚を強く感じた。
私はきっと、側から見ると、社交的なタイプに見えると思う。
人と話すことは好きな方だし、初対面の人ともあまり壁を作らずに話すことができる。
自分と共通する部分を相手の中に見出すと、嬉しくなるし、
自分にはない価値観や考えを持った人と話すと、刺激的に感じる。
そう。人との対話は決して苦じゃない。むしろ好きだ。
そして、人との交流はエネルギーの交流だと思っている。
会話を通して、言葉と言葉のやりとりをしているけれど、もっと深いところでは、言語化されていない、エネルギーのやりとりもしているのだと。
このエネルギーの交流。実はこれが肝なのだと思う。
例えば、言葉では「大丈夫です」と相手が言ったとしても。
その声が、明らからに普段より元気がなさそうだったり、
逆に空元気や無理に発した声に感じられたり、
節目がちだったり、肩をすくめていたとしたら…
それがほんのわずかな情報としてしか現れていなかったとしても、
無意識にそのエネルギーをキャッチして、
あれ?大丈夫かな?何かあるのかな?
と、これまた無意識にセンサーが探究し始める。
そうやって、少しずつ少しずつエネルギーが使われていて、
気づけば、emptyランプが点滅している。
だから、私は集団でいる際にも、ほんのわずかでも良いから、
一人きりになる時間が必要になる。
その時間で、静かに内省したり、ボーッと無になったりして、
エネルギー補充をするのだ。
消耗(と言っても決してネガティブな意味ではなく)したものを取り戻して、自分をフラットに戻す。
私にとっては、それが相手と良いエネルギー交換をし合うために、
とてもとても必要なことなのだと思う。
以前は、本当にそこに無自覚すぎたので、1年に1度くらい、訳も分からずどこかに飛んでいってしまいたくなる衝動に猛烈に駆られた。
一人っきりで誰も私を知っている人がいない場所へ、鉄砲玉のように飛び出して行きたくなった。
だから、一人旅をよくしてきたのだと思う。
そして多分これからも、一人旅をすることはやめないと思う。
だけど、その衝動の正体がつかめた今は、心がスッキリしている。
これからも、良いエネルギー交換のためには、
孤独も、和も、そのバランスを大切にしたいと思う。
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