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失敗する相手もマルッと受け止められる自分でありたい

可愛い部下や後輩、大切だと思う相手には、なるべくなら痛い思い(=失敗)をさせたくないですよね。

以前、「優しさ」について、こんな風に考える人の話を聞いたことがあります。

優しさって。
例えば、人が怪我をした時に、サッと絆創膏を差し出して、「大丈夫?」と温かくフォローをするのではなくて。
その人が怪我をする前に、「そこ、危ないよ。気をつけて。」って、相手が怪我をしなくて済むように、伝えてあげられることじゃないかな。
と。

当時は、その考え方が、とても素敵だと感じました。
もちろん、今も、それはそうだなぁ、と思います。

でも、最近はこんな風にも考えるようになりました。

適切な失敗や痛みが、時として、その人に必要なこともあるよね、と。

大切に思うその人が、失敗したり、痛い思いをして。
悔しい…不甲斐ない…
自分を責めたり、悔しさに涙をにじませたり。

そんな姿は見ていて、胸が痛くなることもあると思います。

だけど、そこから本人が。
よし、こんな思いをしないために、どうすれば良いか考えるぞ!
この経験を次に絶対活かそう!

と、自分の意思で、自分の判断で前に進めたとしたら。

その一連のプロセスを、側でそっと見守ることも、大いなる「優しさ」と言えるんじゃないかな、と思うんですね。

失敗経験が、その人を強くしたり、成長の機会に繋がるのだとしたら、それは、その人に必要な好機だと言えるかもしれません。

もちろん、痛みの度合い、それを経験するタイミング。
色々と考慮する事柄はあるかもしれませんが。

また、そういったことが相手を「信頼する」と言うことなのだろうなぁ、とも思います。相手の人は、それを越えられる力がある。と信じて待つ。

その信頼は相手にもきっと届くだろう、とも思います。

・・・・・・・

最近。
ヘマを頻発するようになってしまった部下がいて…と、ある方から相談を受けました。期待のルーキーが、ここへ来て、ありえない事をしでかしてしまうようになったのだと。

その上司の方は、叱らずに、本人と丁寧に対話をされたそうです。そして先日、連絡を受けて、私もその本人と2人でお話しをしました。

本人も、周囲の人が温かくフォローしたり、改善策を提示してくれることに感謝しつつ、その期待を裏切ってしまう自分が情けないと自信をなくし、ポロポロと涙を流していました。

自分でも、自分を信じることができない、と。
とても辛そうでした。

私は、ひたすらその子の話をずっと聞き、「自分で自分をとても責めているように聞こえるよ。」とだけフィードバック をしました。

そして、心の中でも、ずっと「必ず克服できるだろう!」と信じてました。
周囲や環境のせいにはせず、ひたすら自分に目を向けて、乗り越えたいと思っている気持ちが、とても強く伝わってきたからです。

しばらくして、本人自身が、いかに今、ネガティブ思考に陥ってしまっているか、矛盾した物を抱えているかに気づいてゆき、改善策を口にするようになりました。
それまでも自身で改善策をいくつも考えていたようですが、その理想が高すぎて、ギャップにかえって首を自身で締めている状態だったようですが、今回は、まずは実現できそうな改善策を1つに絞り、やれると信じてトライしてみる、と。

さらにえらいなぁ、と思ったのは、周囲のメンバーへそれを伝えた、とその晩に連絡をくれました。


自分の情けない部分、だけどそこに向き合って取り組んでいきたい、と言う意思を、先輩や上司へ伝えるのは、とても勇気がいったと思います。

自分と、そして周囲のメンバーを信頼して、自己開示をしたのだろうなぁ、と思います。


克服できたら、その子がどんなにか自分に自信を持つだろうか、と想像すると、私もワクワクします。
周囲のメンバーと一緒にその子の一歩を見守っていたいなぁ、と思います。

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