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置かれた場所で咲きなさい、に思うこと

ベストセラーにもなったので、タイトルにあげた書籍「置かれた場所で咲きなさい」を読まれた方も多いのではないでしょうか。


詳しく内容を覚えているわけではないのですが、

どのような場所であれ、今いるところで、自分の力で咲いてみせなさい。
咲く努力をしてみなさい。

そう、著者は説いていたように記憶しています。


読んだ当時は、共感し、前向きな気持ちになれた気もしていますが。
今、つくづく思うのは。


置かれた場所


って響きが、少し受け身で嫌だなぁ、と感じるのです。
ちょっとしたニュアンスの差なんですけどね。


それよりも。

咲く場所くらいは、己の意思で自信をもって決めたいし、
いざ決めたなら、目一杯咲き散らかして見せましょうぜ!

と思うのですよ。


当然、決められない状況もありますよね。
学生時代のクラス分けなどは、自分の意思ではどうしようもできない。

でも、そうではなく、特に社会に出てから。
仕事、職場。
コミュニティ。
自分で選択できるものについては、大いに責任と自由な意思を持ちたいものだと思うのです。


綺麗な花を咲かせるためには、やはり土壌選びは大切です。
だから、貪欲に「どんな土壌が自分にはふさわしいのか」、ここについてはとことん探求して良いと思うのです。


フィットする快適な土壌であれば、
自分らしくイキイキとしていられる。
多少の辛さや、苦難をも乗り越えられる力が蓄えられる。
そして、綺麗な愛おしい花を咲かすことができると思うんですね。


反対に、合わない環境に身を置いていたとしたら。
根は腐り、葉も弱々しく、美しい花を咲かせることはできないでしょう。


だからこそ、「置かれた」という受け身のスタンスではなく、
「ここで咲くんだ!」と自分で土壌を選びたい!


そして、その環境を選ぶ際には、ぜひ自分自身の軸を大切にしたいし、是非して欲しいと思います。
他者の評価や基準に惑わされる必要なんてないです。


昔いた環境(勤めていた職場)は、向上心高く、ハングリー精神の強いメンバーが多い環境でした。
その点はとても心地よかったです。
ですが、自分の存在価値=評価=対価(お金)、と考える人も多かったのも事実です。
だから、お互いの給与を伝えあっては、意気消沈したり、優越感に浸っている様子をよく目にしました。
わたしも、度々「いくらもらってる?」と聞かれました(絶対言いませんでしたけどね)。
そして、やはり環境とはすごいもので、その中に身を置いていると、自分自身もいつの間にか、対価=自分の存在価値、だと錯覚するようになってしまったんですね。

だから、高い成果を出すことに必死だったし(これは良いことだとも思いますが)、その成果に対する評価、対価のフィードバックにも、貪欲でした。
他者の価値観や軸をもとに繰り広げられているレースに、気づけば参戦してしまっていたのです。

昇給、昇格することが、自分自身の中で、働く上でとても大切な基準になっていたんですね。


でも、その土壌は、本当にわたしが心から求める価値基準とは、大きくズレていたなぁ、と。
今は思います。
花は咲かせられたかもしれない。
でも、トゲトゲした葉で覆われていたでしょうね。


だからこそ今は。
「どこで咲くか」という場所選びは妥協しないようにしていますし、
一生探求し続けたいとも思っていますよ。

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