見出し画像

人生が自分に求めることとは? ヒーローズジャーニーが教えてくれること

タイトルに入っている ”ヒーロー” や “ジャーニー” は、どちらも大好物なワードなんです。書きながら今も若干高揚感に包まれています♡

今日は、今年の頭から約半年間かけて学んだ、AOC(Art of Coaching)の振り返りアウトプットの最終章です。

前回までのシリーズはこちらからお読みいただけます↓

さて。
最後は、冒頭でふれたヒーローズジャーニーの概念や、出会えてよかったと思える、今でも自分の中に大切に留め置かれている問いである、「人生が自分に求めることとは?」について書いていきたいと思います。

ひょっとしたら、「おや?」と思う方もいるかな、と思うんです。
ん??自分が人生に望むこと、とか
自分が望む生き方をするんじゃないの?
逆じゃない?って。

私も最初に聞いた時は、「?」マークが10,000個くらいアタマの中に浮かびました。
でもね。
今はその問いが意味することや、その深さを実感しています。

自分が人生に望むことや、そういう生き方を目指すこと。
始まりはやっぱりここからなんですね。そこから始まる先に、色々な経験を重ねていきます。

・モテたいと思って、自分磨きにいそしむ。
・お金持ちになりたいと思って、いかにして稼ぐか、収入をあげるかを追求していく。
・注目を浴びたくて、何かの領域での知られた存在になることを目指す。

それ自体は、どれも素晴らしい願望です。
また、そのために努力すること、苦難を乗り越える過程も、きっと受け入れられることだと思います。

しかし、その先、なぜかうまくいかないことが起きたりします。
同じような課題に何度もぶつかったり、そこのループにはまってしまっていると感じる…そんな瞬間がきます。

そこが、チャンスです!
一度立ち止まって、それが起きる意味に向き合うタイミングがやってきた、ということなんですね。

目の前で起きている現実が意味することはなんだろう?と。
ようやく、人生で自分が求められている意味を見つけ出す時がきたんです。

ヒーローズジャーニーは、そのように人生が自分に問いているミッションに気づかせてくれる、誰もが経験する人生の旅です。

この学びで、私も自分の人生を振り返ってみました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジャーニーの始まりは、20代の半ば頃だったと思います。
それまで元気だったのに、ある日突然、入院することになりました。ガンの可能性まで伝えられた時は、毅然としつつも心の中は恐怖心でいっぱいになり、病院のベットの上で、死生観、この先の人生…色々と考える日々でした。

ある日ふと「手術がうまくいったら、この世に生きた証を残したいな」と思うようになりました。
さらに、その時会社の中で携わっていた社内広報紙の企画/制作の仕事がとても楽しく、自分のアイデアを形にできるデザイナーになりたい、と思うようになりました。

そうして退院後、勤めながらデザインの学校に通い、30歳手前で、デザイナーの道に進むことになりました。
そんなエゴっちいスタートを切ったデザイナーのキャリア、自分の願望も、割と早々に打ち砕かれます。

デザイナーは、自分が作りたいものを生み出すんじゃなくて、クライアントが望むこと、求めていることを形にするんだなと、気づかせてもらえたんですね。まずは思考変換するところからスタートでした。

それでも。
生みの苦しみ、その先にある達成感。
デザイナーの仕事は本当にやりがいがありました。
それこそ身を削って、仕事にのめり込みました。

しかし、見渡すと、世の中には自分よりも優れているデザイナー、クリエイターは溢れるほどいるではありませんか。
そんな時、自分がダイレクトにモノづくりをするのではなく、より優れた人をサポートする側にいった方が良いんじゃないか?と思うようになりました。

デザイナーか、彼らを支えるポジションか。
どちらも魅力的なキャリアで、2束のわらじも目指したかったのですが、その当時所属していた広告会社の中で選択を迫られました。

最終的には後者を選び、人事(+ 社内のなんでも屋)ポジションに転向しました。

可能性や活気溢れるベンチャー企業を少しずつ成長させていく支援ができるプロセスは、それはそれはとても楽しかったです。
(もちろん、苦しいこともたくさんありました)

が、次第に組織がチグハグし始めたんですね。
人が次々辞めていく…
社員の不満は増える…

当時の自分は、その全てが人事である自分の責任なのではないかと、おこがましくも勝手にその責務を背負っている気になり、一人落ち込み、もがき、あがきまくってました。

また、今思うと。
社長、同僚、社員…周囲のみんなに対して、私の中の「こうあるべき」という組織の理想イメージを、無意識に押し付けていたな、とも思います。

とても思い入れがあったし、エネルギーの全てを注いでいたけど、結局はそこにも、自分のエゴが根強くあったのだと思います。

そして、最終的には大好きな会社を去る選択をしました。

20代の半ばから、模索し始めた、自分のキャリアの長い過程の中で、最高に楽しかった経験、辛かった経験、自分が求めていたことからの学び。
色々な経験、出会えた人たち、全てに今は感謝をしています。
そして立ち止まれた今だからこそ、ようやく気づけたこともあります。

それは、ダイレクトに相手に対して情熱を注ぐのではなく、
"相手との関係性” に愛情を注いでいこう、ということです。

私とパートナーとの間に。
相手や、さらにその先の相手との間に。
所属するコミュニティに。
そこに存在している、”関係性に” 愛情を注いでいく。

そうすると、ダイレクトに相手に期待をしたり、無意識に求めることはせず、そこに存在する関係性を大切に育んでいける気がしています。

答えは漠然としてますが、そのような自分のスタイルで人や環境と関わる支援の形こそが、人生が自分に求めていることかな?と。
今はおぼろげながら、感じています。

一旦立ち止まれた今だからこそ、ここから始まる新しいヒーローズジャーニーを一歩を踏み出そう、と思えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?