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作家・門田隆将(門脇護)のモラルハザードを問う 第4回

■JAL墜落事故・遺族手記との類似点を発見

門田隆将著『風にそよぐ墓標』に載っている参考文献リストのうち、「FOCUS」以外にも引き写し疑惑があるのではないか――。そんな素朴な疑問をもちながら、『茜雲(あかねぐも)総集編』(8・12連絡会、本の泉社)という本を開いてみました。これは、JAL御巣鷹山(おすたかやま)墜落事故の遺族が書いた手記を1冊にまとめた本です。

『風にそよぐ墓標』第1章では、事故で亡くなった舘征夫(たて・ゆきお)さんと遺族の物語が綴(つづ)られています。『茜雲 総集編』に、遺族・舘寛敬(たて・ひろゆき)さん(息子)と舘須美子さん(妻)の手記が載っていました。読み比べてみたところ、新たな引き写し疑惑が見つかりました。

これまでの連載で83ブロックに及ぶ疑惑をご紹介したため、番号づけは「84」からスタートします。

■門田隆将著『風にそよぐ墓標』の疑惑(84)〜(89)

◆門田隆将氏の疑惑 その84

【舘須美子「限りなき愛に、永遠の誓いを」】『茜雲 総集編』50ページ
 主人のかもしれないと信じ、焼けただれた右の足首を持って放せなかった体育館。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】57~58ページ
 その中で、須美子はある「右足」に目をとめた。
「見た瞬間、これは……と思ったんです。足の形が主人とそっくりで、私はこれを抱きしめました。(略)」

◆門田隆将氏の疑惑 その85

【舘寛敬「あのとき一五歳の少年は三五歳に」(※発表時は匿名)】『茜雲 総集編』57ページ
 そして自分はまた当時の自分に戻るのです。一五歳の自分に。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】64ページ
 寛敬はこの時、やっと「十五歳の少年」に戻ったのだ。

『茜雲 総集編』収録時の手記「あのとき一五歳の少年は三五歳に」には、舘寛敬さんの署名が入っていません(匿名扱い)。『茜雲』にザッと目を通したときには、それが舘家の関連手記だとは気づかず読み飛ばしてしまいました。あとで「あれっ、これはひょっとして舘さんの息子の手記ではないか」とピンときて『風にそよぐ墓標』と読み比べてみたところ、「その85」から「その87」までの類似点が見つかったのです。

◆門田隆将氏の疑惑 その86

【舘寛敬「あのとき一五歳の少年は三五歳に」(※発表時は匿名)】『茜雲 総集編』57ページ
 妹の運動会の父親参加種目に代わりに参加した日。その時です、自分は妹にとっては兄貴の顔だけでなく父親の顔も持たねばならない。母親にとっても息子の顔だけでなく、相談相手としての顔も持たねばならない。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】67ページ
 妹の父親役は、兄である寛敬が担った。運動会の父親参加の競技には、必ず寛敬が出た。体力抜群のこの〝若い〟父親は、いつもダントツでテープを切った。
「親父がいたら、してくれること」は、すべて自分がしなければいけないという使命感が寛敬にはあった。精神的な面で、母をサポートするのも寛敬の大きな役目となった。

◆門田隆将氏の疑惑 その87

【舘寛敬「あのとき一五歳の少年は三五歳に」(※発表時は匿名)】『茜雲 総集編』58ページ
 私は何を思ったか親父に言ったのです。「死ぬなよ」と。そして親父はいつもと同じに背中越しに片手を挙げて芦屋の駅にむかいました。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】30~31ページ
「親父、死ぬなよ」
 ふっと出た言葉だった。
親父、死ぬなよ――その思いがけない言葉は、父の背中に投げかけられた。
 不吉な言葉だった。
 しかし、父は振り返らない。ただ、背中越しのまま、左手を挙げた。グレーの背広を着た父は、うしろ向きのまま寛敬のその声に〝応えた〟のである。

◆門田隆将氏の疑惑 その88

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』170~171ページ
「早くこの水を飲ませてやらないと、
こんなに暑いのだから……。何とかして行かせて下さい」とたのみこむ母
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】46ページ
 母は、(夫に)水を飲ませてあげないといけない、なんとか水を……と考えながら、ハンカチに水を浸している。
「この水をあの人に飲ませないと……」

◆門田隆将氏の疑惑 その89

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』171ページ
 同じようにお父さんを亡くされたTさんが声をかけて下さった。「登りましょう。行きましょう」。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】47ページ
「あの、まだお身内の方、見つかりませんか?」
 不意に声がした。振り向くと二十代後半のメガネをかけた男性が立っていた。
「実は僕の身内もまだなんですが、明日、山へ向かってみたいと思うんですけど、ご一緒にどうですか?

■門田隆将著『風にそよぐ墓標』の疑惑(90)〜(95)

◆門田隆将氏の疑惑 その90

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』171ページ
 途中、自衛隊の方たちが応援して下さったのがトッテモ嬉しかった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】53ページ
「頑張ってくださいね」
 という自衛隊員のひと言
に、彼らの気持ちが凝縮されていた。その思いが、三人には何より嬉しかった。

◆門田隆将氏の疑惑 その91

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』171ページ
 うぐいすの声におどろかされてふと、見上げると、まるでそこは天国のようなお花畑。

第4回用写真2

【門田隆将『風にそよぐ墓標』】51ページ
 天国のようなお花畑(※小見出し)

第4回用写真1

舘寛敬さんの手記にある「天国のようなお花畑」という表現を、門田隆将著『風にそよぐ墓標』ではそのまま小見出しに採用しています。プロの書き手のモラルとして、いくらなんでも、これはいかがなものでしょうか。

◆門田隆将氏の疑惑 その92

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』171ページ
 うぐいすの声におどろかされてふと、見上げると、まるでそこは天国のようなお花畑。リンドウ、山ゆり、コスモス、あざみ、その他名前すら知らない白い花、月見草(略)
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】53ページ
 ヤマユリアザミが咲きほこり、天国のような花の絨毯がそこには敷かれていた。

◆門田隆将氏の疑惑 その93

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』171ページ
 本当にこの山の向こう側は地獄かと――。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】54ページ
「この先に本当に地獄があるんだろうか」
 寛敬は信じられない思いで立ち尽くしていた。

◆門田隆将氏の疑惑 その94

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』171ページ
 ほんの一瞬であれ、おやじはこの天国の上を通ったのだと思うと、ほっとしたやすらぎがよぎった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】54ページ
親父は直前にこのきれいな景色が見れたんだ……」
 そう思った。死の直前にこの天国のような光景を父は見ることができたんだと、ふと考えたのである。そのことが、なんともいえぬ安堵の気持ちを寛敬にもたらしていた。

◆門田隆将氏の疑惑 その95

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』171ページ
 僕らは紙の墓標をたてた。靴のひもをほどいて置いた。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】55ページ
 彼女はその〝紙の墓標〟に手を合わせたのである。
 やがて、寛敬は、土にまみれていた自分の靴から靴ひもを抜き出した。そして、それを紙の前に置いた。

■門田隆将著『風にそよぐ墓標』の疑惑(96)〜(99)

◆門田隆将氏の疑惑 その96

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』172ページ
 同時におやじに会えると思うとうれしかった。
「一週間まったぞ、おやじ」
 抱きつきたいほどうれしかった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】65ページ
「ついに会えた」
 声を上げて泣きながら、父に会えたことが、寛敬は嬉しくて仕方がなかった。

◆門田隆将氏の疑惑 その97

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』172ページ
 顔も体も手も足も、みんな包帯の下だった。悲しかった。今だに実感がないのはそのためかもしれないと思う。どんなおやじの姿であっても会いたかった。棺の中で「よう」と明るくいつもの声をかけてくれたような気がして、それまで全然泣かなかったのにこの時は声を上げて泣いた。「こんなの、おやじではない」と思った。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】63ページ
 棺の中には、包帯をぐるぐる巻きにされた遺体が横たわっていた。白い包帯で、肌は一切見えない。顔も何重にも包帯が巻かれ、目さえ出ていなかった。
「これが……親父?」
 二人には、それが「パパであること」が信じられなかった。

◆門田隆将氏の疑惑 その98

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』173ページ
 サーちゃんが生まれる前の一週間、二人でシチューを毎晩食べたこと。あのシチューはうまかった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】64ページ
 妹のサーちゃんが生まれる時、二人だけが家に残され、毎日、同じシチューを食べ続けた。

◆門田隆将氏の疑惑 その99

【舘寛敬「おやじへ」】『茜雲 総集編』173ページ
 そして僕の高校入試。合格したのに連絡しなかったら、「なんで連絡しなかった」と笑いながら言ってくれたこと。バレー部に入部した時、さんざんからかったね。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】65ページ
 高校に合格した時、合格の連絡をしなかったら、半分怒りながら、父の顔は笑っていた。その高校で、身長が百七十㌢足らずなのにバレーボール部に入ったら、「おい、その身長でバレーができんのか」と、笑いながら父はからかってきた

■ノンフィクション作家・山根一眞さんの記事にも類似点を発見

いかがでしょうか。『風にそよぐ墓標』に先行して出版された遺族手記と、表現がとても似通った記述が目立つうえに、出典が明記されていません。

『風にそよぐ墓標』が盗用疑惑で裁判に訴えられたことは、連載第1回で詳しくご紹介しました。この本が『尾根のかなたに』とタイトルを変更して文庫化されたとき、裁判で問題となった第3章は丸ごと削除されています。気になることに、今回引き写し疑惑をご紹介した舘家の話(第1章)も、文庫版では丸ごと削除されました。

いったいぜんたい、第3章のみならず、なぜまた第1章までカットされるに至ったのか。そのあたりの裏話を、舘寛敬さんから聞いてみたいものです。

さて、『風にそよぐ墓標』に載っている参考文献リストのうち、〈「Dame」一九八六年四月号・主婦の友社〉が本文中にまったく出てこないことも気になりました。「Dame」とは、すでに廃刊になった女性雑誌のタイトルです。この雑誌を開いてみたところ、どうやらノンフィクション作家・山根一眞(かずま)さんの連載「先端医学の匠(たくみ)」を参考にしたらしいことがわかりました(ほかのページには、JAL墜落事故に関連した記事は見当たりません)。この号で山根さんは、JAL墜落事故の遺体鑑定に奔走した鈴木和男さん(東京歯科大学法歯学教室教授)の取材記事を寄稿しています。

この記事から、『風にそよぐ墓標』との類似点が見つかりました。

◆門田隆将氏の疑惑 その100

【「Dame」(86年4月号)山根一眞さんの連載】145ページ
 後頭部から肩にかけての皮膚だけしか残っていない遺体があった。まるまって、土に汚れていた。鈴木は、それをきれいに洗い、皮をのばして新聞紙を丸めて作った頭にきれいに被せ、髪には櫛まで通した。
(略)
 この頭皮は、初めは汚れてまるまったままビニール袋に入れられドライアイスでコチコチになって遺体の一部として並べられていたのである。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】290ページ
 もともと頭皮は、まるまって土に汚れ、ビニール袋に入れられ、ドライアイスで凍らされていたものだった。部分遺体の一つとして、並べられていたに過ぎなかった。鈴木はこれを洗って皮を伸ばし、その上、新聞紙をまるめて頭の大きさのものをつくり、実際に頭部についているようにしてくれたのである。

以上、『風にそよぐ墓標』に見られる全100ブロックの引き写し疑惑についてご紹介しました。連載第1回でご紹介したように、『風にそよぐ墓標』は著作権侵害訴訟を起こされ、東京地裁・東京高裁・最高裁判所で連続敗訴しました。しかも門田氏の場合、出版差し止めという、作家としては「死刑宣告」に等しい厳しい判決が下されているのです。

連載第2回から第3回、そして今回の第4回にかけてご紹介したように、裁判で争点になったもの以外にも続々と類似点が見つかり、疑惑は合計で100ブロックにのぼります。このような作家が、なぜ「大宅壮一ノンフィクション賞ノミネート作家」として大手を振って活動しているのでしょう。プロ野球界の「正力松太郎賞」選考委員として、「立派な文化人」ヅラをしているのでしょう。最高裁判所で「盗用」が認定された作家が、なぜ今も文筆業を続けていられるのか……。素直に不思議でなりません。

さて、ここでまたまた素朴な疑問がポワ〜ンと頭に浮かびます。『風にそよぐ墓標』のみならず、門田氏のほかの作品にも引き写し疑惑があるのではないか――。そんな疑問から検証作業を再開したところ、類似点が次々と見つかりました。しかも疑惑の作品とは、出版業界で最も権威のある「大宅壮一ノンフィクション賞」ノミネート作品だったのです。

連載第5回へ続く/文中・一部敬称略)

※情報提供はコチラまで → kadotaryusho911@gmail.com

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