ネット弁慶は本当に「内向的」で「非社交的」なのか? あるいは自分向きのタルパの作り方

先日購入してその日のうちに読み切ったやつ(なぜなら途中で本を閉じたら二度と開かないと確信したから)のことをまだつらつら考えています。
「枚子さんは静かな人だからすごく合うはず」って進めてくれました。ありがとう。合わなかったけど考える手がかりにはなった。(友人はこのnote知りません)

それにしてもこの本で挙げる「内向的」「外向的」の表、どれだけ読んでも考えても、私は「外向的」に分類されるんです。唯一完全の完全に一致しないのは「口頭よりも文字のコミュニケーションを好む」というところだけ。
逆にこの本を進めてくれた友人は「自分は社交的と思ってたけどこれ読むと内向型なんだよな」と言ってました。

「「静かな人」の戦略書」より引用




まあこの著者がいう「外向的」「内向的」はだいぶかたよっているし、その分類自体にエビデンスやら実験やらはなさそうだし気にしすぎなんだろうか、とも思ってました。

で、もやもやしてたらこんな記事が流れてきました。

これ自体は、まあうんうんあるよねー、だったんですが、ドラッカーの引用に目が止まりました。

音声言語と文字言語

ピーター・ドラッカーは、世の中には「聞く人」と「読む人」がいると述べた。

正確に文章が読めない人の話。より

読む人に対しては口で話しても時間の無駄である。彼らは、読んだあとでなければ聞くことができない。逆に、聞く人に分厚い報告書を渡しても紙の無駄である。耳で聞かなければ何のことか理解できない。

ドラッカー名著集1 経営者の条件より

あー、これこれこれ。ドラッカーも気づいてたんだ、そっか〜〜。
私も常々、「リアル会話によるやりとりと文章によるやりとりで発達する言語回路は別物で、どちらもそつなく育つ人って実は稀なのでは?」と思ってたんですよね。
わたしはこれを音声言語文字言語と呼びます。国語では書き言葉と話し言葉と読んだりすることもあるような気がする。

私の例で言えば、断言できますが、今までの人生において肉声での会話よりもチャットツールでの会話が圧倒的に多いです。高校生時代にパソコンを入手してからずっとそうだし、数少ない友人とのやりとりは7割以上がチャットツールのやりとりです。業務でもチャットのほうが圧倒的にやりやすい。
文章にはちょっと自信がありますが、対面の会話はヘヘ、フヒ……みたいなかんじです。

逆に、職場の営業などでよく見るケースなのですが(私の友人は同類が多いのでチャット会話のほうが得意な人が多い)、対面で会話するとすごく話しやすいしはきはきしてて社交的なのに、メールの文章やチャットの文面が「小学四年生の読書感想文か?」みたいになっている人も、とても多い。

これは音声言語回路と文字言語回路の発達の偏りによって起きているものと考えています。カーネギーも「聞く人」「読む人」がいるっていってるんだからこれはもうきっとそう。
電話が苦手な人はコミュ症だからではなく音声言語に弱いからだし、メールが苦手な人はタイピングとか機械とかじゃなくて文字が苦手だから。

言語に不自由だから無口な状態と「人嫌い」はイコールではないのでは

つまりそうやって、母国語、のカテゴリのなかに、さらに音声言語得意人と文字言語得意人がいるわけです。
さてここで私が先述の本(「静かな人」の以下略)で何度チェックを繰り返しても「外向型」に分類されること、Disc分析でも「感化型」であること(Disc分析については省略、まあ「感化型」をまとめるとパリピでチャラ男ってかんじだと思ってください)、そしてそれらの診断にものすごく納得することからさらに推察できることがあります。

ちょっと話が飛ぶんですけど、いつもバーベキューとか飲み会とかで幹事やってて盛り上げ役でキョロ充っぽいけどまあ人間好きなんだなみたいな、はしゃぎまわる大型犬みたいな人がいたとします。基本、人好きです。
でもそんな人が、母国語が一切通じない、いえ、むしろ「単語程度は通じてしまう」ような環境に放り込まれたらどうなるか?
たぶん周囲からは「引っ込み思案」「一人でいるのが好き」と判断されるようになるのでは? もしかしたらボディランゲージとかでそれでもウェイウェイやるかもしれないけれど、人好きだからこそ、うまく意思疎通ができないことに苦しんでコミュニケーションをやめてしまうのでは? という気がするんですよね。でもその人の性質自体は人との関わりをもとめるもののままなんです、周囲とコミュニケーションできないからって孤独を愛する性質にはならないんです。

つまり、文章言語に特化した外向型が音声言語世界(リアルな会話が必要な場所)で発生してる状況って、これと同じなのでは?????? と思ったんですよね。

だって本当に内向型で自分の世界が一番大事だったら(あの本で示されていたパーソナリティは本当にそういうかんじだった、隠者になりたいかんじだった)人と関わりたいとかうまく話したいとか思わないはずだから……!

というかわたしはこれでけっこう腑に落ちたんですよ、どうりでな! と。
人と直接会話がしたいわけではないしそういう場になると早く終わってくれと思うことが多い(文章言語でたっぷりやりとりしたことのある人は例外になる)(これ同族にはあるあるなのではと思ってる)のに、ディスコードだのツイッターだのラインだのでなんやかんや人と関わっていたがるし成果には他者の賞賛が絶対に必要な性質がこれで説明がつく。
孤独が好きなんだろうな人とはなすのしんどいし……とおもってたけどずっとなんかしっくりこなさがあった、あー、そういうこと、そういうことかと……

つまりネット弁慶って

だからつまりネット弁慶って、そうなんじゃないかって。リアルで会うと饒舌ではないけどネットだと饒舌で意見も強いって人、おとなしいんじゃなく謙虚なんじゃなく、リアルでは「中学生レベルの英会話でアメリカ人の議論に放り込まれた人」状態なだけなんじゃないかって、思ったんですよね。
というか実際私もそういう場では「言わない」だけで思ってはいるからないろいろと。

母語ではない言語を使う(自分の)コツ

とはいえ文章だけで会話するわけにもいかない、人類は、まだ。
これは私がわりと意図してやってることなんですが、あまり面識のない人とリアル会話するときは脳内のチャットツールの文章を読み上げるイメージで会話します。なんかうまく説明できないけど、このイメージを持つと補助輪つきの自転車に乗ってるかんじがあるというか、まったくの「空」で音声会話をするよりもなんかつまらずにしゃべれるかんじがある。

逆に音声言語に特化した人が文章を書くときは「しゃべるのと同じ感覚」でやるといいんだろうなーと思う。稀に「音声入力最高」って言ってる人がいるけども、その人たちはそうなんでしょうね。私は音声入力だとむしろ文章が出てこなくなってだめでした。

余談:イマジナリーフレンドを作れるかもしれない

これはまったく余談。
いきなりオカルトとかスピとかの話をします。

わたし、イマジナリーフレンドとか人工精霊タルパとか、作ってみてえなーーって思ってたんですよね……(このへんの単語の説明は割愛)
チャレンジしたことが何度かあって、まあ今思えばそういうもの作ろうとチャレンジするあたりが「孤独を愛する内向型」の真逆じゃねえかってかんじなんですけど、とりあえず全然できなくて。
イマジネーション不足なんだろうか……そっちはわりと自信ある分野なんだけど……て思ってましたが、今回このへんのこといろいろ考えてて、あー、そりゃできねえわ、と思いました。
イマジナリーフレンドもタルパも、「会話する」「存在を感じる」みたいなところをスタートにするんですよね。
リアル会話も他者が近くにいるのも苦手で不得意なのに、そんなんできるわけないし求めてもいないんだからできるわけがないな?
あとタルパ系って「安心していいよ」とか「どんなときでも味方だよ」系の言葉を言わせるといいみたいなこともよくきくけどそれも全く刺さらなくて、ここもDisc理論で当てはめると、私が私のイマフレに言わせるべき言葉もわかってくる……

ということで、リアルに会話するタイプではなく、常時discordで繋がってる相手、をイメージしてやってみようかなと思ってます、これならいけそう。
そういや昔2ちゃんねるで「常に自分の実況スレが動いてるイメージで仕事してると楽しい」って言ってた人も見たことがある、あの人も自分が一番馴染んでて楽しい環境のエミュレートができてたんだなあ。

とりあえず今日かきとめておきたいことはそんなかんじです。


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