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昨日書いたことの続き/推しの結婚

これです、昨日かいたこと。
私自身はガチ恋になったことはないです。

とっちらかった書き殴りですのでそういうの読みたい人だけ続きどうぞ。


書き終えたあとつらつら考えてて、「推しが結婚したっていうのはエンディングを迎えた連載漫画ってことかもしれないな」とも思いました。

好きだったし好きであることは変わらないけど、もう「これから」を妄想する対象ではなくなった、ということ。過去のあのシーンこのシーンを「思い出す」対象になったということ。

私はカップリング二次創作小説をよく書いていて、今現在ではもう書くことないような気がするので言ってしまうんですけど、カップリング小説の「大団円」って「この二人は結婚に近しい関係性を築けた」という状況の提示なんですよね。

これは一時期、一日一冊ペースでハーレクイン小説を読んでいたときの学びです。作中にどれだけ波乱万丈でも、寝たり寝取られたり主人公が他の男の子供を孕んでそしてそれをヒーローに受け入れられてすらもまだエンディングではなくて、ラストシーンが結婚式である率がめちゃくちゃ高いんですよ。つまりやっぱりあちらのロマンスノベルで「これがいい」ってされてるんでしょうね。ラストシーンは結婚式。つまり「結婚しました」が勝利エンド。ということに気づいてからは「結婚したと言える」状態、を目指して書いてました。

この「結婚」(ここでは現実の婚姻ではなくフィクション上の結婚の概念)って、「もうこっからさきはふたりはずーーーーっと幸せでハラハラドキドキ破局の危機はないでーーす妄想がはかどるエンタメになるようなことはないですーー」みたいなもので、やっぱり「エンディング」であり「連載漫画の最終話(大団円)」と酷似しているなーと思った次第です。

で、ここで「推しの結婚」(現実の話に戻る)って、この、「こっから先はもうファンが妄想するようなことはないでーーす」なんですよね。ガチ恋とまではいかなくてもふわっと夢女子してた人だって、相手が未婚既婚だと捗り方全然違うし。妄想の余地がシャットダウンされる、これだな、と。
連載中はメインヒロインがいる主人公でもバディのあいつと愛し合ってるって妄想ができるけど最終話でメインヒロインと結婚されちゃうと「解散」ってならざるを得ない。
(とても余談だけどコナンがらみのカップリングって冒頭で蘭と別れるシーン入ってる率すごく高くておもしろいなって思ってます)

ていうかファンである前に女でもある以上、推しの結婚はいやだけど推しが配偶者をないがしろにするのももっといやだろうしな。クズ男であってほしくはない。

あと未婚の推しがでっけー夢や目標がんばってたら「がんばれー!応援するー!」てなるけど既婚の推しが同じ夢や目標語ってたら「いや妻子あるでしょあんた、もうちょっと現実的になってよ家庭の時間確保してる?」ってなる。

結婚、「偶像が見せる夢の終わり」ってことかもしれない。夢の中にいた偶像が現実の存在になってしまった的な。


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