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愛着スタイルが不安定な毒親たち

 今回は不安定な愛着スタイルから毒親になってしまった親について詳しく取り上げます。前記事『自己流毒親タイプ分類─あなたの親の毒はどこから?─』をご覧ください。

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愛着スタイルとは

 赤ちゃんが泣けば、親はミルクだおむつだと世話をする。子供が喜べば、親もそれに応える。子供が傷ついて泣いていたら、親は「辛かったね。もう大丈夫だよ」と抱きしめる──子育てにおけるごく当たり前な風景に思えますが、このような形で愛着対象者(養育者)と子供の間には愛着および「愛着の絆」が育まれます。その「愛着の絆」によって子供が愛着対象者を《安全基地》と認知できると、基礎的な安心感と他人への信頼感を身に着けます。この状態を安定した《愛着スタイル》と定義します。安定した《愛着スタイル》を持つ子供は、外界(家庭外の社会)を積極的に冒険できるようになり、家族以外の他人と健全な関係を構築し、勉学や仕事などの社会生活も自発的に取り組めます。その行動はやがて大人としての自立、そして子供自身も健全な家庭を築くことへつながります。
 
 真逆のケースはどうでしょうか。赤ちゃんが泣こうとも笑おうとも無視する親。子供を置いて出て行った親。養育者が目まぐるしく交代した。共感してくれなかった親。親はいつも心身ともに不安定、不調だった……このような親や環境下では、「愛着の絆」など生まれるはずがなく、基礎的な安心感や他人への信頼感は身につきません。《安全基地》もないため、外界の冒険を億劫に思うようになります。その心情は繊細過ぎて傷つきやすい性格とそれを埋めるような強いこだわりへと変化し、愛着障害やパーソナリティ障害を抱えることになります。それが次第に自分自身や周囲に影響を及ぼします。
 前回の記事で挙げたように愛着スタイルが不安定な毒親は、以下の三タイプに分けられます。

①不安型愛着スタイルの毒親

 このタイプの親は、子供に過剰な期待を寄せたり、世間体や自身のイメージに固執したりすることで子供を支配しようとします。子供の自立や健全な社会生活よりも自分の理想通りになることを第一に考えます。さらに自己愛性、依存性、境界性、演技性、強迫性パーソナリティ障害等の傾向が見受けられることもあります。私の毒祖母は、このタイプと③混在型愛着スタイルの傾向が強いです。(参考:『ようやく毒から逃げまして②、③、⑥』)

【チェックリスト】
・子供の行い、発言、思考、感情趣味に対して常に批判的で、親自身の思い通りになるよう誘導してくる
・子供がどんなに努力をしてもそれを認めない
・子供に嫉妬心を抱く
・子供の話を聞こうとせず、自分の話ばかりする
・子供の境遇よりも親自身のイメージや世間体を優先する(例:離婚させない、退職・退学させない)
・都合が悪くなると感情の起伏が激しくなる、あるいは"子供が謝るまで"黙り続ける
・子供に許可なく個室へ立入る、持ち物を検査しようとする
・子供の友人や恋人に対して否定的、あるいは必要以上に詮索して交友関係を制限しようとする
・被害妄想、被害意識が強い
・自分の体調不良や自殺企図等を理由に子供をコントロールしようとする
・過去のネガティブな言動をしつこく追及してくる
・べたべたした依存的な関係を好む
・見捨てられることや一人になることに敏感で、子供の自立を快く思わない
・自信過剰なため周囲に相談をせず、物事を自分一人で決めたがる
・友人や知人は多いが、信頼できる親友はいない
・一見社交的だが、熱中できる趣味やライフワークがない
・社会的役割、他者評価、肩書、世間体、ブランド、金品に執着する

 これはもっとも厄介なタイプで、子供が拒絶する態度を一つでも取れば事態が悪化する可能性が高く、最悪毒親が自傷、自殺行為を図ることもあります。まずは慎重かつ冷静な対応を心がけ、解決には多大な時間と労力を要することを覚悟してください。毒親の年齢にもよりますが、カウンセリングや専門医に頼るのは勧めません。はっきり言って時間と費用の無駄です。

(1)同居している場合
 第一に「自分のことは自分で決める」「自分のことは自分でする」と毒親に表明してそれを実行します。一度だけでは効果は薄いので、様々な場面で徐々に伝えていきましょう。毒親がいかなる態度を取ったとしても「自分(子供)は自分、貴方(親)は貴方(親)」というスタンスを崩さないように。
 次に毒親と生活や各領域に関するルールを設けます。この時点で議論さえままならない、毒親が譲歩しようとしない場合は、「物理的な離別」に切り替えます。例えば、会話の頻度を減らす、書置きやメールでやりとりする、家事や食事を分けることが挙げられます。親と話し合い、会話せざるを得ない場合は、記録、録音を徹底してください。また、過去、現在問わず毒親からの言葉で傷ついたり、腹が立ったとことは随時記録に残します。(過去記事『ようやく毒から逃げまして④』参照)
 それでも解決の目途が立たないならば、先に《対決》を図ることも一つの手です。《対決》とは、毒親の言動によって自分がどんな感情を抱いたか、どのように傷ついたかを毒親自身に伝えることです。感情的に責め立ててしまうと、毒親の不安定な自己愛を刺激してしまうのであくまで落ち着いて事実のみを述べます。それを聞いた毒親が、「過去の話をするな」「親をそんな風に思うなんて」「貴方/お前にどれだけ尽くしたと思ってるんだ」「そんなことを言うならば出て行け」などの返答をしたり、そもそも《対決》に応じなかった場合は、和解は諦めましょう。言葉通りに出て行っても構わないし、私たちのように家庭内別居を続けるほかありません。(過去記事『毒の連鎖~前編・後編~』参照)

(2)すでに別居している、または別居できる可能性がある場合
 もっとも理想的なのは、ライフステージ(進学、就職、転職等)の変化による「物理的な離別」です。離別後に自分の生活環境と心の準備が整い次第、毒親と《対決》を図ります。電話や手紙でも可能ですが、対面する場合は毒親の家や自宅は避け、周囲の目があるカフェやレストランを利用しましょう。やむを得ず毒親の家や自宅、あるいはホテルの一室などの個室で話す場合は、信頼できるパートナーや上司、友人(毒親の性別問わず可能ならば男性)を同席させてください。いずれにしても録音と記録は忘れずに。(1)で述べたように和解が無理ならば、今後毒親とどの程度接触すべきか考えます。ただしパーソナリティ障害の傾向が非常に強く、自他問わず攻撃性が高い場合は、自分自身やパートナーに危害が及ぶ前に絶縁することをお勧めします。
 また交際や同棲、結婚をきっかけに毒親からの離別を図る方もいますが、私はお勧めしません。その流れでパートナーが被害を被ったり、毒親の標的にされたりする可能性があるからです。仮にパートナーがいるのならば、彼/彼女の安全を第一に行動しながら、自分自身が毒親と一対一で《対決》を図りましょう。(追記:『毒と戦わない男性たち』にて掘り下げました)


②回避型愛着スタイルの毒親

 このタイプの毒親は、自己責任を重視し、責任を回避する傾向が強いです。鈍感でコミュニケーションが苦手なため、子供の感情に共感できなかったり、共感してもそれを表現できないことがあります。①不安型愛着スタイルの親が過干渉、過保護になりやすいのに対して、このタイプの親は子供に対して無干渉、無関心、放任主義になりやすいです。このタイプは、回避性、依存性パーソナリティ障害の傾向が見受けられ、シゾイド、失調型パーソナリティ障害の症例にも類似する部分があります。私の母はこのタイプに近いです。(過去記事『毒の連鎖~前編・後編~』参照)

【チェックリスト】
・感情の起伏が少なく、子供に共感する姿勢が見られない、あるいは共感してもそれを表現できない
・親は自分自身に対して自信がないように見える
・親は自分への自信のなさを子供で埋めようとしている、あるいはそう感じる
・子供を子供として扱わず、大人や戦友として扱う
・子供に対してどこかよそよそしい態度を取る、子供との間に距離を取りたがる
・「他人に迷惑をかけるな」「すべては自己責任」が口癖だ
・子供にあまり言葉をかけなかったり、スキンシップを好まない
・子供より自分の趣味や関心ごとを優先する
・フットワークが重く、レジャーや外出をあまり好まない
・友人が少ない、あるいはまったくない
・親から教わることよりも、子供が教えることの方が多い
・親の親(子供にとっての祖父母)と同居しており、生活の主導権を彼らに委ねている
・一人での行動や決断を好まない、あるいはできない
・衣食住すべてあるいはその一部に興味関心がない

 基本的には①不安型愛着スタイルの毒親と同じ対処で、同居/別居問わず最終的には《対決》を図りましょう。このタイプは①不安型愛着スタイルの毒親よりも自省するケースが多く、そこから和解に至ることもあり得ます。私と私の母のケースはまさにそうでした。
 ただ、このタイプの毒親は仮に和解できたとしても子供の自立や交際結婚前後に問題を起こす可能性が考えられます。親が回避的、内向的ゆえに、子供が自立する際に「親を残して大丈夫か?」と心配になったり、結婚(交際)相手の家族との面会を忌避したりすることから、子供が自立、交際・結婚に対して罪悪感を抱くことがあり得ます。和解はあくまで一つの過程に過ぎず、和解後に自分自身はもちろん親には親自身で健全な自己愛や愛着を再構築してもらう必要があります。


③混合型愛着スタイルの毒親

 このタイプの毒親は、「肝心な時に力になってくれない親」と言えます。機嫌が良い時は過保護になり、一度機嫌が悪くなると無干渉になったり、無関心を装います。また、兄弟姉妹間でのひいきが激しい親もこのタイプです。私の毒祖母はこのタイプにも該当します。パーソナリティ障害の可能性としては、①、②で挙げたもの、特に境界性パーソナリティ障害がもっとも当てはまります。

【チェックリスト】
・①不安型愛着スタイルの親、②回避型愛着スタイルの親のチェックリストのそれぞれで複数個該当する
・都合や機嫌が良いと過干渉、過保護だが、一度都合や機嫌が悪くなると無干渉、無関心になる
・自分の興味関心があることや得意分野では積極的にかかわるが、苦手な分野では何もしてくれない
・幼少期は過保護、過干渉だったのに、成人、自立後は無関心、無干渉になった
・幼少期は無関心、無干渉だったのに、成人、自立後に過保護、過干渉になった
・兄弟姉妹間でのひいきが激しい、それぞれの養育態度が平等でない
・言動に一貫性がなく、極端に大きく変わることがある(例:子供に散々自立を促していたのに、いざ自立しようとすると「親を見捨てるのか」と態度を急変させる)

 このタイプについても基本的には前述の毒親たちと同じで、回避型愛着スタイルの傾向が強い場合は、和解の道も残されているかもしれません。ただし①、②の特徴が両方とも強い、あるいは日によって大きく変動するのならば、和解は困難だと思います。もっともこのタイプが①不安型愛着スタイルの親よりも厄介になり得るのは、「発言や態度を頻繁に翻すから」です。このタイプの親は、一時は和解まで至りそうだったのに突然態度を豹変させて子供を責め立てたり、話し合いで決めたはずのルールを「そんな覚えはない」と言って反故することがあります。そんな掌返しに逐一対応していては、とても身も心も時間も足りないので最終的には離別や絶縁を決することを強く勧めます。


なぜ《対決》するのか

 不安定な愛着スタイルが起因する毒親は、残念ながらそう簡単には変わらないし、変えることもできません。つまり発達障害や外的環境に起因する毒親のように、「親以外の何かに責任転嫁すること」が難しいのです。そうなると、やはり子供は親自身(親のパーソナリティ)を容認することは相当難しく、和解はなかなか叶わないでしょう。ただ、和解はできずとも毒親が子供を傷つけ続けた事実は絶対に変わらず、その時抱いた感情や思いを諸悪の根源である毒親にぶつけるしかないと私は思います。なぜなら毒親との関係を曖昧にすることは、自分自身のパーソナリティや自分が抱いた感情、生きづらさを無視することになるからです。

 毒親と《対決》を図るのは、自分の感情や主張を受容して表現することです。私はこれを自分の手に自分の人生を取り戻す第一歩だと認識しています。人生を取り戻すとは、毒親のせいで失った自己肯定感や健全な自己愛を取り戻すことです。それは、今後「毒親と同じような精神を持った人間」に利用されないようにするためでもあります。具体的に言えば、DV、いじめ、モラハラ、ストーカー、セクハラといった不健全な事象の当事者(加害者、被害者、傍観者)にならないということです。

 自分の親を大なり小なり毒親と認識しているにもかかわらず、「もう自立しているからいいか」と見過ごすのは、非常に危険だと私は強く主張します。後に交際、同棲、結婚、出産、育児といったライフステージにおいてパートナーや自分の子供、周囲の人を傷つけてしまったり、自分が被害を受ける可能性を大いに孕んでいるからです。親から浴びせられた言葉や幼少期に見た親の態度は想像以上に深く刻み込まれていて、咄嗟に出たその言動が未来の子供やパートナーを傷つけてしまうかもしれません。毒親に奪われた自己肯定心や健全な自己愛を取り戻さないと、毒親の精神に似通ったパートナーからまた同じような仕打ちを受けたり、さらにそのパートナーの家族から傷つけられることもあり得ます。
 このような毒の連鎖は、親子間だけの問題に留まりません。未来の自分自身、パートナー、子供、周囲の大切な人を守るため、健全で安全な生活を送るため、そして毒の連鎖をを断ち切るためにも《対決》は必要不可欠なのです。


赦さなくていいから《手放す》

 もちろん親と和解するに越したことはありませんが、現実的にはなかなか難しいものです。《対決》を果たしたとしても親への怒りや憎しみは一朝一夕では消えないはずです。親を真の意味で赦せるのは、和解をした上で「自分自身と親が変わることができた時」だけです。それ以外は、そもそも「親自身が自分の過ち(毒行為)に気がついておらず」、罪の意識がないことが圧倒的に多く、もはや赦す/赦さない以前の問題です。

だから、毒親を赦す必要などありません。

 ただ親へ抱いた確かな怒りや憎しみ、親から受けた傷や負の感情だけは、自分自身で認めて消化していくしかありません。しかし、それらに縛られながら今後をずっと生きていくのは辛いでしょう。いつかその傷や感情を何処かにそっと捨てる、つまりは《手放す》ことができればいいと私は思うのです。
 事実私たちは未だに毒祖母を赦してはいないし、私の母についても「赦している途中」と言えます。毒祖母に至っては自分の罪にまったく気がついていないので赦す必要などないと思っています。謝罪や詫びなど要らない代わりに、「もう関わらないでほしい」が真の願いです。それが、ある意味私たちにとっての《手放す》ことかもしれません。そして毒祖母から受けた、私たちが彼女に抱いた負の感情諸々を本当の意味で手放せるのは、毒祖母の命が尽きた時だと私は感じています。それは毒親、毒家族を持つ者の“宿命”だとも思っています。


参考文献

☆『毒になる母 自己愛マザーに苦しむ子供』 キャリル・マクブライド著
『毒になる親 TOXIC PARENTS』 スーザン・フォワード著
『「毒親」の正体』 新潮新書 水島広子著
『愛着障害』 光文社新書 岡田尊司著
『パーソナリティ障害』 PHP新書 岡田尊司著

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 今回もご覧いただきありがとうございました。次回は毒育ち目線の感想か毒親に関する考察を予定しています。



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