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【巻末解説】『[新版]おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流 下』【解説:臼杵 陽】

混迷のパレスチナ情勢。6月にはガザ地区での停戦を含む国際連合安保理決議が採択されましたが、依然緊張状態にあり、先の見えない日々が続いています。多民族・多宗教が絡み合う古都・エルサレム。日本にいると見通しにくい、この地の複雑な歴史と社会とは?
7月5日上下巻同日発売のラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール著/村松 剛訳『[新版]おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流 下』より、巻末解説を特別公開します。


解説―小さな古都を巻き込んだ紛争の裏側

 臼杵 陽(政治学者・日本女子大学教授)

「バルフォア宣言」が発端となった

 この物語は、1947年11月29日に国連総会でパレスチナ分割決議が採択されたことが出発点となる。パレスチナ分割決議とは、イギリスの委任統治領パレスチナをアラブ人国家とユダヤ人国家、そしてエルサレムなどの国際管理地に分割するというものだ。アラブ・イスラエル紛争は、このパレスチナの分割をめぐって、その領土をアラブ人とユダヤ人が争ったために起こったのである。
 このような争いに至る発端となった出来事は、1917年11月2日にバルフォア英外相から英国ユダヤ人協会会長であるロスチャイルド卿に当てた「パレスチナにユダヤ人のための民族的郷土を建設する」ことに賛意を表明する「バルフォア宣言」が出されたことである。この宣言に端を発して、今日に至るまで両民族間の争いは続いている。もちろん、このバルフォア宣言の文言では、ユダヤ人の「民族的郷土(a national home)」の建設に賛意を表明しただけで、「ユダヤ人国家(Jewish state)」とは明記されていなかったことは確認しておく必要がある。その後イギリスは第二次世界大戦の勃発直前の1939年5月に公表されたパレスチナ白書において、バルフォア宣言に基づくパレスチナ政策を事実上破棄し、アラブ人国家を建設すると表明した。
 第二次世界大戦が終結した時点では、イギリスは独立を達成したアラブ諸国との関係を重視するようになっていた。イギリスは中東における自国の損失を最小限に留めてパレスチナから撤退することしか考えていなかった。そんなイギリスに対して、ユダヤ人国家建設を目指すユダヤ人シオニストもその支援国をアメリカへと変えていた。以上の混沌とした政治状況のなかで聖地エルサレムをめぐるこの物語は始まる。
 エルサレムは、同じセム語族に属するヘブライ語ではイェルシャライム、アラビア語ではアル・クドゥス(聖なる場所)と呼ばれる。後者のアラビア語はユダヤ教のカディッシュ(ヘブライ語で「神への賛美」)と同じ語源である。エルサレムをそれぞれの宗教がそれぞれ使用している言語でどう呼ぶかということと、その語源を併せて考えると、この聖都の三つの一神教の共通の聖地としての重要性が見えてくる。当然ながら、三つの一神教とは、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラムである。

日本で知られていないアラブの指導者たち

 この物語の中では、イスラエル建国前の戦闘で殉教者となったパレスチナ・アラブ人の軍事指導者であるアブデル・カデル・エル・フセイニ(1907~48年)の死にまつわるエピソードをも取り上げる。この戦闘はカステルの戦いと呼ばれ、イスラエル建国直前に行われた双方側の戦いの分岐点となった。カステル村はエルサレムの入口にある軍事的に要衝の地である。
 パレスチナ現代史について少しばかり調べると、このパレスチナ側のヒーローであるアブデル・カデルについてはアラビア語では多くの研究書が出版されているにもかかわらず、日本ではほとんど知られていない。その叔父に当たるハジ・アミン・エル・フセイニ(1896~1974年)とともに、パレスチナのアラブ人によるシオニスト・ユダヤ人との戦いを語るときには避けて通れない人物である。ハジとは、メッカ・メディナにあるイスラームの聖地への巡礼(ハッジ)を果たしたものに与えられる称号だ。
 ハジ・アミンはイギリスによる委任統治が始まった時にパレスチナ宗教行政の最高責任者であるエルサレムのムフティ職に任命された。ムフティはイスラーム法に基づく裁定(ファトワ)を行ない、パレスチナでは「大ムフティ(Grand Mufti)」と呼ばれた。ハジ・アミンは一九三九年にアラブ大反乱の責任を負わされてイギリスによってその宗教的公職を追放されてから、イギリスの敵であるヒトラーのナチス・ドイツの下に逃れ、第二次大戦中は「敵の敵は味方」の論理でナチスと協力して枢軸側のために戦った。そのため、彼は当然ながらシオニストのユダヤ人から見れば「悪魔」同然の人物とみなされている。
 この物語でもアブデル・カデルとハジ・アミンの二人は同じフセイニ家の出身者でありながら対照的に描かれている。フセイニ家は古都エルサレムに古くからあるムスリムの名望家の一つであり、エルサレム旧市街で長い間行われてきた祭りを主宰していた名家なのである。
 もう一人、パレスチナがアラブ世界全体の大義として語られるときに挙げられるのが、この著作の中でも大活躍するファウジ・エル・カウクジ(1890~1977年)である。彼はレバノン生まれではあるが、「パレスチナの大義」のために1936~39年のアラブ大反乱で義勇軍の指導者として活躍し、一九四八年のアラブ・イスラエル紛争の際もユダヤ人の国家建設の前に立ちはだかった人物である。
 さらに、アラブ側のヒーローを挙げるならば、イギリス人の軍人でありながらグラブ・パシャ(パシャはオスマン帝国における政府・軍高官などに対する尊称)と呼ばれた男。トランス・ヨルダン(現在のヨルダン・ハーシム王国の前身の国家。字義どおりには「ヨルダン川の向こう岸」(ヨルダン川東岸)を指す)のアブダラ王の側近であった人物である。グラブは後のヨルダン王国の国軍となる「アラブ軍団」を指揮し、イスラエル側がもっとも恐れた軍人の一人であった。
 ユダヤ人国家のイスラエル建国の物語が中心的なテーマであるこの著作の解説をアラブ側の登場人物から始めたのは、アラブ側の登場人物が日本ではあまり知られていない事実があるからである。この作品を読むうえで特に強調したいのは、ユダヤ人とともにアラブの人びとも実に生き生きと描かれていることだ。もちろん、この著作の中心的テーマは「イスラエル国」(イスラエルの正式名称)の独立に至るエルサレムをめぐる攻防戦でのユダヤ人たちの活躍である。

三つの宗教が重なる小さな古都

 エルサレムという古代から存在する都市は、オスマン帝国期から近代に至るまでは城壁に囲まれた地域を指していた。現在では城壁内の部分は「エルサレム旧市街」と呼ばれている。十九世紀末以来、ヨーロッパからのユダヤ人のパレスチナへの移民が始まると、城壁の外側にユダヤ人地区が形成されることとなった。以来、ユダヤ人の移民はナチス・ドイツによるユダヤ人迫害も加わって急増することになる。
 イスラエルの初代首相のベン・グリオンが新国家の独立を宣言するのは1948年5月14日。その後、年が明けた1月、憲法制定選挙が行われ、選挙結果に基づいて翌月、ハイーム・ヴァイツマン臨時大統領が建国後最初の議会を招集した。かつての国会があった場所は、旧市街から東西エルサレムの境界線上にある独立公園を横切れば旧市街の「新門」から歩いて十五分もかからない。
 この新門というのは十九世紀末にドイツのヴィルヘルム二世がエルサレムを訪れた時に旧市街の城壁に穴を穿って新たに作られたとされるため、そのように呼ばれている。また、エルサレム旧市街を見下ろす場所であるオリーヴ山頂にあるオーガスタ・ヴィクトリア病院はもともとこのドイツの皇帝の妃の名前にちなんだものである。この新門の前の道路を隔てたところにある大きな施設が、聖地巡礼者のためカトリック宿泊施設ノートル・ダム・ド・フランスだ。この場所もアラブ人とユダヤ人が対峙する位置にあったため、戦いの最前線となり、エルサレム旧市街をめぐる激戦地の一つになったことは本作の中でも生々しく描かれている。
 ここまでこの著作で描かれている戦いの舞台となった聖地エルサレムについて具体的に述べてきたが、現地を訪れてみればそれぞれが実に近接した場所にあり、そんな狭い場所でアラブ人とユダヤ人との間で激しい戦闘が行われたことがわかる。エルサレムという街自体が標高750メートルほどの高地にある。したがって、イスラエルの首都とはいいながら、やはり古都であるがゆえに、その狭隘さも当然といえば当然であろう。
 ところで、高地にある聖都エルサレムの入口までのハイウェイは急峻な坂道である。坂道では荷物を満載した大型トラックなどはスピードが出ないので、片側二車線の高速道路ではどんどんと乗用車に追い抜かれていく。冒頭で述べたカステル村もこの坂道を上ったところにあるのだ。
 エルサレムという聖地の宗教的な象徴性を考えると当然であるが、世界史の長い時間の中でエルサレムのもつ「魔力」は複数の世界宗教の共通の聖地であると同時に、ナショナリズムを鼓舞する場所としても働いている。1948年7月に停戦を迎えるとエルサレム旧市街はヨルダン領になった。イスラエルのユダヤ人にすれば、ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁(西壁)」での礼拝が、1948年から1967年の第三次中東戦争でエルサレム旧市街を占領するまでの間、できなくなるという異常な事態が続くことになったのである。もちろん、欧米などの国々の旅券を持ったユダヤ人はヨルダンに入国し、ヨルダン川に架かるアレンビイ橋を越えてエルサレム旧市街にアクセスできるので、この聖地で礼拝できたのではある。1994年にイスラエルとヨルダンとの間に外交関係が樹立されるとそのような問題も解消された。

紛争は新たな展開を迎える

 1948年7月の停戦を経て、エルサレムは結局、東西に分割されることになる。東エルサレムはヨルダン領に、西エルサレムはイスラエル領になるからである。この物語ではエルサレムが東西に分割されるところで終わるが、周知のとおり、1967年の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムを含むヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島、そしてゴラン高原を占領した。換言すれば、エルサレムは旧市街を含めて、この戦争でイスラエル側から「統一」されたのである。さらに1980年には、イスラエルはこの東西統一エルサレムを永久の首都とすることを記した基本法を制定した(イスラエルというユダヤ人国家には憲法がなく、基本法で運用している)。この物語は建国をめぐる話ではあるが、第三次中東戦争後、このように変転してきたエルサレムの現状を念頭に置いてこの作品を読むとまた違った視角から楽しむことができるのである。



書誌情報

アラブ・イスラエル紛争の原点を徹底取材した不朽の名著、待望の新版!
アラブ、ユダヤ、イギリス、当事者たちの膨大な証言をもとに、ユダヤ人国家建設を巡る衝突の一年を再構築する。
反目するハガナとイルグン、すれ違うアラブ諸国、対立は混迷を深めていく――。1948年5月、イギリス軍撤兵と共にユダヤ人国家イスラエルの建国が宣言され、エジプト、トランス・ヨルダンとの間で戦端が開かれる。初代首相ベン・グリオンは、物資が断たれたエルサレムへの補給を厳命、一方のアラブ勢力も足並みが揃わずにいた。二千人をこえる当事者の証言を通じ、聖都に生きた人々の信仰と戦いを描き出す圧巻の長編、待望の新版。

作品名:[新版] おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流 上・下
著 者: ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール
訳 者: 村松 剛
価 格:各4,400円(税込)
発売日:2024年7月5日
I S B N:978-4041149348(上) 978-4041149355(下)

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