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なぜ結婚もしていない私が子育て支援を前進させたいと思うのか?

私は幸せに生きたい。
周囲の人の幸せが私の幸せである。

幸せとは居場所があることだ。

居場所とはいくつか意味合いがあるがこの場合は①有用感②安心感③ありのまま④被受容感⑤連帯感⑥内省の6要素を満たす関係性を持つということだ。

その最初の単位に家族がなればいいと思う。ていうか家族がその最初の単位だ。
友人の家族が幸せならば私も幸せだ。

居場所=幸せ、になるような家族が全ての家族で成り立てば世界は平和になると思う。めでたしめでたし。


…とまぁ少し論理が飛躍しすぎたので単純にまとめると、私は覚悟を決めて契約で結ばれたパートナーと老後に世界旅行がしたいし、私の生き様が投影されたかもしれない自分の子どもと酒を飲んでみたい。

メディアに彩られたつまらない人生だと思うだろうか。
知らぬが花だ。私がそれでいいと思うのだからそれでいい。

もちろん、生涯独身の人もいるし、シングルの人もいる。だからこれは私の妄想として割り切ってほしい。そして、何を隠そう私自身も現在独身だ。将来どうなるかなんて誰にもわからない。こんなことを言いながら生涯独身で過ごすことになるかもしれない(その場合私は不幸かどうかという話は別で話そう)。だが、家族ができた時に少しでも不安のない未来を描きたいと思っている。

さて、家族の居場所を守るためには何が必要だろうか。

奥さんや子どもが死なないための医療技術の進歩であろうか。
某アパレル企業のある金持ちのようにお金をみんなにばら撒き歩くことだろうか。

そうではない。(と思う)
圧倒的に子育て支援の充実が優先的に解決すべき問題である。
お金をその場凌ぎでランダムに配ることになんの意味があろうか。全体は根こそぎ変えてこそだろう。それができる仕組みを作るのが今求められていることだと思う。

ていうか、まず、子育て支援が十分でないと家族ができないよね。
子供を産む気になれないなんて、もうそれだけでゲーム終了だよ!
ていうかゲーム始まってないよ!!!
バスケさせてくれよ!!安西先生!!!

(医療に力を入れるということでいうと私がやってきた産後うつ対策は近いが遠いと思う。産婦人科の先生から聞いて驚いたのだが「これまではいかにお産において母体を大量出血や感染症から守るかを考えていた。しかし振り返ってみるとお母さんが家に帰ってから産後うつになって心を病んで自殺してしまう数の方が多かった。」という事実がある。もはや、医療だけで済む話ではなくなっていたのだ。)

後の理由はまぁ子どもとの関係性なんて成人なる前に決まるんだからそこまでの制度以外を考える優先度は低いよなーという考察度数低めの理由である。すんません。

家族の居場所なんて各家庭でやってくれと感じるだろうか?

そんなこと考えてるからこのような問題が生まれてくる。

「親ガチャ」と呼ばれる出自の良し悪しを揶揄するスラングが蔓延り、「経験か学歴か」論争が勃発する。富裕層と貧困層の経済・情報格差、要は生まれた環境の差で人生が決まり、逆転不可能になりつつある。アメリカンドリームはいづこやら。


親は子どもを産む産まないを決めることも、誰と育てるか、いつ産むか、どう育てるか、諸々決めて行動に移すことができる。

しかし、子どもは何も選べない。
いつ生まれるか、どこで生まれるか、障害を持って生まれるか。
女に生まれるか男に産まれるかすら選べない。
何を持っても生まれ出ない。

子が無条件で親に愛されるのではない。
親が無条件で子どもに愛されている。

そして、家族の居場所は子育て支援の充実化で守ることができる。
しかし単純なライフスタイルの違いで片付く問題ではなく、コミュニティー全体で考えていかなければならない問題であることを改めて認識すべきだ。

なぜなら、昔と違って今の家族の形態は大きく変わってしまったから。。。
家族の居場所と言いつつ、家族の居場所はなんと家族だけで構成されるものではない。

だからこそ、私たちは子育て支援を考えることで、生まれてきた子どもが出自を選べないという機会の不平等の是正に向き合い、旧時代の制度で急激に進化する子育てを、AIとの共通基盤を見出しながら、フラットな目線で再構築していかなければならない。

ならない、ならない、ならない。Sirannkedo Mo。

さて、論題に回答する。
「なぜ結婚もしていない私が子育て支援を前進させたいと思うのか」

子育て支援の前進が自分の幸せのために向き合うべき問題であり、そのために今の結婚していない自分の方が周囲や次世代を巻き込み、目標を達成しやすいポジションにいるからだ。

私は今、結婚したい、家庭をもちたい、子どもの成長を守りたいという夢を持つただの独身学生であるが、だからこそ無知のベールを被って子育て支援に何が必要で何が魅力的に映るのかフラットな目線で眺めることができる。そして、私の方が、すでに結婚して家庭を持った人の「子育て支援は大事だ」という言葉よりも、他の独身学生の子育て支援への興味を掻き立てることができる、だろう。

結局多くの人に参加してもらわないと行政の支援なんて変わらないんだから、思い立った私がまずは動こう。これまでの子育て支援ももちろん必要である。必要であるが、このアナログな子育て支援ではマンパワーに限界があることを示そう。子育て支援をDXできるのも私の強みであり、これから子育てを効率化、担い手を多様化させていくのに必要なことだ。

以上が私が考える今子育て支援に取り組む理由である。

実際のところこれが正しいかどうかは考え続けるしかないし、他にもいい方法があるなら教えてほしい。

そして、もし想いに共感してくれる人がいるならば一緒にやろうじゃないか。
そんな素敵なことはない。

私は全く異なる意見も歓迎する。
(ムッとはするかもしれないけどそれは許してね。)

ではでは。

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