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社会の変化に対応できないと本当に「生き残れない」のか

キングコングの西野亮廣さんがVoicyで
「頑張らないとダメです。社会で残れるわけないんだから」
とグゥの音も出ないド正論をいただきました。

一見当たり前のことだけど、みんな何となく口に出すのが憚られていたことをストレートに伝えるのが本当に上手ですね。

今回はそのことから始まり、「生き残る」についてぐるぐると掘り下げて考察したことをまとめてみます。

放送内容とは微妙にズレてるのですが、いちおう今回聴いた配信を貼っておきますね。

西野さんをはじめ、インフルエンサーの人たちがよく
「これからは社会の変化に適応できないと生き残れない時代だ」
とか言ってますよね。

AIには触っておけとか、とにかく時代の流れについていかないと大変なことになるぞみたいなちょっとプレッシャーになりそうな言葉です。

一方で僕の会社には、スマホは電話とカメラしか使えないような50代60代が何人もいます。
彼らはずいぶん前から「スマホくらい使えるようにならないと」と会社から言われているのですが、彼らにそんな努力をする気はまったくありません。

そんな姿勢のまま数十年を乗り切り、未だにFAXでないと文書のやりとりもできない彼らのルールに僕たちが合わせることで何とか仕事として成り立っています。

おそらくまともな会社ならこういう人たちは淘汰されていくのだと思いますが、生産性の低い中小企業では、変化に対応できない人たちでも普通に仕事をして生活できているのが現実です。

もちろん今はそういう状況がたまたま続いてるだけできっかけ一つで状況が一変する可能性はあるのですが、今のところ彼らにとっては「変化なんてしなくても十分生きていけるじゃん」なのです。

ではよく言われる「生き残れない」とは何なのか。
あらためて考えてみます。

「生き残る」とは可能性を上げること

「生き残る」という言葉から想像するに、その反対には「死」のような概念があって、それはたぶん「ゲームオーバー」のような状態ではないかと考えました。

プレイヤーが何らかのゴールを目指すゲームにおいては他者よりも効率的にゴールに近づくことが求められます。
その結果、ゴールから遠いプレイヤーは「ゲームオーバー」という形で退場を余儀なくされる。

現実社会で何かを目指すなら、社会の変化に適応できたほうがいいよというのが僕の解釈です。

何かを目指さないという生き方

僕はこういう話をよく人にするのですが、
「自分にはやりたいことなんてまったくない」
とか
「毎日酒飲んでダラダラできればそれで十分」
みたいな人が多いことにけっこう驚かされます。

努力してより理想に近づくことよりも、目の前にある毎日の暮らしが平穏であればそれで十分という価値観においては、努力や変化なんて面倒なことでしかないのでしょう。
「何かを目指さない生き方」を選び、幸せになれるならそれが一番です。
多くを求めずに満足感を得られるのならそれが理想なのかもしれない。

「楽して儲ける」なんて魔法はない

それでも僕は「何かを目指すゲーム」が好きな人間です。

社会の動きにアンテナ立てて情報集めて、効率的に稼いで生活を豊かにして、何を学んで何に投資してどんな資産を持って…なんてことを四六時中せかせかと考えています。
この記事を読んでいる中にもそういう方は少なくないと思います。

今回の西野さんのVoicyの内容をざっくりおさらいすると、ある会社が運営するYouTubeチャンネルで「頑張らなくていいんだよ」的な内容を配信していたそうです。
そういう耳障りのいい動画は再生回数がよく回るのでそういう内容の発信を続けていました。

その結果、採用面接に「そういう傾向の人」が集まることになり、とはいえ仕事の現場ではどうしても頑張らないといけない現実と向き合うことになり、結局、多くの人は辞めてしまったという話です。

さっきは「多くを求めず満足感を得られるのならそれが理想かも」なんて書きましたが、それはあくまで「多くを得られなくてもストレスを感じない人」の場合です。

そういう価値観を自然に持っているならいいのですが、本当はいろいろ欲しているのに欲しくないフリをしながら「楽して儲かるチャンスが降ってこないかな」なんて待っていたら詐欺にも引っかかります。
結局『何かを望むなら努力するしかない』というド正論に落ち着きます。

最後に。
ここにきて話をひっくり返すようですが
「努力する才能」というものがあるそうです。

努力して成功した人は
「俺ができたからみんなも頑張れば絶対できるはず!」
とか言いますが、どれだけ努力できるかには実際個人差はありますよね。

努力することとその努力が成果につながることはイコールではないのが正直なところだと思います。

そこを踏まえて、何者でもない僕らは成功者の言葉はその通りに受け取らず、成功体験の一つとして参考程度にしておいたほうがいいと思っていたりします。

一緒にがんばっていきましょう!
ではまた。



改めて『離職率』の計算方法をおさらいしましょう。

離職率 = ある期間内に辞めた人の数 ÷ ある時点での全社員数
たとえば3月末の社員数が100人で、それから一年以内に20人辞めたとすれば、その年の離職率は20%になります。

離職率が上がってしまう原因は
①辞める人が増える
②社員数が減る

のいずれかです。

そのため会社は辞める人が増えないように社員満足を上げるとか採用条件を見直すことになるのですが、基本的に会社としては新たな出費が増えることになります。
このコストをかけられる会社はいいのですが、多くの中小企業にはそんな余裕はありません。
経営者は「そんな余計な金なんて出せるか!」と怒り出してしまいます。

でもそのままでは社員はさらに減り、少ない人員でそれまでの業績を維持しようとすれば、社員一人ひとりに課せられる負担は大きくなります。

こんなオワコン会社でも、そこで働いて生活している人たちにすれば

離職率の話がなぜ必要か

持っていきたい結論
「応募者を選別できる会社はいいよね」
「中小は事情が違う」→ここから考えを進める 考察

楽しくて給料のいい会社には働きたい人が集まるから選別される。
そこで選ばれなかった人は少し条件を下げた会社に集まりまた選別される。
そうやって選別から漏れるたびに条件が下がり続けると、その人たちの選択肢は2つになります。
①ある程度のお金がほしいから頑張って成果上げます
 →集金ゲーム
②給料が安くてもそれに見合った生活します
 →節約ゲーム

どちらかのゲームに参加せざるを得ない状況が「生き残る」なのか
集金ゲームで勝者になれば生き残りでは?
節約ゲームでもそれが満足なら?

生き残る=不幸でない?
生活レベル下げ、満足のハードル下げに成功するのも「生き残り」

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