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『父の命日にしたことは』(長文にて)

『父の命日にしたことは』(長文にて)

6月13日 父の命日

彼を思って泣いたこと
それは、悲しいよりも「ありがとう」の涙でした。

今から14年前、父は63歳でこの世を去りました。
私が33歳の時でした。

仕事人だった父と過ごした時間はそんなに多くなかったけれど今でも私の心の中で彼は生き続けています。生まれてこの方、父を嫌いになったことがなく、超ファザコンな私はなかなかに男性を見る目が厳しい気がします。

父に怒られたり、叱られたことはなく
かなり甘やかされて育ったようです。

息子が欲しかった父は私を息子のように感じていたのかもしれません。

母のお腹の中で元気に蹴る私。
この世に生まれ落ちるまで男児誕生!と信じていた父。
まさかの女児だった五十嵐家次女の私。
父はショックのあまり、その日家に帰らなかったそうです。
(そんなに男児がよかったのかよ父さん^ ^)

そのおかげかどうかわかりませんが
父には息子のように可愛がられました。

小さい頃はキャッチボールしたり、大人になったら一緒にパチンコ屋やゲーセンに連れて行かれました。ラーメン屋さんとかもよく一緒に行ったかな。

ほんとに不思議な人で
父として偉そうにすることなかったけど今になるとその凄さを感じるのは自分の信念を持って娘とも話していたからでしょう。

彼が私に信念を伝える時は、
怒ることなく、叱ることなく、諭す感じでしたね。
かといって穏やかというのとはまた違って、とても情熱的な人でした。

仕事の話は日常でよくしてくれました。
ほとんどが人との関わりについての彼なりの考え方を私に教えてくれました。それはきっと父なりの娘に威厳を示す自慢だったのかもしれません。

その内容は部下を思う気持ちにあふれていることが多く、この人はとても人間らしい人だなと子どもながらに感じていました。

今、私が関わる人に伝えていること
人との関わり方やチームビルディング、人間らしく生きることについてはほとんどが父が教えてくれたことです。

父が亡くなってからの方が父とよく会話をしているように感じます。

父が生前遺してくれた手紙が20通ほど手元にあります。この手紙には父の生き方、在り方が詰まっています。

私にとっての唯一の宝物はこの父からの手紙です。
(私は意外とほぼ物欲はありません笑)

いつか父の手紙を公開しようと考えています。彼の生き方、考え方から学ぶことがとても多いと感じたからです。

久しぶりにこの投稿を書くために父の写真を探しました。
なんと!自由の女神前で撮影!
でも、N.Y.じゃなくてお台場にて^ ^

今日は眠りにつくまで父との時間を楽しみます^ ^
父の好きだった小田和正さんの曲を聴きながら♫

♪〜言葉にならない 小田和正
♪〜風の坂道    小田和正
♪〜伝えたいことがあるんだ 小田和正
♪〜風のように   小田和正

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