9/12 マインドブロックありなぼくはどう考えたのか?


マインドブロック・・・。

それは、歳を重ねるごとに増えていく。
知識や経験を重ねるごとに増えていく盲点のようなものがマインドブロックであるように感じている。

マインドブロックとはいっても、抽象的だと思う。
例えば、ぼくは人との会話や文章を書くことにマインドブロックがかかっていた。

特に最近は書くことにマインドブロックがあった。
まず、書くことが浮かばないというブロックである。そして、なんでも書けばいいということをどうしても思えなかった自分がいた。ということは、なんでも書いてはいけないというマインドブロックがかかっていたのである。

では、どうすれば、マインドブロックが外れるのか。読んでいる人は気になると思う。
しかし、残念なお知らせをしなければならない。ぼくには答えられないんだ。

実を言うとぼくにも、文章を書くことがこんなに書けるようになったのは、
あるとは思う。けど、明確にこれだ!というものがない。

その前に苦しんでいたのはあった。悩んでいた。なぜ書けない。何を書けばいい。
自分に書けるものってなんだなど。

その間は苦しい時間だった。

だからインプットに徹した。書くのをお休みした。書くことをしばらく休んだ。

マインドブロックを解除するにはマインドブロックに気づくことが先決だと思う。

気づけばキョリが生まれそこに思考の余地が生まれる。

客観的になれるということだ。

紙に書いてもいいし、パソコンやスマホにメモってもいい。

そこから一歩引いてみるのがいいかもしれない。

悩んでいてもいい、気にしてもいい。でも一歩引いた目線で見てみることで何か浮かんんでくると思う。

いつ浮かぶかわからない。人それぞれだから。

マインドブロックとはその人の経験や知識によって構成されると思われる。
いわば常識のことなのだ。

ある偉人が常識とは18歳までの偏見のコレクションと言っていたか。

ぼくたちは結構偏見で物事を見ていることになる。

偏っているってことがポイントだ。今の時代、苦手を克服することよりも得意を伸ばすことに注力しているようにぼくには思える。

個性を鍛えることは、多分、偏ったものになると思う。

なぜなら、個性を考えてみるとわかりやすい。

好き嫌いで世の中を見ていたら、自分が好きな人間だけは好き。嫌いな人間は視界に入れたくもない。そうなるだろう。でもそうやって、生まれる自分の世界観には魅力が溢れてくるものか?

ぼくは、嫌いな人の意見も聞くべきだと思っている。もちろん、簡単にできることではない。だからこそ、そんな人の意見に耳を傾ける価値があると思うんだ。

うまく理由を説明できないけど、好きと嫌い両方の目線に立てる人間は強い。

自分が本当に欲しているものって自分が嫌いなものの中に案外落ちていることがある。
あるいは興味のないことにも落ちている。

そういうところが盲点になっている。

だから、ぼくはマインドブロックもそういう面があると思うからまずは自分で気づいて
それからどうすればいいのか?という段階の時に自分の嫌いor興味がないものに目を向けてみるのもいいかもと思っている。

さて、今回はマインドブロックに関して考えてみた。

ではまた別の記事でお会いしましょう!



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