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ミルハウザーは、すれ違いざまにいつも囁く。「あなた、それ信じてるの?」

タイトル作『ホーム・ラン』は、打球が大気圏を突破して、ケンタウルス超銀河を抜け、いまも飛び続けているとアナウンサーが実況している。

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本書に収められた八編は、2015年に刊行された『Voices in the Night』の十六編のうちの八編。なぜ半分になったのか?十六編の単行本は持つには重すぎて読み難いし、値も張るから。

本書の八編。
好きな物語も、そうでもないものもある。
不良老人ジュニアのくせに、時々妙にスクェアになってしまって、ケンタウルス超銀河どころかいまでも宇宙の果てに向かって飛んでいるホーム・ランボールの物語が何を示唆しているのか探ってしまう。探り始めた途端、物語をピュアに楽しめなくなる。つまらんことだ!

この本は図書館で借りてきた。受け取って読了するまで、それに気が付かなったが、巻末に<短編小説の野心 スティーブン・ミルハウザー>という一文が付いていた。

冒頭をすこし…

短編小説 ― 何と慎ましい物腰!何と控えめな態度!大人しく座って、目を伏せ、わざわざ気づかれぬよう努めているみたいだ。
万一あなたの注意を惹いてしまったら、すかさず健気にして自虐的な、あらゆるたぐいの失望を覚悟している声で、「いえ私、長編じゃありませんから。短めな長編ですらありません。もしそういうのをお探しでしたら、私、違いますから」と言う。
これほど別の形式に威圧されている形式もほかにない。私たちもそれで納得する ―

おもしろいでしょ。いかにもミルハウザー。
この後、彼は短編を一粒の砂に例え、浜辺に寄せる波も、大洋も、大洋をゆく船も、船に照りつける太陽も、宇宙も、それこそ世界そのものがこの砂粒に含まれていると続ける。
その文章がなんとも、ミルハウザー。

#"それ”を鏡に塗ると、長い年月、諦めて、埋もれて、圧縮されて、忘れていた自分本来の姿が映し出される。
それは主人公の、“使われなかったもうひとつの人生”だ。
主人公は覚醒し、日々の暮らしは徐々に充実していく…かない。
ミルハウザーだもの。

訳者の柴田元幸さんが考えるミルハウザー作品共通のテーマは、「ここではないどこかへの希求、その恍惚と挫折」
今回の八編からもそれはうかがえる。

#後は死を待つだけ。あるいはもう死にたいという人たちに、「死」のためのノウハウ、機会を提供する施設の話。

#ガウダマ・シッダールタ。
あの方が王家を囲む壁を抜けて、森へと向かう話もある。

ぼくが好きなのは、比較的裕福で穏やかな人たちが住む郊外の街を舞台に、住民だれもが気がつかぬ間に起こる異変の話。『私たち異者は』の「平手打ち」のような。

#他者から常に羨まれる安全、安心、清潔、平穏で事件などとはおよそ縁のない町で自死が連続する。だれにも原因が思い当たらない。そうしているうちにも自死が次々と.…
欠点が無い町に暮らし、平穏に天寿を全うする。それは幸福なことと言われているが…

―ここではないどこかへの希求、その恍惚と挫折―

読み終わると、いつも彼がすれ違いざまにこう言う。
「あなた、それ信じてるの?」

おもしろい本です。
よかったら。

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