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【横浜】第2回 文化の発信地~明治維新、文明開化~

こんばんは!今週は研究授業・行事等々で慌ただしく、体調がすぐれない日もあり、なかなかにハードでした(よくよく考えてみると、今年初の5日間出勤)。子どもたちは、もっと大変だったと思いますが…今週も、たくさん助けられました。

そんな多忙な1週間でしたが、良書に出会いました。古市憲寿さんの『絶対に挫折しない日本史』です。社会学者ならでは文章で、最後まで楽しく読むことができました。歴史を学ぶ面白さを実感した1冊でした。皆さんも是非。

https://www.shinchosha.co.jp/book/610876/


さて、前回から、「横浜」のお話をしていましたね。第1回がまだの方は、そちらからお読みください。前回は、江戸の「横浜」を見ました。今回は、少しだけ話を進め、明治維新の「横浜」を見ていきます。

今回は、おしゃれなカフェやレストラン、ショップが集まり、イベントや夜景も楽しめる「横浜赤レンガ倉庫」も登場しますよ。最後までお付き合いください。



激動の幕末を経て、政治や経済、社会が大きく近代化した期間を「明治維新」といいます。もちろん、ペリー来航後、なんとか国際情勢に対応しようとして試行錯誤した江戸幕府が残したものは大きいのですが、明治維新を引っ張ったのは「薩長土肥」を中心とた「明治新政府」です。

明治新政府が行った主な改革として、いわゆる「三大改革」があります。それは、「学制」「兵制」「税制」です。これらは、政府に権力を集中させて、効率的な国家の運営と国民の把握をめざす「中央集権国家」への道です。一つずつ見ていきます。

まず、「学制」ですが、これは1872年に公布されました。これによって、小学校から大学校までの学校制度を定めました。江戸時代まで、寺子屋や各藩の藩校が存在しましたが、それは地方によって内容もまちまちでした。ここで政府が主導となって教育を進めていくことで、全国一律に、同一の教育水準の確保が目指されました(最初の方は就学率などもなかなか伸びませんでしたが…)

次に、「兵制」ですが、これは1873年の「徴兵令」が当てはまります。満20歳になった男子は、士族や平民の区別なく兵役の義務を負うことになりました。しかしこの政策も、徴兵反対の一揆が起こったり、免除規定によって十分な数が確保できなかったりと、最初からうまくいったわけではありませんでした。

最後に、「税制」ですが、これは1873年からの「地租改正」です。その内容は、土地の所有者地価を定め、地価の3%を現金で納めさせるというものです。これにより、国家の歳入が安定することをめざされました。ちなみに、この「3%」という設定ですが、その後、各地で地租改正反対の一揆が起こったこともあり、「2.5%」に引き下げられました。最近では、増税の一途をたどる日本ですが、減税された過去もあったのですね(もちろん、諸条件が明治と現在では全く違います)。


このようにして、諸改革を進めていった明治政府でしたが、国家として目指していたところは、欧米に負けない豊かで強い国をつくること、いわゆる「富国強兵」でした。「強兵」については、徴兵令が最も典型的な政策ですが、「富国」ついては、「殖産興業政策」があります。

政府は、産業を育てて経済の資本主義化をめざしていくこととなります。そのために、経済発展の基盤となるインフラの整備、具体的には交通や通信の整備が進められました。

ここで、今回お話ししている舞台、「横浜」が登場します。1872年に「日本初の鉄道」が開通しますが、その区間は「新橋―横浜」間でした。当時の「新橋駅」はその後、汐留駅に、当時の「横浜駅」はその後「桜木町駅」へと名称を変えますが、この当時に東京と共に横浜に鉄道駅がつくられたのです。

また、官営の「富岡製糸場」(群馬県)などを中心に、外国の優れた技術が導入されました。


外国の影響を受けて発展したのは産業だけではありません。都市を中心に、文化も大きく花開きました。いわゆる「文明開化」です。特に、開港して海外との窓口となった横浜では、その様子が街で見られました。

道路には馬車が走り、ランプやガス灯、洋服やコートを着た人々が見られました。また、日本最初の新聞も横浜で発行されています。


そして現在では有名な観光地となっている、「横浜赤レンガ倉庫」も明治時代に造られました。

ここはもともと、国営の保税倉庫として建設された建物です。「保税倉庫」とは、外国から輸入された製品を、入国の手続きをするまで保管しておく場所です。前回のお話で、横浜は幕末に開港した港ということでしたが、明治時代には近代的な港湾へと生まれ変わる計画が進められていました。この計画の中で、赤レンガ倉庫が造られたのです。現代になってその役目を終えた赤レンガ倉庫でしたが、その後、観光地として再び文化の発信地として脚光を浴びています。



ここまでが、今回のお話になります。今回は明治維新を見てきましたが、外国の文化をいち早く摂取し、「文化の発信地」となっていることがわかりました。


現代の若者が、「インスタ映え」をねらって撮影する写真の数々や、訪れた多くの観光客が感じる「横浜っておしゃれ」という感覚は、歴史的な出来事の延長線上にあると考えると、なんともロマンがあるなと感じます。

観光地を訪れて、「すごい!」「きれい!」「おしゃれ!」と感じることは素晴らしいのですが、私は「何でこんなに心が動かされるのだろう?」と考えて、その理由を追究したいです。ノープランでふらっと訪れて楽しむ旅行も好きですが、いろいろなことを調べたうえで、目に見えるモノ以外のところに思いをはせるということを、私は社会科教員として大切にしたいと感じています。(あ~、早く旅行行きたい…)


次回はいよいよ「横浜」回のラストです。どうぞよろしくお願いします。

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