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父の話

ひろみさんに推薦していただいた「いのちの停車場(南杏子)」を読んだ。

在宅終末期医療に関わる女医さんの話だ。死と向かいあう患者と家族、そして医療関係者の物語である。死を悟ったその後の生き方について、また医療関係者が単なる医療技術の提供者でないことについて、あらためて考えさせられる作品だ。オムニバスのような体なのだが、最後の話が切ない。


父がこの2月にガン宣告を受け、まさに終末期医療の状況にある。3月が誕生月なのだが、「最後の誕生日と思ってくれ」というようなことを、やんわりと言われたらしい。

私の父は、まあ典型的な「昭和の父」だ。
家では自分が一番。当たり前のように殴られてきたし、殴られる母も見てきた。子供ながらにずっと理不尽を感じていた。負けず嫌いから我が子にも競争心むき出しで、褒められた記憶はほとんどない。今の基準でいえば、確実に毒親に当てはまる。

18で家を出て以来、盆暮れの数日以外ほとんど会うこともなくなった。


ガン宣告のことを知って4月に一時帰国することにした。

帰国中は、最後の親孝行と思い、小豆島と倉敷に旅行につれて行った。担当医も一時退院を許可してくれた。一週間もの間、時間をともにしたのは本当に久しぶりだ。そこで発見したのは、私が思っていた以上に母が父を愛していたことだ。

歩くこと、食べること、聴くこと、話すこと、全てが思うようにいかない父に対する、かける言葉、気遣いの所作、全てが美しかった。風呂には二人で入った。旅行中、手をつないで歩く二人の姿が目に焼き付いている。

必死で食べ、歩き、一日でも生き延びようとする父の姿にも心うたれた。

はじめて、このような夫婦として月日を重ねたいと思った。


先月末受け取った、母からのメールだ。

こんにちは。毎日あついです。
20日に病院でお父さんがあとどれくらい生きられますかと聞きました。発病のときは誕生日はむかえられないね といわれましたが今年いっぱいやねということです。一応知らせますね。この夏 うまい事乗り切りたいですね。今度 電話 かかったらお父さんにかわるね。この前 声が聞きたかったと言っていたので。

今年いっぱいか。
母に電話をしても、もうほとんど耳の聴こえない父とはかわらなかったことを後悔している。


先週末、再び母からのメールを受け取った。

心配かけるようなこと知らせましたが、お父さんもお母さんも今はしっかりと受け止めて毎日を大事に生活しているので安心してお仕事頑張ってください😆

父は平均寿命以上生きたし、こればかりは順番なのでしかたがない。
しかし、切ないのは😆だ。普段は絵文字など使わない母だ。


年末までに再び帰国出来るかどうかは今後の感染状況次第、そのときに父が生きているかどうかは今後の父と母の気力次第だ。

私は祈るしかない。


読書感想文のはずが、私の心の浄化につき合わせてしまい申し訳ありません。


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