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シュール

推薦していただいた課題図書の読書感想文を書く企画第4弾。

第3弾まではこちら↓


シュールなものが好物だ。

スネークマンショー、吉田戦車、中島らも、モンティパイソン、ダウンタウンあたりが、シュールなものに響く若い頃の私の感性を養ってきた。

そう振り返っていたのだが、カニさんに「砂の女」を推薦されて安部公房を思い出した。中学時代にはまっていた作家だ。
二十言語に翻訳されているとか、ノーベル賞候補だったと言われると敷居が高そうだが、つまるところダウンタウンのコントである。
この作家が私のシュールの原点かもしれない。

昆虫採集のために砂丘に行った男が、砂に埋もれそうな村落から逃れられなくなる話。アリジゴクの巣の底にあるような村落を想像すればよい。
常に穴から砂を運び出さなければその村は崩れてしまう。村人は砂掻きの人手を欲していたため、地上に上がるための縄梯子を外す。騙されて穴に閉じ込められた男は、埋もれる家で女と砂を掻き出しながら同居生活をすることになる。やがて脱出を試みた彼は、廃材で梯子を作りやっとのことで地上に出る。しかし、逃走中に砂で溺れ死にそうになり、追手の村人たちに救出されて再び女の家に閉じ込められてしまう。

松ちゃんが女、浜ちゃんが男のコントとすると、興味がわくのではないか。
松本人志はシュールをお笑いのニッチからメインストリームに押し上げた立役者だと思っている。

さて、シュールとは「ズレ」「ハズし」だ。一定のコモンセンス(常識)から一部をハズすことで、受け手に強い印象と余韻を残す。
しかし、なんでもかんでもハズせばよいかというと、そうではない。オシャレ上級者のハズしはカッコいいが、初心者のそれは痛々しいのと同じだ。ハズし方の妙が「センス」である。上級者は、ハズす部分以外の着こなしが、ファッションの定石に基づいているからこそオシャレなのだ。

同様に、「オシャレ」なシュールを作り出すためには、常識に対する高い感性が必要だ。ニュースバラエティ等での松ちゃんのコメントを見ていると、いかに世間常識への感度が高いかというのがわかる。常識のベースラインが世間と違うと、ほどよい距離のズレ、違和感も作り出せない。
美術でも同じで、一見奇妙な作風、風貌、奇行で知られるダリは、実は繊細で気が効く常識人だったと知られている。だからこそ多くの人に届くシュールが作り出せた。本当の奇人ゴッホには決して作り出せないものだ。

「砂の女」も、常に砂を掻き出さないと埋もれてしまう集落という設定以外は、極めて常識的な生活描写、心理描写だからこそ面白い。特に、男女のあやがリアル。「あるある」と「ないない」のコントラストに、心が大きく往復運動する。今回読み返してみて、あらためてそう感じた。

私の記事も、ときにシュールと評価していただくことがあるが、それは私がまっとうな常識人だということを示している。「ふざけた大人」とか的外れなことをつぶやくのは、やめておいた方がよい。



カニさんには、ピリカグランプリで私の作品を激賞していただいた。今回、安部公房を推薦していただいたことで、根っこの感性が似ているのかもしれないな、と思った。ただし、カニさんはオシャレ上級者で私は永年初心者だ。



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