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うどん

うどんか蕎麦かが選べる店では、月見うどんと月見蕎麦は、同量で同額だ。つまり、両者の経済的価値は同じだ。

しかし、うどんか蕎麦かが選べない店、つまり、「蕎麦屋」の蕎麦と「うどん屋」のうどんでは、蕎麦が高くて、うどんが安い。千円のもりそばは場所によっては許容限界内だが、千円のかけうどんは銀座でも相当なチャレンジだ。

ブランドポジションの違いだ。

蕎麦に比べて、うどんには独特のB級感が漂っている。「うどん」という言葉の間の抜けた響きのせいなのか、江戸の蕎麦に対する上方のうどん、というイメージのせいなのか。

「そば」は「蕎麦」と書いても違和感ないが、「うどん」を「饂飩」と書くと、「無理しちゃってー」となる。枕詞として「稲庭」あたりを持ってこないとバランスが悪い。

香川県が「うどん県」を名乗るのは、自虐ネタっほくて愛おしい。大阪や福岡等、他のうどん県候補からも、やっかみなしで受け入れてもられる。

しかし、例えば長野県が「蕎麦県」を名乗ると、「なにすかしてんだ」と、少しきな臭いことになる。北海道あたりからクレームがつき、共同蕎麦県サミットでも開かれそうだ。

B級感以外で、うどんの持つブランドイメージは「親しみ」だ。

商談相手の好きな食べ物が「蕎麦」の場合、腹を探りながらのタフな交渉になるが、「うどん」の場合は、最初から胸襟を開けそうな気がする。



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