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異語り 034 海底十里

コトガタリ 034 カイテイジュウマイル

先日の新聞で『海底で熟成させると酒がうまくなる』との記事を見つけた。
記事を読んでいると、昔祖母が聞かせてくれた話を思い出した。

私はまだ外国に行ったことはないが、祖父母はあちこち旅行していた。
幼い頃の私は祖父母の家に並ぶ珍しい土産物が好きだった。
でもそれ以上に祖母が話してくれる外国の話が大好きだった。
その中で祖母が何度も話してくれたのは、私が生まれた時の話だった。


ヨーロッパを周遊していた祖父母は、海沿いの港町を訪れていた。
人気の観光スポットではなかったが、落ち着いた雰囲気と万人を受け入れるおおらかさが心地よく、しばらく滞在することにしたそうだ。
アットホームなレストランや活気あふれる市場もあり、その町はとても楽しかったと言っていた。
中でも祖父が気に入ったのは、船をそのまま使ったバーだった。
年季の入った木造船を改造し二十名程が入れる店になっていた。
船内の棚にはフジツボがついた酒瓶が並び、椅子の脚や壁にもフジツボがついていた。

店にはそこそこ客も入っていて、船乗りを思わせる男たちが楽しげに杯を重ねている。
陽気なマスターが一人で切り盛りしているようだった。

祖父は、外国語がペラペラというわけではなかったが、体格も良く物怖じしない性格だったので、あっという間に店に馴染んでしまったそうだ。
一緒にお酒が飲める年になってからは
「その店の出す酒がまた絶品でな、後にも先にもあれ以上の先には未だお目にかかれていない」
と、度々聞かされていた。

しかし、おしゃれな祖母にはその店はあまり好ましく感じられなかった。
必然的にバーには祖父だけが通うようになり、祖母は夜、ホテルでおひとりお留守番となる。

さらには、遅くまで飲んでくる祖父は翌日の午前中はベッドで大いびき。
そこで今度は祖母が1人で街の散策へ出かけた。
あまり外国語を話せない祖母は、声をかけられそうな市場は避け、静かな町並みを散歩。
気がつくと例のバーが浮かぶ港の通りに出ていた。

先日の夜とは違い、おしゃれなカフェやレストランが並んでいる。
桟橋にも小型のクルーザーやヨットがびっしりと止まっていた。

「あんなボロ船じゃあ昼間はさぞかし肩身が狭いでしょうに」
ちょっとした仕返し気分でバーを探し始めるが、桟橋を何度見返しても先日訪れたボロ船のバーを見つけることができない。

並んでいるのはしょっちゅう出入りするような漁船ではなく、週末やバカンスの時に使うレジャー用のボートに見える。もちろん今はバカンスシーズンではないのでボートたちは停泊したまんまだ。

あのバーは夜だけやってくるのだろうか?
もしかしたら違法の酒場なのでは?
異国の地で警察沙汰なんてとんでもない!

不安を感じた祖母はホテルに戻ると、日本語が通じるコンシェルジュにボロ船のバーのことをそれとなく尋ねた。
「昨夜散歩した時に船のバーを見つけたのだけど、美味しいのかしら」
「ああ、クイーンエリザベス号のラウンジですね、観光に来られた方々には人気ですよ」
「いえ、もっとボロ……小さい木の船のお店だったのだけど」
一瞬コンシェルジュの顔色が変わった

「桟橋の先に現れる木造船のことでしょうか?」
コンシェルジュは声を落とし小さく手招きした。
祖母もそれに倣い顔を寄せると、小さく頷いた。
「そうです、古いボートに、船乗りさん達が飲みにいらしてるような」

コンシェルジュははっきりと顔をしかめ、言うべきかを迷っているようだった。

「奥様、その店はおすすめ致しません」
コンシェルジュは小声のまま静かに話し始めた。

あの港通も昔は船乗り相手の酒場が並んでいたそうだ。
しかし大戦がはじまると、この町も度々攻撃を受けるようになる。
そんな時に、敵艦が来たらすぐ逃げれるようにと船を改造して店にしたものが現れたらしい。
しかしいざ攻撃が始まれば逃げれるはずもなく、港通りの店は焼失。改造船の店も港を出たあたりで客もろとも沈んでしまった。

「その日はちょうど満月の日だったそうで、その後満月の夜になると港沖に幽霊船が現れるようになったとかい、また、酒飲みの客を迎えに桟橋に現れることもあると言う噂です」

コンシェルジュはゴクリとつばを飲み込むと
「もしも満月の夜にその船に乗ってしまったら、やつらと一緒に海の底へ沈んでしまいます。どうぞお気をつけてください」とささやいた。

その話を聞いた祖母は慌てて部屋に戻ると寝ていた祖父を叩き起こし、すぐに町を出たいと訴えた。
「いくらなんでも急すぎるだろう、じゃあ今夜は飲み納めにするから」
よほどそのバーが気に入っていたらしい祖父はなかなか首を縦に振らない。
「今夜は駄目です、絶対にダメなんです」
祖母が必死にコンシェルジュから聞いた話をすると、祖父は大笑いしながら
「なるほど、ここはそんなリップサービスもしてくれるのか、これは是非今夜も行ってみなくては」
とかえって逆効果になってしまった。

こうなったら首に縄をかけてでも!
と祖母が息巻いていると、ドアがノックされた。

「日本からお電話が入っています」

ボーイに促され電話に出ると、「予定日より1ヶ月早いが孫が生まれた」という。

祖父母にとって待望の初孫だったこともあり、祖父も帰国を承諾。
2人は日本へ帰ってきた。


「あなたが早く生まれてきてくれたから、無事に帰ってこれたのよ」
祖母はいつも話の最後をこう締めくくり笑っていた。


幽霊船の話が本物だったのか、コンシェルジュのリップサービスだったのか、は今となっては確かめようがない。
けれど、祖母は本気で信じているようだった。

もう2人は鬼籍に入ってしまったが、祖父が絶品だと言った酒は少し飲んでみたい気がする。
記事にはすすきののバーの名前が載っていた。
機会を作って『海底で熟成された酒』とやらを飲みに行こうと思う。


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