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異語り 045 深草

コトガタリ 045 フカクサ

北海道には梅雨がないというが、実際にはそれなりに雨は降るし湿度も高い。
それでも東京や関西に比べれば格段に過ごしやすいのかなと思う。
特に実家である京都は盆地だったので、梅雨以降から暑さが抜けるまでの間は、空気に粘度を感じるほどに不快だった。


高校時代のそんな暑い梅雨時の話

その日は梅雨の晴れ間だった。

朝から日差しは強いもののそこそこ風もあり、こもった湿気が抜けていくような気持ちの良い日だった。

「こんな日こそ、古本屋巡りだ」
雨でしばらくお預けを食らっていた反動もあったのだと思う。
友人と2人して数多ある古本屋めぐりのルートの中から、ほぼ全店をめぐるロングコースへ出発した。

近場の商店街から私鉄沿線沿いに北上。
区の境界あたりで進路を東へ変える。すぐに山に当たるので、山裾に沿うようにして南下。
しばらくすると山を越えられる道が出てくるので、これを上る。

山越えの間は古本屋もないので、ただひたすらペダルを漕ぎ続ける。
寂れた住宅街の生活道路の上を高速道路が走っていて、いつ通っても薄暗く湿っぽい道。
住むには嬉しい環境ではなさそうだが、必死に自転車を漕いでいる自分たちには常に日陰で涼しい優良スポットだった。

遥か昔には野辺送りの地でもあった山の斜面なので、そういった雰囲気が残っているのかもしれない。
当時も勘で走っていて見つけたルートだったので正確な道は覚えていないが、山を上り切ると綺麗な住宅街の上に出た事だけはよく覚えている。


その住宅街へ抜けるまでの上り道。
時々フェンスに囲まれた草藪があった。
いつもみっしりと背丈ほどの草が生い茂り、中の様子を伺うことはできなかったが、その側はいつもひんやりとした空気が立ちこめ、天然のクーラーのような場所だった。

上り道は2キロほど続くため途中で休憩することも多い。
その日もフェンスの側に自転車を止め、吹き出る汗を拭っていた。

ただし、涼しくはあるが草藪なので蚊も多い。
あまりゆっくりとはできないのが残念だった。

その頃はお小遣いは極力漫画類に突っ込みたかったので、ジュースやお菓子は滅多に買わなかった。
なのでロングコースに出る日は必ず水筒を持参している。
当時はプラスチック製の水筒しか持っていなかったので冷えたお茶というわけにはいかず、少し泡立ちぬるくなったお茶で喉を潤した。

「ふう」
大きく深呼吸した。
やっと一息つけた気がして力が抜ける。

風が気持ちのいい日だったが、不思議とフェンス辺りには風がない。
さらには、まるでここだけ雨でも降っているような、重い湿っぽさがあった。

「何か今日は残念な感じやね」

ひんやりさは保たれていたが、この湿気は尋常じゃない。

「今日は早々に出発かな」
「もう一回お茶飲んだら出よう」

そう、2人で声をかけあっていた時


バシャン


水音が聞こえた。

「えっ、水?」
「どっから?」

耳をそばだてて辺りを伺うが、それらしき音源は見つからない。
高速道路からの音とも思えなかった。
聞こえたのは確かに水音。
それ以外の何かに聞き違えたような音でもない。

あたりの気配を探っているうちに、自然と意識はフェンスの向こう側に向いていた。

「もしかして、この中に池か何かあるんかな」
覗きようのない草藪を眺める。


バシャジャブンッ


さらに水音が響く。


ザザッ  ザザッ

藪を踏み倒すような音も聞こえた。

瞬時に2人して顔を見合わせる

「やばいかも」
「行こう」

一も二もなく2人で自転車に飛びついた。

「漕ぐより押した方が早いよ」

早足で坂を登る。


ガザッ


ガザッ


ゆっくりとしたペースだが何かが藪の中を移動しているようだ。

10メートルほど上ると、1度坂がゆるくなる。
「そろそろ乗れるか」

自転車にまたがる前、チラリと後ろを振り返った。
フェンスの向こう側
草藪がざわざわと大きく揺れている。

「ほら、行くで」
友人の声にハッとして前を向くと、友人もこちらを振り返り首を横に振っていた。

2人して自転車にまたがり思いっきりペダルを踏み込む。
その後は無言で坂の上まで漕ぎ続けた。


息も絶え絶えにいつもより速いペースで坂を上りきった。
開けた視界と噴き上げてくる風が気持ちいい。
やっと重かった空気が剥がれた気がする。

あとはこの坂を下りれば次の古本屋がある。
気持ちを切り替え、一気に坂を下った。


古本屋について友人が声を上げた
「最悪や、水筒漏れてたみたい」
カバンの底と前の店で買った本の端っこが濡れてしまっていた。
「ありゃりゃ、外に染みてきてへん?」
そう言いながら自分もリュックを確認する。
「うわ、私もやっちゃってる」
リュックは背負っていたので外まで漏れたお茶がTシャツに染みを作っていた。
「うわー、でもそれはさすがに気付きいや」
「いやいや、色々必死やったし」
「……確かに」

不思議だったのは、2人共水筒の緩みやすい飲み口の部分ではなく、ねじ込み式のつなぎ部分が外れてしまっていたこと。

「こんなことってある?」
「……」

もしかして? と考えはしたが、お互いに口に出すことはなかった。

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