ふだんは読まない本を読むという冒険
読書歴が長くなってくると、「自分が好きそうな本」というのが大体わかってくる。
そして、そうした本ばかり買って読むようになる。
たとえば私だったら、ちょっと暗めのエッセイや哲学、人文学などの人文書ばかり読んでいる。
だけど書店員をやっていると、ふだんは読まないような本を読む機会に恵まれる。
お店で売れている本はどうしても気になってしまうし、「これは売りたい」と思った本はできるだけ自分でも読むようにしている。
そんな自分の興味から少し外れたような本を読むと、毎回驚くのだが、わかりやすく自分の世界が広がる。
最近読んだ本だと『植物学者の散歩道』。
長年植物を研究してきた大学教授が自らの体験を元に植物を紹介するという本で、けっこう渋めの本だと思うのだが、店でよく売れるので気になって読んでみた。
すると、読む前は「みんな同じ草」だった植物が、読んだあとは「それぞれ独自の工夫をして生き抜いている草」に見えるようになり、植物への解像度が上がった。
例えば、南の島に行くと浜辺にプカプカと浮いてるようなヤシの実。
風か何かで枝から落ちただけかと思いきや、実はあれはわざとで中に種子が入っており、海を漂って遠くの島で発芽するのを目的にしているという。
あんなに脳天気に海にプカプカと浮いているのに、実はそれはヤシの実の生存戦略だったのだ。
他にも、私の店に来てくれた編集者の方が関わった本だということで『トルコ怪獣記』を読んでみた。
トルコの湖に住むとされる"ジャナワール"というネッシーみたいなUMAを探しに行く旅行記で、これも面白かった。
正直UMAなんてうさんくさいし、それを扱った本を読んでもモヤモヤした読後感が残るだけだと思っていたので、買って半年くらいは本棚で埃をかぶっていた。
だけど実際に読んでみると、それは爽快感すら感じる冒険譚だった。
まず、読む前は著者が妄信的なUMA信者だと思っていたのだが、実はUMAの存在を科学的に実証しようとしている人で、そもそも今回のUMA"ジャナワール"に対しても著者は「うさんくさい」と思っているところから物語が始まる。
著者の視点がフェアだったので、UMAの存在に疑いを持っている私も置いてけぼりにされず、すっと物語に入っていけた。
そして著者は、"ジャナワ―ル"の目撃証言を集めた本が日本の図書館に収蔵されているのを発見する。
それは、UMA目撃者48人の住所や氏名が載っている奇書の中の奇書だった。
このように、謎が謎を呼び、まるでミステリー小説を読んでるかのような読み味で最後まで楽しむことができた。
うさんくさいと思ってたUMAの本は、ロマン溢れる冒険譚だったのである。
よく読むようなジャンルの本は、読んでいるうちに内容が予想できてしまう。
ふだん読まない本だからこそ、予想外の展開や知識に驚き、ワクワクと読み進められる。
なじみがない商品を買うときに、「冒険する」という表現を私たちは使う。
なじみがない本を読むことも、まさしく「冒険」と言えるだろう。
面白いかどうかわからない。
だけど、その先に進むことができれば、確かに新しい世界の扉が待っている。
さあ、次はどんな冒険にでかけようか。
鳥類学者が研究のために絶海の孤島を旅する、『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』とかいいかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?