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毎日本屋に行ってしまう

毎日本屋に行ってしまう。
書店員なんだから、仕事の日は当然本屋に行く。
だけど、休日も気がついたら本屋に足が向かっている。

これについては自分でも不思議に思い、「どうして私は休日にまで本屋に行くんだろう」と真剣に考えたことがある。
そして、出た結論は「本との出会いを楽しみたいから」だった。

同じ本でも本屋によって、その本への”意味”が異なる。
ある本屋では大事な本が、ある店ではその他大勢の本として扱われる。
そしてそれは本のディスプレイに表れる。
大事に思われている本は平積みにされていたり、熱を帯びたPOPがついていたりする。

私はそれを見るのが好きなのだ。
その店の店員がその本に込めた想いを見るのが好きなのだ。
自分の店では何気なく扱っている本でも、そんなふうに熱を持って紹介されていると、ついつい買ってしまう。
「この本って、こんなにいい本だったんだ。気づかなかったな」とうれしかったり悔しかったり。
その瞬間がたまらなく好きなのである。

例えば、最近だと水木しげるの『総員玉砕せよ!』という本を買った。

私は普段、戦争の本は買わない。
読むのに覚悟がいるし、普段の生活とあまりにもかけ離れているからだ。
それが、この夏に、近所の書店で、店員さんの手書きPOPとともに売っていた。
そのPOPには、水木しげるが実際に戦争に行ったこと、その体験をもとにリアルな戦争をマンガで描いたことが書いてあった。
それを見たときにこの本が、しいては戦争が急に身近に感じられたのである。
その出会いがなければ、私はこの本を買うことはなかったと断言できる。

近ごろは本屋の数が減り、本を買うのはネットで十分という意見もある。
だけど、私は本屋がなくなったら、読書の楽しみが半分になったように感じてしまうだろう。
そこには自分の関心の外の出来事との出会いがない。
書店員の熱がない。
ネットで買った本は、どこか軽い。

だから私は今日も本屋に行く。
いい本と出会わせてくれたことへの感謝を含め、本代を支払う。
そして、そのお金は本屋さんが続いていくための、いくばくかのエネルギーになる。
そんなふうにして買った本はどこか生き生きとしていて、誇らしげに見える。

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