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【エッセイ】どうして「人見知りですが」と予防線を張るのか

これまでの人生で、最も多く自己紹介をしたのは大学時代。

所属していたよさこいサークルでは、他校のチームと「初めまして」で練習することがほとんどでした。
ハマっていたサバイバルゲームは、その場に居合わせた人たちでチームを組んで戦います。
OWDのライセンスを取ったスキューバダイビング
同じツアーに申し込んだ人たちで相乗りして目的地へ向かい、同じポイントに潜りました。
新卒の就職活動中は、初対面の人とのグループワークが、もはやお決まり。

時間の都合上、多くの場合で「『名前+なにか一言』で自己紹介をお願いします」などと指示されます。
経験上、この場合の『なにか一言』は、ほとんどの人が同じことを言うのです。


その中でも、特に私が気になったのは就職活動中です。
8人で1つのグループになった際に、私以外の全員が以下のように自己紹介しました。

「〇〇(名前)と申します。人見知りですが、宜しくお願いします」

全員が同じことを言うので、誰が誰なのか、記憶に残りません。
もはや自己紹介の時間なんて不要で、名札さえつけておけば済むようにさえ思えます。

人見知りとは無縁だった私には、不思議で仕方ありませんでした。
どうして自己紹介のときにわざわざ「人見知りですが」と前置きをするのだろうか?


私が想像できた理由は3つです。

  1. 本当に人見知りだから。

  2. 没個性が求められる場だから。

  3. 「人見知り」だと言っておけば、様々なリスクを避けられるから。

1.本当に人見知りだから。

本当に人見知りの方もいらっしゃるんだと思います。
なぜなら、脳の前頭前野は20代でようやく成熟するから。

新卒の就活をするような二十歳そこそこの年齢なら、前頭前野がまだ未熟で、知らない人と直面した際の恐怖を抑えられなくとも、おかしくありません。

だからなのか、そもそもこういった趣味を持つ段階でバイアスが生じているからか、サバイバルゲームスキューバダイビングのような社会人のグループでは「人見知りですが」と自己紹介する人は少なかったと思います。

2.没個性が求められる場だから。

これもあり得るでしょう。
私の経験上「人見知りですが」と前置きする自己紹介が最も頻発していたのは就職活動中です。
また、昨今の就職活動において、没個性が良しとされる風潮は問題視されていますよね。

ただ、ここからは私の持論ですが…

服装こそ不快感を与えないよう無難な黒髪・黒スーツで望んでいるのに、話すことまで無難に済ませる必要性とは?
なんなら「人見知り」なのは、職種によってはネガティブな特性だから、言わない方が良いのでは?
むしろここで印象に残るようなアピールをして、その場にいる人事担当者に覚えてもらうべきでは?

だから、考えられる理由ではありますが、少し弱いと考えます。


3. 「人見知り」だと言っておけば、様々なリスクを避けられるから。

これが最も妥当な理由ではないかと。

相手が予め「人見知り」だと告白していれば…
たとえ向こうから話しかけてこなかったとしても、
多少向こうがどもったとしても、
話が噛み合ってなかったとしても、
「そういえば、人見知りって言ってたもんな~。人見知り発動してるのかな〜」
で、納得してしまう。

逆に『人見知り宣言』してきたわりにアグレッシブな人で「全然人見知りじゃないやん!」と感じたとしても、そこまでマイナスな印象にはなりません。

つまり、「人見知りですが」と断ることは、これからのコミュニケーションや関係構築における失敗に対して保険をかけるようなものです。



「人見知りですが」はとても便利な言葉だと思います。

自分のことを「天然です」とは言いづらいですが「人見知りです」はなんだか言いやすい。
自分を謙虚に見せるが、卑下しすぎず、あざとくない。
私自身、ちょうどいい塩梅の言葉という感覚があります。

そして、
「初対面の人に自分がうまく話せないことへの保険」
だけでなく
「初対面の人を自分がすぐに受け入れられないことへの保険」
にもなり得ます。

とりあえず、言っておいて損はない。
だからみな「人見知りですが」と予防線を張るのでは?


というのが、人見知りではない蕪木が考えた結果です。
今度「人見知り」だと始めに断る人がいたら、ぜひともその心理をご教示願いたいところです。

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