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脳みその夜桜

※フォトギャラリーの紹介は最後で。

今日も奇跡の一記事を。
酒を飲みながら脳みその断片を吐き出すコーナーです。

ほっけって冷めちゃうと残念な感じになるよね。
ちびちびつまむのは分かるけど、熱々をもりもり食べたい。

この新しいエディタ、フォントが明朝体でかわいいけど、旧エディタとやっぱ違うのかな。
表示は個々の設定によるの?

近所でやっと桜が開花してきました。
でもあいにくの雨&低気温で花もかわいそう。桜の花は薄紅色で可憐だけど、色彩を青く表現するとミステリアスな感じで好き。

目で見る実際の桜は薄紅色でいわゆる「桜」なんだけど、表現すると個人のものになるのがいいよね。

表現者になりたいって思うことがある。
クリエイターとか同じなのかわからないけど、自分の脳みそを表現するのってテクニックがいるなーって思う。

やっぱり技術でスキルなわけで、アーティストと呼ばれる人たちは表現するのがうまいんだ。
でも表現できないだけで、脳みそには常軌を逸した感性とか情報を持っている人が世の中にはいっぱいいるんだよね。

もったいないよね。


仕事もそうだよ。
こうしたい、ああしたい、こうなればいいのに、こうすればどうかな。
とか、頭の中にイメージアートがあるけど実行できないと表現にはならない。

表現する技術はすごく重要だなって最近思う。
noteで脳みそぶっ散らかして、表現力でも付けばいいんだけど。
どうやらそれには運が必要らしい。

表現っていうのはこだわりであって、「こうしたい」っていうエゴの塊。
それが優れているかどうかは関係ないし、それは他人事。
仕事もアートも評価するのは他人だ。

結果を度外視して表現する。
そういうものに憧れる。

その点SNSはいい。
TwitterもインスタもYouTubeも自分が自分である様相を垂れ流しても誰にも文句は言えない。

しかも奇跡的にそれを見る人がいて表現に参加してくれる。
このnoteも誰かに見られるとそこで表現になる。

見られないと・・・・?
やめておこう。


以前にも垂れ流したが、結果を出すのは露出がうまい人だ。
表現をうまく露出する人
それがアーティストとして認知されるんだろう。

アーティスト≠表現者


本日のフォトギャラリーはこちらから


夜桜を青く表現するのが好きと書いたけど、ちょうど「表現」で検索すると月を青く表現されていたので使わせていただきました。

やっぱり月と桜は相性ばっちり。
青い月。好き。


そういえば昔広末涼子の曲に「青い空に浮かぶ月のように」っていうのがあるのを思い出した。

淡い思い出。


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