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”BOOKCAR”



雨の

フィルタ―越しに見る
ビビットな笑い声は

スモーキーな笑みへと
馴染ませてくれる

胸のかけら
失った恋の破片を
霞ませてくれる

痛みが寄った皺を
両手で伸ばした

乾かない想いに
記憶の断片の形をした
染みが滲む

サザンカの梅雨。

※自作の詩(poem)です。
※こちらでの恋は、それぞれの”ときめき”として表現しています。
※自身のX(旧Twitter)にて記載/2023.11.17


2011年3月11日・東日本大震災


当時、私は新聞やインターネットの記事を通し被災地の様子を知りました。自身も何かできないかと考え、身近で災害ボランティアに行くことになっている方に相談をしましたところ、自身の持病について指摘をされ、結果断念する形となりました。
優れた資格を持っているわけでもなく、専門知識を有することもない私は、結果何もすることは、できなかったんです。

震災から暫くして、災害ボランティアを終えてきた知人から話を伺う機会がありました。

家の跡地の立て看板


被災された方が、避難所から元あったご自宅まで順々に行き来できるように、ようやくなりはじめた頃。
家の跡地に一つの立て看板があったそうです。立て看板と言っても段ボールを三角に折り曲げて、油性ペンで「自由に使ってください」と、そう一言。

看板の足元には、腕時計、ブローチ、油性ペン(幾つかの筆記用具)など一見統一性がないように思えたそうですが、どれも、土や砂埃など綺麗に拭われていたそうです。
きっと被災されたご自身も大変なさなか、同時にお辛いそのなかで、知らない誰かを想い、知らない相手を想う、その姿を見たように私は思いました。
当時も今も、打っているこの時でさえ、なんとも言えない気持ちになります。

見えない繋がりは、あったんです。そして今もきっと、あるんです。

無所属、無資格の私にできること


辛いこと、悲しいとき、こみ上げる際。そんな時、そんな場面だからこそ
相手をも想いたい、愛をうたいたい、夢を願いたい。こちらを立て看板から教えていただいたことだと、そう思っています。
ようやく、見えない繋がりの必要性に私も気が付きました。

見えない繋がりとは思い出や記憶、五感から受け胸に残る。
そんな印象を私は現在もっています。
そして同時に、言葉の可能性や物語のそれぞれの可能性も、見えない繋がりの一つではないかと思うようになりました。

スマートフォンが浸透してきた昨今だからこそ叶えられる夢(ときめき)の一つだど捉え、スモールステップかもしれないですが、自身の作品たちをこちらの「note」のサイトにて無料開放させていただいています。

いずれ自身の作品たちを乗せて”BOOKCAR”として各地に人と言葉に物語の架け橋を、渡せられたら面白いかと現在思っています。
※著作権等の知識がないので、こちらでは自作の作品として例え表現しています。

日本は田畑や山里豊かな環境でもありますので、軽自動車などで各地を回り老若男女、国籍や地域問わず言葉や物語の共有・共鳴ができたらと思い描いています。

※イメージで例えますと、「移動図書室」といった言葉に近いです。


おわりに


現実の”BOOKCAR”を目指して、今は仕込み中の段階ではありますが夢をインターネット上(noteやX)にてデッサンをするという形で試行錯誤をしています。
今後とも見守っていただけましたら、幸いです。

この度は企画に応募させていただく機会を頂きまして、ありがとうございました。

一人ひとりの、願いが生まれますように。
そして、それぞれの願いが花ひらきますように。
想いを込めて。

失礼いたします。       kabocya



#かなえたい夢

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