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【タイ移住日記2023/10/24-29】ルーティンワーク

昨日旅の投稿を一つ終わらせて、今日はルーティンワークである日記を書く。ルーティンの幅は広くても「ルーティン」。

最近思うこと

特に書きたいことがあって日記は書くもんじゃないと思っている。ただ、気が向かない時がほとんど。外に出て書きたい欲望がムクムクと湧いてきたときだけ書く。ただのタイミングである。

noteを書くようになって、他の人の記事が目に入ってくるようになったので読むようになった。暇なので目に入るがままに1日に数々の記事を読むが、ある一定の法則を見つけた。

一つ目。
流れてくる「スキ」が多い(100を超える)記事を見てみると初めての投稿をした人か、よくあるビジネス書のていを成した書き方の人である。

マーケティング的な視点で見てみると、後者は簡潔に情報を伝えており、時間がない人々に向けて知りたい情報だけを届け、かつ、ビュー数を増やしながらサブスク登録まで誘導している完璧な記事である。


と、それを「スキ」する人たちは言うだろう。私はそのなんか完全に資本主義社会の中にロジックを当てはめて誘導するマーケティング的なものがちょっと鬱陶しく感じるようになってしまった。

まあもともと旅行会社のツーリズム事業本部 販売・マーケティング部 営業戦略課という「ザ・マーケティングしてます」みたいなところで働いていたのでお前が何言ってるねんと言われるかもしれないが。笑


たしかに、noteでマネタイズして、うまくフォロワーを増やし、「スキ」を増やして、有料会員まで誘導するのはnoteを利用する人にとっては正義であり、勝利を意味するかもしれない。ただ、そのフォローしている人たちは「自分が得する情報を得られるから」お金を払って登録しているだけで、多くの場合登録したアカウント保持者の文章を読みたいという気持ちではないのだろう。

いわゆる情報の「消費」であり、私は文章の書き手として一番悲しく感じる瞬間だ。
私はそれよりもコメントに「おもろかったです」と書いてくれる方が嬉しいし、知り合いが会った時にあの記事おもろかったわといってくれる方が書いて良かったな、その時間を文章書くのに使ってよかったなと思えるのである。そして道端やテーマパークにいる大道芸人のパフォーマンスを見て感動して1000円帽子に投げ入れるような感覚で文章を読んでもらえると充実感を感じるのである。

大道芸人のパフォーマンスを見て「得したな」と感じてお金を投げ入れる人はいないだろう。感動してこの人が長くパフォーマンスを続けて他の人にも見てもらえるようにと願いお金を入れる方を私は好むのである。

なので私はビジネス書は読まずに、大道芸人がいたら投げ銭するし、(最近ではタイ渡航前に見た万博公園でのパフォーマンスで財布に1000円札1枚しか入ってなかったけどそれを投げ入れた)、ビジネス口調の人には耳を傾けない。こっちが求めてないのにそんな話をしてくる人も世の中にはいるのでウンザリだ。プライベートはプライベートでいさせて欲しい。集客したいならSNSで勝手に募集したほうが引っかかるよと思ってしまう。


フォロワーの多い人のビジネス記事より少ない人の日常を

この一文の通りで、フォロワーが0人でも細々と日常を書き取り発信している人を見ると、私は温かい気持ちになるし、月1程度の更新でも印象に残ったことをドカンと書いて発信する人を尊敬する。


私も多くの日本に住む人々と同じように、常に節約を考え、お金どうしようと悩みながら生きているが、金よりも大事なことはたしかにある。金でできることは多いけど、違う領域を展開すれば金でできないことの方が多いと感じる。

我、他者を思う、故に我在り、そして他者も在り。

こうして私はまたnoteを書いて読み続けます。

この旅行記、笑わせるために書いたのでぜひ2度読んでみてください。
その間に続き書きます。笑

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