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【タイ移住日記2024/01/04】新しい年、こんにちは

今日から仕事始めだという人も多いだろう。私もその一人だ。朝8時から英語の授業が入っていた。休みボケはしていないので全然大丈夫だ。

箱根駅伝の結果で、課長の気分が変わるから大変だと元同期が話していた。関東の人たちは新年早々大変である。私は関西の大学なのでこれまではそういったことに巻き込まれたことはない。青学がこの10年強すぎる。記憶の中では青学のイメージしかない。

一方で、元日の地震で大規模な被害が出ていることに心を痛めている。活断層が思いっきりずれてしまったことで災害級の地震となってしまった。
Twitterを見ると家族を亡くされた方、まだがれきの下に閉じ込められている、避難所のご飯がやばい、荷物を取りに行っている人などのつぶやきが流れる。そして支援物資を届けに行こうとした海上自衛隊とJAL機の接触事故。元旅行会社なので仕事でもプライベートでもお世話になっていたが、普段飛行機に乗らないお客さんが乗る時期にひどい火災の中、人誰ひとり取り残さずに避難させ、かつアフターケアもしっかりしているところを見ると本当に素晴らしい誇るべき会社だなと思う。

こんなことが起こり、「新年のあいさつを控えさせていただきます」という人もいる。それは日本語では「あけましておめでとうございます」というという祝福を意味する「おめでとう」という言葉を使うためだろう。喪中のため、ご挨拶を控えさせていただきます、とか、年賀状を送らないとかと同じことだろう。

一方で、タイ語はสวัสดีปีใหม่(サワディーピーマイ)で、สวัสดี(挨拶表現)+ปี(年)+ใหม่(新しい)でタイトルの通り、「新しい年こんにちは」とただ単に挨拶の表現である。
そしてわたしが以前国際交流基金より派遣されていたインドネシアでも同様で、インドネシア語ではSelamat tahun baru(挨拶表現+年+新しい)なのである。

文化として、日本ほど新年に重きを置いている文化はないと思う。それをするためには3ヶ日は必要だな、と思う。タイ・インドネシアは1月1日だけ休みで、2日からは普通の生活に戻る。

だからこそ、日本語では「おめでとう」という表現を使い、タイ語/インドネシア語では挨拶表現を使うのだろう。

喪に服すのも大事だと思うが、私は個人的には国内で甚大な災害が起きたからとはいえ、挨拶を控えるのはちょっとな、と思う。それは関係を断ち切るようなものだな、と私は考えている。それでいえば、世界中では一方的な虐殺が今もいろんなところで行われている。毎日喪に服さなければならないぐらい。

私はそれぞれ自分の人生を生きる権利があると思っている。ただ、その中で、他者の悲しみを取り込み、自分にできることがあればやるというスタンスで行かないとキリがない。

難民支援をしており、ちょうど就職について考えていたころ、長年携わっているある方に言われたのは、「難民のためだけに生きようとするな。人を助けたいと思うならまずは自分の生活が十分に満足いく生活をしてからだ。そうじゃないと不幸な人が一人増えるだろう。それでも人の痛みをわかろうとするのは大事だ。必ずしもこの問題をよく知っているからってその道に進まなくていい」と。

たしかに私の知る人生の大先輩の支援者たちは他の仕事を普段はしており、家庭を持っていたり、または一人の人生を謳歌していたり、酒好きで、趣味には全力でつぎ込み、幸せな暮らしを送っているように見えた。

挨拶をしませんは、私的には無礼である。社会的な関係を立ち切り、離れ、自分は何かをやっている/考えているカモフラージュにしか見えない。日本の言葉や風習的にそういった考えに陥ってしまうのはわかる、が結局人は人との関係なくして何もできない。他の人と手をとりあうためにも、新年になり初めてあった人には私は「あけましておめでとうございます。」とあいさつをする。そしてタイにいては何もできない、と考えずに、情報収集し、考え、発信し、寄付もした。できることからやる。決して無関心にはならないように。


※追記
今年のイーペン祭りが11月15日(金)/16日(土)に決まり、各旅行会社で受付が始まりつつあります。昨年が月火の平日開催だったためどの会場も空席が若干あったみたいですが、今年は週末のためチケット争奪戦になるかなと思います。
ギリギリの予約では取れない可能性が高いので、ぜひお早めのご検討をいただくといいかなと思います!
参考までに昨年の参加エッセイ(1万字の大作)をご覧いただくと流れがわかるかなと思います!

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