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【I-044】阿佐谷から本屋が無くなる!?

2023年11月14日、衝撃のニュースが飛び込んできました。
JR阿佐ヶ谷駅前にある書店「書楽」が、2024年1月8日で閉店してしまうというのです!これは大変なことです。書店に限らず、今までも「閉店します」情報はいくつもありました。自分の生活に必要なお店程、それを知った時のショックは大きかったですが、今回の書楽の閉店は、今までのどれとも違う、何とも言えない気持ちになりました。

阿佐谷文士村

関東大震災後、住宅地として発展した中央線沿線ですが、阿佐谷は川端康成や横光利一、大宅壮一などが昭和初期に住宅を構えたことは有名です。その後、中央線沿線の文士同士の交流が始まり、阿佐谷でも駅前の中華料理の「ピノチオ」等が社交場となり、交流が盛んになりました。文士や芸術家の交流は1970年代まで続いたとされ、阿佐谷の持つ文化的なイメージのベースとなっており、阿佐谷住民のステータスのひとつになっています。その阿佐谷から書店(正確には新刊書店)が無くなってしまうのです。何と言うことでしょう。

私は1歳から阿佐谷に住んでいます。途中転勤等で離れたことはありますが、現在も阿佐谷在住です。かれこれ半世紀以上お世話になっています。思えば、小学生の頃までは阿佐谷の街には書店がいくつもありました。南阿佐ヶ谷駅には「書原」がありました(2017年2月19日閉店)パールセンターの中程にも書店がありました。すずらん通りを青梅街道まで抜けた右角の場所もかつては書店でした。阿佐ヶ谷駅のビーンズの2階にも「文公堂」がありました。(2018年11月30日閉店)この文公堂は、ビーンズが「ダイヤ街」だった頃から営業しており、当時は1階にありました。さらにここの支店が駅前の西友の5階にありました。懐かしいですが、今はいずれも存在しません。

文公堂閉店のお知らせ

数年前までは、JR阿佐ヶ谷駅前の「書楽」と東京メトロの南阿佐ヶ谷駅前の「書原」が南北にどっしりと構えており、阿佐谷文化を担っていた印象があります。東京の歴史や近現代史が好きだった私は、どちらかと言えば書原の品揃えが好きでした。ふらっと立ち寄ると必ず「お!これは!」という本がありました。何冊買ったかわかりません。
その「書原」は2017年2月に閉店してしまいました。入居していたビルは建て替えられ、現在はマンションになっています。マンションの1階に再び戻ってくるか?と密かに期待していましたが、そこはコンビニになっています。

書原の入っていた在りし日の芝萬ビル
書原への階段
閉店する直前の書原の入り口付近

出版不況などと言われて久しいですが、書店が継続出来ないのは、売上が悪いからなのでしょう。売上、利益があれば継続出来る、単純な話しだと思います。週刊誌やマンガ誌は、売れ筋商品だったはずですが、コンビニの店舗拡大により、この売上が書店からコンビニに移りました。これにより街の小さな書店からなくなっていきました。

やがて、パソコン、スマホが普及したことにより、「紙で読む」ことが減り、本として買うことも減りました。消費者にとっては、便利になったのだと思います。しかし、便利を享受した結果、書店が無くなるという不便を受け入れなければならなくなりました。

1990年代中頃まで、大手量販店は地方に大型ショッピング施設を量産していました。それは田んぼの中に突然現れ、高速道路や新幹線の車窓からも確認出来ました。地域住民は、車に乗ってこれらの施設に殺到しました。結果、地元の個人商店が無くなっていきました。車で移動するので、駅前のデパートも寂れていきました。

数年後、この大型施設自体が寂れていきました。大手量販店も競合同士が合併し、様々なリストラが行われました。しかし、個人商店が復活することはなく、地域住民は買い物に不便になりました。

私はネットで本を買うことを極力避けてきました。買うと決めている本も可能な限り書店で買いました。在庫が無ければ書店で注文しました。大学生の頃に出版社で出荷のアルバイトをしていたことも影響していると思います。本には短冊と呼ばれるしおりのような細長い紙が挟まれています。会計の際に店員はこれを引き抜きます。今はPOSレジで環境は変わっていると思いますが、平成の初め頃は、この短冊が人気のバロメーターでした。書店は、この短冊を書籍ごとにまとめて、取次店に戻します。この本が、これだけ売れました、という証な訳です。取次店は、在庫があれば、これらの短冊をもとに書店に出荷します。在庫が無い場合は、出版社へ送られ、出版社から再度取次店に送られます。かつて本を注文すると時間がかかったのは、このような経緯をたどるからでした。

ネットで書籍を買うと、この短冊が抜かれずにそのまま挟まっています。私は、このキレイな状態の短冊を見ると何だか悲しくなってしまうのです。今や短冊がなくても在庫管理、受発注管理は出来ているはずですが、それでも未だに短冊が存在するのは、おそらく小さな書店向けなのだと思います。短冊を分析すれば、自分の書店のお客さんの好みが分かります。アナログですが、こういう感覚が非常に大事だと思います。

書店が無くなる…。

単純に売上が悪いから閉店する、これが理由だとしたら、その責任は我々利用者にあるのだと思います。便利を享受すると、それによりなくなるものが必ずあります。コロナ流行時に、飲食店を助けよう、利用して支えようという動きがありましたが、本当にそうだと思います。

書楽は、ほぼ毎日立ち寄って、3日に1度は本を買っていました。
これでは足りなかったのでしょうかね…。

店内をぐるぐる回って、知らない本と出合うことは非常に大切だと思います。新聞を読むことも同様です。ニュース記事自体は、スマホでも見ることが出来ますが、興味のないものはクリックしません。新聞の紙面には自分には興味がない情報がたくさんありますが、目で追っている間に、ふと飛び込んできて、読んでしまうことがあります。これは結果として自分にプラスになります。世の中が便利になるにつれて、こういう体験が減っています。

買う本が決まっていてネットで注文することは便利ですが、自分の思いつく情報以上の検索はしませんし、試読出来る範囲も決まっています。
手に取って「重いなぁ」と感じることも出来ないし、持っただけで「欲しい!」と思ってしまう、あの感覚を味わうことも出来ません。あと何と言っても、パソコンの画面では、本の独特の匂いを嗅ぐことが出来ません。

本は再販制度で「定価」が決まっています。本が再販制度になっているのは、国民の文化水準を維持する目的もあります。大学生時代には、「こんな小難しい内容、二度と読みたくない」という本に数多く出会いましたが、学問を究めるためには必要な訳です。いみじくも大学の先生が授業でおっしゃっていた「単に売れる本だけ追及するようになれば、書店には漫画とエッチな本しか並ばない」という話しに妙に納得したものでした。書店が無くなるということは、国民の文化水準が下がるということなのです。図書館があるじゃないか、という声が聞こえてきそうですが、書店と図書館は役割が異なると思います。図書館では、欲しい本を所有するという部分は満たせませんし、借りるばかりでは作家に印税が入りません。やはり本は売れないといけません。そうしないと作家を目指す人も出てきません。作家がいなければ面白い作品を読むことが出来なくなります。とにかく書店は必要なのです。

阿佐谷には古書店はあります。ブックオフもあります。しかし、新刊取り扱いの書店が無くなってしまうのです。これは本当に残念です。
住民の文化水準を維持し、作家を育てるためには、今後行政が運営する書店とか必要になるのではないでしょうか。大阪の某イベントよりも日本国民にとっては、街の本屋さんの方が必要です。

これを書いているのは、2023年11月17日です。書楽が閉店する2024年1月8日まで52日しかありません。あと52回しか書楽に行くことが出来ない…。
宝くじでも当たれば、それを資金に営業継続するのになぁ、神さまぁ~、私に託してみませんか(笑)


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