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国別ワインショップ オーストラリア支店
いらっしゃいませ、国別ワインショップへ。
私はショップオーナーの地図上の冒険と申します。
本店である「神は水を作ったが、人はワインを作った」店では世界各国のワインについて記事を投稿しております。
一方、支店では国別にワインを売らせていただいております。
良ければ店内を眺めていってくださいませ。
オーストラリアの場所と州
オーストラリアの別名「ダウンアンダー(Down Under)」が示す通り、世界地図の下に位置しています。オーストラリアは南半球にあり、インド洋と太平洋の間に位置しています。オーストラリアへは直行便か乗り継ぎ1回で来れるので、空路が簡単です。
オーストラリアのワイン歴史
オーストラリアにブドウの樹が持ち込まれたのは1788年です。それまでは、オーストラリアにブドウはありませんでした。
その年に、ニュー・サウス・ウェールズ州の初代総督であるアーサー・フィリップ大佐が、記念碑的な意味を込めてブドウの樹をシドニーに植えたのが始まりとされています。
その後、1825年にジェームズ・バズビーによってハンター・ヴァレーでブドウ園が開設されました。
それから、徐々にブドウの栽培が広がっていき、1820年代にはオーストラリアでワイン造りが行われるようになりました。さらに1840年代からドイツ系移民やイタリア移民がオーストラリアに入植したことにより、ワイン造りの基礎が築き上げられました。
1860年代において、ヨーロッパでブドウの天敵であるフィロキセラが発生し、深刻な被害が発生しました。オーストラリアでは1877年にフィロキセラが発見されたものの、現在までにフィロキセラの被害に遭わなかった州が多く存在し、今でもその地域のブドウからワイン造りがされています。
1880年代からは酒精強化ワイン(アルコールを添加して造る甘口のワイン)が多く作られるようになりました。これは、ポルトガルのポートワイン産地がフィロキセラの甚大な被害を受けたためで、その代替品としてオーストラリアでの酒精強化ワインがイギリスから求められるようになったのです。輸出ワインだけでなく、国内市場においても大部分を酒精強化ワインが占めるようになりました。
甘い酒精強化ワインの時代は長く続き、ようやく変化が訪れたのは1950年代以降です。長期熟成型のフルボディの赤ワインが登場し、発表当初は酷評されましたが、60年代に入り、フランスをはじめ世界から高い評価を受けたことで、生産が本格化します。オーストラリアでのワイン造りも世界の流れに沿いながら、拡大していきました。90年代には、「シラーズ」が質・量ともにオーストラリアを代表するブドウ品種となりました。
2001年には「イエローテイル」ブランドがアメリカ市場で発売され100万ケース以上を売り上げました。この記録は、アメリカのワイン市場で最も短期間で売上を伸ばした伝説のワインブランドとして語り継がれています。
近年では高級ワインだけをつくるワイナリーも多くなり、ワイナリー数も急速に増えてきています。また、その土地らしさにこだわる造り手もでてくるなど、新しい流れが出てきています。
商品棚
エスターハージー家は17世紀からブドウ栽培と、ワイン醸造を手がけてきました。ワイナリーの第一の目標は、代々受け継がれてきたワイン作りの伝統と近代的な技術を結びつけることにあります。
スターハージー公爵家の豪華な宮廷の生活は非常に有名でした。
マリア・テレジア皇后のみならず、エスターハージーワインは多くの人々から高い評価を受けていました。
このワインはパノニアのマイルドな特別な気候で育ったブドウをステルハージー宮殿のワインセラーで醸造した高級なワインです。世界的に有名な音楽家ヨーゼフ・ハイドンは長く宮廷に住み、1789年の書類にあるように給料の一部をワインで支払いを受けていました。
贅沢に慣れていたドイツの有名な詩人ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテはエスターハージーのコレクションの印象的な財宝を見て、「エスターハージーの妖精の国」と称しました
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