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地下アイドルオタクは「推し活」なのか

分からないことが、どれくらい分かっているか。

地下アイドルオタクのかべのおくです。


2021年には流行語大賞にノミネートされた「推し活」。今やアイドルや歌手、声優などの一般的なオタク現場にとどまらず、ありとあらゆるところに「推し」が登場してマーケティングの対象になっています。

しかし、こんなブームが引き起こされる前からずっとオタクをやっていた僕には、自分のやっていることが果たして「推し活」なのか自信がありません。そんなわけで、地下アイドルオタクをする行為は「推し活」なのか、真面目に考えてみることにしました。


「推し活」はアイデンティティ融合

ここで「推し活」とは何なのか、ということに関して一つ見方を提示します。それは「『推し活』はアイデンティティ融合である」という考え方です。これは、橘玲さんの書籍で語られています。

アイデンティティ融合とは、自我を他者や集団と融合させることです。これ自体は決して珍しい現象ではなく、国や宗教と融合すればナショナリストや原理主義者、サッカーチームと融合すれば熱狂的サポーターになります。「推し活」は、そのアイデンティティ融合の対象がアイドルというだけなのです。

この考え方には一定の説得性があるように感じられます。確かにオタクとしての僕は、推しメンが、推しのグループが有名になるとそれを自分のことのように喜びます。逆に推しメンがスキャンダル、脱退ともなれば生きた心地はしません。まさに「推しの喜びは自分の喜び、推しの悲しみは自分の悲しみ」という訳です。


地下アイドルオタクの「推し活」なところと、そうじゃないところ

さて、これをもとに地下アイドルオタクに戻って考えてみると、「推し活」に当てはまるところとそうじゃないところがあるように感じます。

①地下アイドルオタクの「推し活」なところ

地下アイドルオタクにおいて「推し活」な側面があるとすれば、それはコミュニティに所属することで精神的な安定を得ていることです。ライブ頻度が多い地下アイドル現場では、1週間でオタクやアイドルと話す時間の方が、家族よりも長いなんてことは普通に発生します。そうなると次第に現場が自分の居場所になり、その「界隈」に所属することがアイデンティティになるでしょう。これは別にガッツリ言葉を交わすわけでもありません。「〇〇ちゃんの札貰いま〜す」「あ、うっす」とか、「え、今日物販卓どこですか?」「ああ、あっちっすよ」くらいの会話でも構いません。相手の素性も何も分からないけど、何だかいつも同じ空間にいる。それだけでいいと思うのです。

また、推しているグループが賞レースを勝ち抜いたり、ワンマンライブを成し遂げたり、フェスで最高のステージを見られると、推しを推していることに誇りを感じます。オタクがSNSにチェキやライブ中の写真・動画を投稿するのは、推しが有名になったり人気が出ることで、融合している自分のアイデンティティが高まることを期待しているためという側面もあるでしょう(単にいいねが欲しいという承認欲求だけかもしれませんが)。

こんなふうに、地下アイドルオタクをやっていても「推し活」らしき部分はたくさんあります。しかし、それだけでは地下アイドルオタクの深淵を覗いたことにはなっていません。


②地下アイドルオタクの「推し活」じゃないところ

地下アイドルオタクの「推し活」じゃないところ、それは必ずしも推しメンと自分を完全に同一化しているオタクばかりではない部分です。「DD」と呼ばれるオタクの存在が、地下アイドルオタクの定義を難しくしています。

地下アイドルのライブは複数のグループが出演する対バン形式がほとんどです。よって出番前後に推しグループ以外のライブも見ることになります。事務所によっては対バン相手がほぼ固定化されることもあり、見る頻度が多ければ「1回くらい…チェキ撮りに行こうかな…新規無料だし…」となるのは自然の摂理です。ただ別に現場が被ったら話しに行く程度ならいいかもしれませんが、あちらこちらで「〇〇ちゃんしか」「俺だけの△△」「‪✕‬‪✕‬ちゃんずっと好き」とか言って回っているオタクは、一体人格がいくつあるのでしょうか?(ここでブーメランが喉元に突き刺さり息絶える)


地下アイドルの「推し活」ではないポイントはもう一つあります。それは推していることがステータスになりにくいという点です。

地下アイドルは別に有名人ではなく普通の人間です。大手事務所にでも所属していないと有名になることかなり限られますし、鳴かず飛ばずで引退してしまうケースも少なくはありません。別にそういったアイドルを推すこと自体は全然悪いことではないのですが、それが自分を自分たらしめるものになるかと言われれば微妙です。やはり多くの人と「推しが尊い…」みたいな感情を分かち合いたいでしょう。羽生くんや水樹奈々、日プを推すように、地下アイドルを「推す」ことはそもそもできないのです。


じゃあどうすればいいのよ?

このように、「推し活」と呼べるところと、呼べないところが混在している地下アイドルオタクですが、ではどのように立ち振る舞うのがよいのでしょうか?そこで、何かしらの解決策を考えていきましょう。

①現場でのステータスゲームに興じる

多くの地下アイドルオタクはどうしてるかというと、現場におけるステータスゲームを楽しんでいます。これも先ほどの書籍で語られているもので、人間は特定のコミュニティで自分の地位を上げるために「権威」「支配」「美徳」の3つの手段を取ります。これを地下アイドル現場に落とし込むと以下の通りです。

  • 権威・・・CDを買い占める、チェキを積む、最前管理をする

  • 支配・・・ライブでコール・サークルを先導する、振りコピを極める

  • 美徳・・・推しメンに忠実なオタクであり続ける、お気持ち表明

先程紹介したDDもコレクター気質にアイドル現場を楽しんでいるわけで、これは権威づけのひとつだと思います。「推していること」自体にはステータスのない地下アイドルオタクにとっての「推し活」は、推しを見つけたら終わりではありません。「自分がどんなオタクなのか」というアイデンティティを現場で確立することが重要と言えるでしょう。

こうなってくると、「推し活」からはどんどんかけ離れてきます。そもそも地下アイドルオタクであることが前提となってしまうからです。人間関係も地下アイドルオタクだけで構成されており、それだけでは自我を保てなくなってしまいます。これらのステータスゲームは地上アイドルオタクでも当然行われていますが、そこでは勝ち抜くことのできなかったオタクが地下にきているとも考えられるでしょう。


②「推し活」ができる地下アイドルを選ぶ

「いや、私は何があっても推し活がしたい!友達に自慢できるような趣味がほしい!」という人もいると思います。確かにせっかく推しを応援しているのに、それだけじゃ幸せになれないなんておかしいですよね。そういう人は「推し活」ができる地下アイドルを選びましょう。

そのうえでのポイントは「インフルエンサー兼地下アイドル」を推すことです。別にソロでも全然やっていける人気を持っているのに、目指すものがあって地下アイドルという形態をとっているインフルエンサーは時々存在します。たとえばFRUITS ZIPPER・きゅるりんってしてみて・JamsCollectionなど女性人気の高いグループには、Z世代から人気を集めてウン万のフォロワーを抱えているメンバーが多いように思います。そしてこうした人達は決して生半可な思いではなく、専業アイドルと同等かそれ以上の覚悟を持っているように(僕の知る限りでは)見受けられます。

もう一つは、今をときめくグループを推すことです。最近だと高嶺のなでしこ、iLiFE!、#ババババンビなどは地上波やグラビアでの活躍が目立っており、オタクのSNSでの発信も活発です。しかし、これらのグループはいずれも大型フェスでメインステージに立ったり、対バンでトリを飾るくらいの規模です。このためこれらのグループを応援していて「地下アイドルオタクです」と名乗っていいのかには、いささか疑問が残ります。


そもそも「推し活」をする必要はあるのか?

ここまで考えてくると、はたして地下アイドルオタクは「推し活」をする必要があるのか?という疑問がわいてきます。

確かに、他の趣味や仕事で自分のアイデンティティーが保たれるのなら、無理に「推し活」をする必要はないでしょう。アイドルはオタクの代わりになりませんし、オタクの人生はオタクのためにあります。だから推しのことを考えすぎるがあまり、自分の人生が損なわれてしまっては元も子もありません。推しを活力として、何らかの形で世の中に貢献できるのがオタクのあるべき姿でしょう。

しかし、オタクはそんなに単純ではありません。多くのオタクにとって、推しを応援することは生活の一部であり、人生を形作っています。良くも悪くも、そもそもオタクをしなければ今の自分は存在しえなかったわけです。したがって程度の差こそあれ、オタクのアイデンティティーは必ず推しと融合してしまうものなのでしょう。


結局、「地下アイドルオタクは『推し活』である」が今回の結論となります。これは地下アイドルオタクに限らず、オタクとして生れ落ちてしまった人間が背負っている、逃れようのない業なんだと思います。

しかし今回適用した「推し活」の定義(=アイデンティティーの融合)はとても抽象的なため、それが当てはまる部分とそうでない部分があるのは説明したとおりです。これは他ジャンルでも同様ではないでしょうか?そのオタクがどうして推しを応援しているのか、その理由は百人百色です。だから、オタクのすべてを「推し活」という言葉で括ってしまわないように気を付ける必要があることは確かでしょう。


おわりに

まとめます。

こんなこと考えてたら、また推しに会いたくなってきた。

以上です。

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