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人類みなマザコンじゃないの??

人類皆マザコンだと確信してるんだけど………ちがう??????


本当はこのnoteを母の日にあわせて投稿したかったんですが、なんとなくだらだらしてしまって書き終わらず…まあ当日は母と長電話をしてたくさん喋れたし、このnoteは母に読ませるものでもないただの自己満なのでいっか!!ということで、だいぶ過ぎてしまいましたが本日投稿します。

お仕置きは山で

初っ端からとんでもないタイトルで申し訳ないけど、そのまんまです。
5歳から12歳までピアノを習っていました。毎日2時間練習するのが母との約束で、それを破るとみっちり怒られた…。1年に1回くらい、本気で怒られたときは車で1時間くらいかかる山の中に連れていかれて、そこで更に説教を受けました。「このまま山に置いて明日の朝に迎えに来るから、オオカミに食べられないように気をつけな」とよく分からない脅しを受けたけど、普通に考えて日本にオオカミはいない。母は感情の起伏が激しい人で、かつ、いつでも全力だ。 そして約束を破ることを絶対に許さない。

お互いに歳を重ねて丸くなったところはあるけれど、基本的にどんな相手に対しても全力で向き合う。たとえ5歳の子どもでも、まわりに大人気ないと言われても。

そういうところは私は全く母と似ていない、むしろ自分は無気力な方だと思っていたんだけど、結構似ているかもしれないことを最近感じてきました。

この歳になっても鮮明に思い出せる山お仕置エピソードは、私と母の関係をしめすうえで、非常に印象深いものです。まじでこわいからね、真夜中の山…

世話してくれる大人なら誰でもいい

こういうようなことを言ったことがある。保育園に通ってた頃かな???言った瞬間のことは正直全く覚えていないんだけど、その言葉に衝撃を受けた母から「あんたのその言葉一生忘れないわ…」と言われたのは私も覚えている。そんな悪いこと言った??みたいに思っていた。

でも今ならわかる。

お前それ絶対、ぜえっっっっっっつつつつっっつつつったい言っちゃいけないやつ!!!!!!!!口が裂けても言っちゃいけないやつ!!!!よくママ許してくれたよ!!!!!!!!

いやほんとにこれは言っちゃだめなやつだった(笑)

そしてこのエピソードの感想が、最近私の中で更新されることになりました。

私は酪農関係の仕事をしているので、毎日のように牛の出産・子育てを目の当たりにします。もう慣れてしまったけど、毎日「誕生」という奇跡がみられる職場であることはとてもありがたいことです。
種類にもよりますが、牛の赤ちゃんは中型犬くらいのサイズで顔は鹿に似ています。どの動物も母親の母性本能に働きかけるため可愛くみえるように「なっている」という話をどこかで聞いたことがあるけど、ご多分にもれず、牛の赤ちゃんもめちゃくちゃ、めっちゃくちゃかわいい。

仔牛が体調を崩したりすると回復のために人間のもとで治療するのだけど、その間、親牛は鳴き続ける。ずーーっと、ずーーっと鳴き続ける。何度も子育てを経験しているベテラン母牛なんかは、なぜ自分が子どもと離されているのかおそらく理解しています。人間に預けておけば、元気になって仔牛が返ってくることもわかっているはず。それでも四六時中鳴き続ける。

仔牛の方はというと、あったかい牛舎の中で、人間に丁寧に世話されて極楽気分です。

「ママがいるお外よりもこっちの方がかいてき〜」
「正直おっぱいくれるなら誰でもいいわ〜」
「わたしのママって誰だったっけ、、なんか違う気もするけど二本足で歩いてる“あれ”だ!!」

このぐらいのことを思っていそうなんです。……白状すぎる。
寒い外で、子どもが返ってくることを信じて健気に鳴き続ける親牛の瞳の切実さにこちらが泣けてくるよ…。

話は戻りますが、多分小さい頃の私もこんなかんじだったんだと思います。あの言葉は絶対言っちゃいけない一言だったと今ならわかるけど、なんでそう言ったのかもなんとなくわかる。
母親は出産の何ヶ月も前から母親になる準備をしています。身体も心も。もっと言うなら、人間は、母親になれる身体に成長したときから、いずれ授かることになるかもしれない、まだ見ぬ我が子のことを想っています。なかなか子宝に恵まれない人もいるだろうし、私の母も不妊治療とまではいかないけど、私が産まれるまでに短くはない時間を過ごしたそう。そうして、長い時間をかけてようやく我が子に出会えた母親と、世に生を受けたばかりの、特に何にも愛着のない子供なら、たしかに想いに差があるのかもしれません。そしてその差は歳を重ねるにつれて縮まっていくのだと思います。

約20年かけて社会に放り込んでも大丈夫な人間に育ててもらった今、私は母に言えます。

私のママはママじゃないと嫌だ。

生涯“ママ”呼び

ここまで読んでくれた方は多分「ママ、ママうっせえな!!」と思っているでしょう。すみません…私も書きながら思ってました。。。つい出てしまうんです…でもこれには訳があるから許してほしい。

何を隠そう、ママ本人がそう呼べと厳命しているんです。

小学生の頃、ママと交換日記をしていました。それである時、“ママ”呼びが恥ずかしくなって「お母さんって呼んでいいですか」と書いたことがある。ちょうどクラスの皆も言い方を切り替えていた時期で、私もその波にのろうと思った。

返事は「だめです。」

だめらしい。なのでいまだに私はママをママと呼ぶ。自分がおばちゃんになったときのカオスさを想像するとちょっとおそろしいけど、とりあえず先のことは考えず、いけるところまで呼び続けたいと思います。

ちなみに私は、いつか子どもを産んだら、一度でいいので「おっかさん」と呼ばれてみたいです。

母子手帳

棚の一番下に母子手帳が入っているのは小さい頃から知っていました。特に気にしていなかったけど、ある時「あなたが二十歳になったら渡してあげるからね」と言われました。そう言われると気になってしまう。そのとき私はたしか10歳前後。秘密という言葉にことさらときめいてしまうお年頃。しばらく我慢していたけど、結局私はこっそり中身を読んでしまいました。


中には、私が生まれる数ヶ月前から1歳くらいにかけてのママの奮闘記が書かれていました。ママは当時33歳。初めての妊娠、初めての出産、そして初めての「わたしの赤ちゃん」。母親としての喜びを噛みしめる、一人の女性の姿がそこにありました。ママは最初からママだったわけじゃなかった。

ある日の日記にこう書いてありました。

私が笑うとあの子も笑う。私が泣くとあの子も泣く。本当にかわいい子。

ちょうどその頃、私はクラスの女の子たちからいじめられていて、10年そこそこの人生の中でどん底にいました。自分を全部否定されたように感じて毎日学校にいくのが本気で嫌でした。無宗教なのに毎日世界のどっかの神様に助けてって祈ってた。そういう時期に母子手帳を読みました。いじめのことはママに相談したりもしていたけど、母子手帳を読むのが私にとっては一番救われることでした。私が泣いても笑っても、ピアノの練習をサボっても、1週間分のおやつを1日で食べてしまっても、写真撮られるのが恥ずかしくてブスっとしても、クラスの皆からハブられていても、私が生まれただけでこんなにママは喜んでくれるんだ。無償の愛のパワーってすごい。自分が自分をどんなにクズだと思ってもママは私を自慢の娘だと思ってくれる。

きっと私が人を殺めてしまったとしても、ママは私を産んだことを後悔しないんだと思います。そのくらい、ママにとって私を産んだことは絶対的な幸せで、子育ては暖かさに満ちていました。

何度読んでも、涙はとまりませんでした。

結局、20歳になっても母子手帳が譲り受けられることはなかったけれど、それはそれでかまわないと思っています。赤ちゃんだったからその頃の想い出は私にはないし、少し覗き見させてもらったけど、ママだけの大切な思い出としてずっと持っててね。

ママになりたい

多くの男の子にとって信じられないかもしれないけれど、女の子は中学生くらいから自分の子どもへの憧れを持ち始めます。ふざけ半分でも「子どもほしい〜」なんて発言は男の子だとほとんどしないんじゃないのかな。もっと遅い人もいるだろうし、子どもを持ちたくないって人もいるけれど、実はもっと早い人だっているというのも事実です。身体の変化によるのかもしれない。
20代になるといずれ子育てをすることを前提に人生計画をたてる人は多いし、「30までには産んどきたいな…」とか「寿退社しようと思ってる…」って会話だって珍しくない。

私は、周りからそういうイメージがないようで、「絶対に子どもがほしい」と話すととても驚かれる。なんで??と必ず聞かれる。

なんでかってそれは「ママ」になりたいから。

子どもがほしいというよりも、私は「ママ」になりたい。正確にいうと、「ママみたいな、ママになりたい」。

うちのママは世間的に見てもかなり厳しい母親だと思う。友達には、主に山でのお仕置エピソードあたりでドン引きされていた。皆思ったに違いない。「(それ虐待やん……)」と。
でも育てられた本人である私は、当時も今もそんなこと思っていません。

これってすごいことなんじゃないかと思う。もちろん刷り込み的なものはあるし、過ごした時間の長さが圧倒的だってこともあります。うちは母子家庭だから、ことさらに母一人と向き合う時間も多くて、だからこそ母の苦労を目にすることも多くて。

母と子の絆って唯一無二のものなんじゃないかと強く思います。色んな家庭、色んな環境があって、その中に色んな親子がいる。

私は社交的なタイプだと見られがちだけど、一枚壁をつくってしまって、もう一歩踏み込んだ関係になりたいのになれないってことがよくあります。でも、今までの人生全部がかかっている母との関係は、一生懸命つくってきた自信があります。そんな関係を、私も私の子どもと築きたい。なれたらいいなあ、そう思っています。

自分の人生を

ママがシングルマザーになったのは私が3歳のとき、母は30代半ば。祖父母の住む、母の地元県に引っ越したので、ある程度育児しやすい環境だったとはいえ、本来二人で育てる子供を一人で世話するのは本当に本当に大変なことです。世話っていっても、ご飯だけあげてればいいわけじゃありません。特に小さい子供には、世話する人の言動すべてがその後の人格形成に大きく関わってくる。育児は世界でいちばん責任ある仕事なんじゃないかと思います。

この間、恋愛小説を読みました。ヒロインは若くしてシングルマザーになった女性で、お相手は近所に住む年下の男性。1人で育児を頑張るヒロインのひたむきなところに男性が惹かれて、そこからなんやかんやありつつ3人家族になる。こういうお話、意外とある。でも実際、よほど器用じゃないと、育児と恋愛を両立なんてむずかしいと思うし、したくてもできない人がほとんどでしょう。なにより、子どもに相手を受け入れてもらえないときが一番母親にはきついはずだろうし。

母は、身内の贔屓目を抜きにしても美人な部類に入ると思います。はきはきした性格で、曲がったことが大嫌いな頑固さはあるけれど、それ自体はとてもいいことだし、面倒に思わず向き合ってくれる人だって探せばいたはずです。私はあと10年もすれば、母が母になった年齢を迎えるけど、その頃だってまだまだ女性として魅力的でいたいっていう願望はあります。もちろんいくつになっても美しくいられるものだけども、偏見的な日本の社会のフィルターを通しても、その頃の母は美しい人だったはず。私にとって母は生まれたときから母で、女性として見ていなかったから気づけなかったけど、今思えばもっと自分のことを考えた人生を送れたんじゃないかとも思います。

ある程度大きくなってから母にこのことを伝えたとき、母はそんなことは思わなくていいと言いました。母にとって私は人生の作品のようなもので、私が生まれた瞬間から私を立派に育て上げることが生きる柱になったと。

一見、子どもに依存しているように聞こえるかもしれません。世の中には、子どもに自分を投影し過ぎて毒親となってしまう人もいます。でも母は、しっかりと自立した女性だし、実際私はそんなこと思っていません。私は私のために生きているんであって、母のために生きているわけではありません。ただ、こんなに自分のことを想ってくれる存在は人生でそうそう見つからないから、母のためにも少しでも立派な人間になりたいと思うだけです。

今私は、まだまだ人間として半人前だし、生涯かけてのめりこめるようなお仕事も見つけられていないですが、結構よくやっているんじゃないかと自負しています。どこからその自信くるんだよってかんじですが(笑)

いい加減な性格だし、失敗ばかりだけど、母は私を信頼して、私の人生を私一人に託してくれたような気がします。「私」という作品は、もう母の手をはなれたのでしょう。

母は最近新しい職場で農業のようなことを始めました。毎日少しずつ変化していく作物の様子を見て、楽しそうに暮らしています。もう少しで定年を迎える母ですが、まだまだやりたいことがたくさんあるようだし、本当の意味で「彼女(母)のための」人生が始まったようです。

「母」から「友」へ

母の日に4時間以上電話しました。アクティブな母は、紆余曲折あって今長野に住んでいるんですが、さすがにこのご時世に帰省するわけにはいかないので今話題の「オンライン帰省」です(笑)

小さい頃から、私と母は、表面的なことだけでなく、悩みや自分の深い考えを語り合ってきましたが、最近はより対等な立場で話せているような気がします。母の若い頃の未熟なエピソードを聞かせてくれたり、悩んでいることを打ち明けてくれたり…。私が母になにかを教えることも増えました。「そういう考え方はいけないと思うよ」って言うこともあります。

私はもともとテキトーな性格なのできっちりした母に矯正されてきたけれど、母は母で頑固で融通がきかない性格だったのが、最近広い視野で物事を見れている気がします。多分、あっけらかんとしている私の影響です(笑)真逆な性格なので、本当に喧嘩の多い母娘だったけど、お互いの良いところを学んで、それぞれが上手く成長してきたと最近強く感じます。私だけじゃなくて、母もなんです。

母は最近「友」になりつつあります。ダメなところも知り尽くしたうえで、それでも語り合える最強の「友」です。こういう関係になれたのは、どんなに小さい頃でも、私を一人の人間として尊重して、向き合ってくれたからだと思います。山でお仕置したのだって、母が本気で怒って本気で正そうとしてくれたから。ド下手くそなくせに「ピアニストになりたい」と言っていた私の夢を真剣にきいてくれたこと。わりと粘り強い性格の私が、ひどい先生に傷つけられて初めて習い事をやめたいと泣いたとき、世間体を気にせず私を連れ出してくれたこと。児童扶養手当を受ける家庭なのに、私の選択肢を広げるために引越してまで進学校に通わせてくれたこと…。

大きな出来事じゃなくても、きっとどんな親子のあいだにもあるちいさなちいさな毎日の信頼の積み重ねが、世界にひとつの親子関係をつくっていくんだと思います。そして我が家では、それはもう「親子」の枠を超えつつあるように思います。

私が大人になってからも喧嘩はしてるし、性格はちがうままだけど、もう「誰でもいい」、「ママ」じゃなくて、「ここにしかない」、「彼女と私の関係」になったんじゃないかな。


そして私も大人になって、やっと少しずつ恩返しができるようになってきたから、これからも世界一のマザコン目指して精進しようと思います!!!!(笑)待ってろマミーーーーー!!!!!!!!(笑)



「ママ」になったり、「母」になったり、最後は「マミー」にもなって、ごちゃごちゃで読みにくくてすみません…推敲は一応してみた(というか1ヶ月以上かけて書いてる…単純に遅筆)んですけど、このこんがらがったかんじも私っぽいかなと思って(笑)

おわり。


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