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#52.助かったはなし

 入院中はとても有難いことに、週に1度は上司が顔を見にきてくれました。

 薬石効を奏し回復の見込みも立ち、いやもう本当にご迷惑をお掛けし、心配をお掛けし、会うたびに土下座したい気分になったのだけれど、それでもなお上司に確認することが1つだけあります。

 即ち入院期間の話。先生の見立てではまだ数週間必要だろうとのお話で、やっぱりクビになっちゃうのでしょうか。今までお世話になりましたでしょうか。

「いえ、入院期間については会社とも話していますので。そこは気にしないでください」
「え……そうなんですか?」
「はい。また元気に復帰できるよう、頑張ってくださいね」

 端的に、そう言葉を掛けてもらいました。
 これは後で聞いた話なのだけれど、規則上は確かに、僕は退職になる予定だったそうです。

 ですが上司が会社と掛け合い、こういう不測の事態はしょうがないじゃないか、復帰の目途も立っているんだし……と話をまとめて下さったのだと。

 いやもう本当に有難く、申し訳ない限りで。
 転職活動中、僕との面接をしてくれたのもこの人でした。つまり『採用』を判断してくれたうえに、転職してすぐにダウンした僕がクビにならないよう動いてくださった。足を向けて寝られない、大恩人とも呼べる方でした。

 ◇

「カバネさん、ばっちり影が消えてます。肝臓は健康そのものですよ」

 白黒で映し出されたエコー写真を見ながら、主治医が笑顔で教えてくれました。

「と、言うことは……?」
「無事に退院です。お疲れ様でした」

 遂に、遂に……!
 娑婆に出られる……!!
 うわああああ先生くそ有難うございましたあああっ!!!

 上司にも早速連絡を入れ、週明けから職場復帰する段取りに。いやもうこの時は本当に嬉しかったです。無事に生還できたこと、そして外を歩けるという事実が。

 40日にも及ぶ入院期間を終えて病院を出ると、周囲の景色が違って見えました。
 空ってこんなに青いのか。
 風ってこんなに音が鳴るのか。
 夏の日差しが肌を照らし、蝉の声が鼓膜を揺さぶる。そんな五感の1つ1つが新鮮で、解放感に満ち溢れていたのです。

 身体も動く。
 とっても動く。

 テンションの上がった僕は買い物へとでかけました。向こう1週間分の食料を調達するほか、少しだけ祝杯を挙げようと思ったの。今日は家でお酒をゆっくり飲もう。快気祝いも良いじゃない。これからが新天地でのリスタート。今日はその記念日なんだ。

 そんな身体を異変が襲ったのは、大荷物を担いでアパートへと戻ったときでした。

「うぎゃああああああっ!!!!」

 右肩にバキバキバキィッと走る猛烈な痛み。
 もう漫画みたいな声が出ましたよ。まるで斬りつけられたような熱い痛みが走ったのです。

 長らく動かしていなかった身体は1週間分の荷物に耐え切れず、筋肉がブッチブチィッ。もう首が右に曲がらない。1歩進む度にズキズキと痛みが炸裂する。翌日からも朝に起きたときは最高に辛くって『うぎゃああっ』と叫びながら起床する日々。

 痛みは2週間ほど続き、寝る時はうぐぐと呻き、起きる時はうぎゃあと叫ぶ……夏の日差しはつとに辛く、蝉の鳴き声が鼓膜をつんざく。夏の景色の1つ1つが呪いのように疎ましい。

 なんとかパソコンを触るくらいはできたので、仕事には予定通りに復帰。首は(物理的に)回らないけれど。
 それからも数か月ほど勤務を続け、やっとこさっとこ、無事に研修期間を終えることができました。環境の変化が重なったけれど、大病することもなく今日まで元気に働いています。

 この文章を書いている今の僕は、やっぱり調子が悪い日もあるけれど、何とかかんとか日々を過ごしています。

 ここまで振り返ってみて、結局、僕は同じことを繰り返しているような気がします。調子が良いときと悪いときを繰り返す。調子が良いときはやり過ぎてしまい、身体が悲鳴を上げてしまったり、場合によっては心をケガしてしまう。

 まるで、空を飛ぼうとするペンギンのようだなと思います。
 飛べるはずのない翼をバタバタと羽ばたかせ、少し飛んでは墜落してしまう。水の中を勢いよく泳げばいいのに、それが分からず足掻いてしまう。

 それでも周囲に助けてもらい、何とかかんとか生き延びていく。
 歩いては転び、走っては転び。
 それでも起き上がろうとしたならば、誰かが手を差し伸べてくれている。
 或いは、転ばないと気付かなかっただけなのかも知れません。

 誰かが手を差し伸べてくれていても、僕はとにかく前だけを見て走っていました。むしろ目をつむっていたのかも。
 人生をレースに例える話を聞いたことがあるけれど、僕は給水所も仲間たちも視界に入らず、短距離走だと思い込んで、ただひたすら全力で、呼吸を止めてジタバタと足掻き、ゴールさえ確かめもせず。

 そして、これからもきっと、同じことを繰り返すのでしょう。

 けれど少しずつ、本当に少しずつで良いから、転び方も覚えて行きたい。今度はもっと上手く転んですぐに手を伸ばせるように。
 或いは、転ぶ前に誰かの手を取れるように。そして転びそうな誰かがいたなら、僕が手を差し伸べられるように。

 大きくつまづくときもあるだろうけれど、少しは泳げるようになると、良いなぁ。


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