『カメラワーク』あれこれと説明しない
『カメラワーク』映像作品だけがもつ強み
映像作品の最も大きな特性の一つが
『枠(フレーム)を持っている』
ということである。
どういう意味かというと、スクリーンに映っているものに観客の意識を向けさせる、注目させることができるということだ。
例えば重要な小道具として犯人のもつナイフがあったとする。
しかしその小道具はあまりにも小さい。
犯人がちらっと見せたり取り出したりすぐぐらいでは大半の観客は気づけない。
しかし映像作品であれば、犯人がチラッとみせただけでもカメラをズームすることによって、観客に気づいてもらえることができる。
またはカメラを犯人に向けることによって、特定の人物の動向に注目してもらうことができる。
これがもし舞台芸術の場合であれば、観客全員に分かるようなオーバーアクションや、
「なんだそのナイフは!?」
「これでお前ら全員切り刻んでやる!」
みたいなセリフでのやりとり、説明が必要になってくる。
しかし映像作品であれば、ズーム機能などのカメラワークによって映像で全てを見せることが可能だ。
つまり『あれこれ説明しなくてもOK』という魔法の手段であり、演出面でこれを使わない手はない。
例:『ローマの休日』
1:パーティー会場にて、挨拶に来た来賓の応対をしている王女。
2:王女の凛とした表情、着飾れたドレスがカメラに映る。
3:そしてスカートの中へ。
王女は退屈しのぎにハイヒールをプラプラさせている。
↓
『王女は心底退屈そうにしている』という心情や、
『この人は何かをやらかしそう!』というキャラクター性が
映像のみで観客に伝えることが出来ている好例。
枠をもつことによるデメリット
カメラはありのままを映してしまうので、カメラによるフレーム(枠)を持つことによる注意点も存在する。
その最たるものが、『カメラに余計なものが移りこんでしまう』ことだ。
例えば、
・時代劇の堀に空き缶が浮いている。
・家屋の向こうに電柱が見える。
などである。
また映画館で上映される場合は、枠(スクリーン)そのものが大きいのでちょっとした粗が分かってしまうこともある。
例えば『乱』(黒澤明)にてこのような抗議の電話が入ったらしい。
「城の柱が"電動カンナ"で削られていて雰囲気がぶち壊しだ」と。
細かい箇所であっても玄人は気付くし、枠が大きいくズームまで出来るとこのようなデメリットも待ち構えている。
そのデメリットは嫌でもついてくるものなので、せめてメリットを享受できるように特性をよく理解して使いこなしたいものだ。
媒体ごとに異なる技法、注意点
演劇の場合:
『スポットライト』
特定の人物や場所を注目させたい時に使う。舞台ならではの装置。
文学作品の場合:
太字、 や 『』でくくる
……などによって読者に注目させることができる。
ただしコンクールに提出する場合などは全く用をなさない。
なんなら『小細工』『内容で勝負していない』と受け取られかねないので、使用すること自体を控えた方がよい。
ソーシャルゲームの場合:
日本のソーシャルゲーム(ソシャゲ)の会話イベントは紙芝居のようにキャラクターの立ち絵の表情だけを動かして表現するというパターンが定番だ。
ゲームも(著作権法によると)映像作品の一種とされているが、この媒体の場合はキャラクターの表情以外は一切動かない。なので今回紹介したカメラワークによるテクニックはほぼ使用できないと考えてもよい。
なのでソシャゲのキャラクターはよく事情を説明してくれる。何が起きているのか、自分がどう思ったか、これからどうするつもりなのか……全部。
正直、映像を見なくてもラジオ感覚で物語を"聴いて楽しむ"ことも可能だ。
ライターや品質管理によって違いはあるだろうが、映像を見なくても状況が分かる程度には説明してあげる方が過不足ないかもしれない。
ゆえに話が長く、冗長になりやすいので注意。そこがソシャゲのシナリオを書く上での技量なのかもしれない。
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