普通…?当たり前…?ナニソレオイシイノ? その④

更新頻度不定期にもほどがある!
前回どこまで書いたのかも忘れるレベル💦
筆が進まずにすみません。

こんにちはかよきちです!

前回までの記事はコチラ↓
その①
https://note.com/kaaayo32/n/n8c15e7fe6cf1
その②
https://note.com/kaaayo32/n/nddb377e0d316
その③
https://note.com/kaaayo32/n/n78ca2aa167ed

過去3回のの記事で保育園の卒園あたりまでを振り返ってきました。
昨年から不登校になり、今年は5年生。
年度が変わって次男が入学したこともあって、弟が心配で連れて行ってあげるためにと、少し頑張って登校していましたが、だんだんと遅刻早退お休みが増え、2学期始まってまた完全に不登校という状況です。
これはもう、私の方が心配になるほどよく頑張っていたと思います。
相当エネルギーを使ったと思うし電池が切れるギリギリまで走り続けていた気がして、1学期本当によく頑張りました。
しばし充電期間…そんな現在です!

そんなわけでまたも過去回帰にはなりますが、
今回は1年生の頃に受けた支援について。
今もし発達障がいの子へのサポートで悩んでいる方にはヒントになる事例もあるかもしれないのでよかったら参考にしてみてください^^

長くなるのでエピソードを挟みながら小学校に上がってからの様子を綴っていきます。

~1年生編~

息子は、小学校に入学してからこれまで毎年担任が変わっています。
これは一見小さなことなのですが、ASDの子にとっては結構苦痛で、毎年環境ががらりと変わるので新学年になるごとに不安が大きいのです。

また、対人コミュニケーションに不安が大きいタイプのASDなので、初めての人と人間関係を築くことが、想像の何倍もストレスになります。
大人が思っているよりもはるかにたくさんの我慢を強いられているのだろうなと。
そもそも人間関係をつくるって大人でも大変ですからね。。

年度が替わる春休み中は、本人も自覚のないようなところで不安が膨らみ、寝つきが悪くなったり、その不安から爪噛みも増えたりしました。
心の不安が表に出てきているサインです。

ですが、同時に息子は本当に幸運でもありました。
(3年生までは…ですが…※これについては今後の記事でお分かりいただけるかと)

不安と期待も大きい中、小学校へ入学。
全校数十人の小規模校ではありますが、環境は大きく変わる時です。
通い慣れた保育園から、初めて過ごす学校という環境へ。
机やいす、周りの物だけでなく接する人も何もかも一気にがらりと変わるタイミング。
息子も私も不安が大きかった中、担任になった先生が前任校で支援学級を担当していたというなんとも有難い環境でのスタートでした。

(今思えば、当時の校長先生が子どもひとりひとりをとてもよく見てくださる先生だったので、園での経緯や園からの引継ぎ資料を見て環境を踏まえて担任に抜擢してくださったのだと思います。)

ひとつ、保育園とは違い、学校では時間割があることで『何時から何時まで〇〇をする』という生活に見通しがつきやすく、そこに関しては逆に過ごしやすく感じていたようにも見えました。

1年生はやることなすこと初めてばかり。
新しい行事の連続でつまづきも当然多い年です。
でもそのたびに担任の先生が息子に合わせ寄り添った支援をしてくれ、おだやかに過ごせました。

息子の学校には珍しい行事があります。
(学校など個人情報特定に至るかもしれないので詳細はちょっと割愛)
※ちなみに息子の学校は私の母校でもあり、その行事は私が子どもの頃からあったもの。

その行事では、男の子は上半身裸にならなければいけません。
けど、息子にとっては人前で、プールではないのに裸になることが違和感に感じたらしく、脱ぎたくない…ということを訴えました。
これもこだわりというか、息子の固定概念のうちのひとつなのかもしれないですが、プールは脱ぐところ、外では服を着るもの、同じ裸ならいいじゃん…と思う人も多いかと思いますが、そんなこだわりの中の一つだったのかもしれません。
それなら、本番の自分の出番の時だけは脱ぐようにしようか!
という先生の提案に、息子は納得し、本番はそのように過ごすことができました。

本人の出来うるポイントを大人が勝手に決めるのではなく、
本人と一緒に考えて決めて寄り添う…
という大切なポイントの一つです。

この行事はそういうものだから…
という大人の事情ではなく、子どもの気持ちに寄り添ってくれたことで行事に参加することができました。
※ちなみに…かなり余談ですが、私の小学生時代は低学年の女子も上半身裸、しかも強制でした…
時代は変わってきているんだなとは感じますが…
この行事については2年生編でも触れます。

息子は運動行事がもともと得意ではありません。
それと、参観日や発表会などで多くの人に見られる活動だと、
極度にいつも通りのパフォーマンスを発揮することができなくなります。
これは、
「注目されたり、周りから期待をかけられるような場面が苦しくなる」
という特性が根源にあります。

中でも運動会は本当に苦行で…
「集団行動」「運動が嫌い」「注目される」「人前に出る」
苦手を詰め込んだストレスの大きい行事です。
それでも、1年の頃はわけがわからない中で周りに必死でついていき終わったという印象。
学校の座席に座り、運動会にはじめから終わりまで参加できているということだけでも私には感動でした。

ただ相当ストレスであることには変わりなく、
運動会の練習期間中は「夜寝付けない」とか「爪噛み」も多かったですし、
「運動会なくならんかな…」とぼやくことが毎日のようにありました…

注目される、となると学校の音楽会なんかもすごくつらい行事で、
各家庭や地域から大勢の人が観に来られるし、その真正面でステージに立ち歌を歌ったり演奏するということが本当にプレッシャーで、本番までは毎日落ち着かない日が続きました。

その運動会や音楽会で担任の先生がしてくれたのが、
「本人と一緒にその日1日の目標を1つだけ決めること」
「本人が自分で達成できると思える目指しやすい目標をつくること」
でした。

音楽会では、
「今日は手を体の横に揃えて立って歌う」
とか、本当にちいさな目標です。
息子の特性の中に、
いくつも約束事があると覚えられなかったり何からどうしていいかわかならないという面があります。
(この辺はワーキングメモリーの苦手さが関わっています。)
それをきちんと汲み取り、ひとつだけがんばってみようという方法をとってくれました。
できないことではなく達成できたことを増やしてくれようとする先生の支援でした。

また、息子の学校には、子どもたちの体づくりのため、毎週なわとびの日があります。
運動が苦手な息子にとっては一番下の簡単な級ですら遠い目標。
「前まわしとび50回」
という単純な技だけど、とにかく苦戦し…
なわとびやだな…なんて毎週のように口にしていました。

そこで担任の先生は、うちの息子だけの特別な級と、
できた時にスタンプが押せる専用のカードを作ってくれました。
50回飛ばなきゃいけない目標ではなく、10回、20回、30回、40回という段階で区切られたカードでした。

何気ないことに見えるかもしれないけどとっても重要なこと。
50回とびなさいと言われるよりも、まずは10回。それが出来たら合格!
頑張って合格したらスタンプを押してもらえる。
そしてまた次へ…

目に見える達成感や目指しやすい目標ができたことで、息子は気持ちが下がることなく継続して取り組むことができました。

そして、1年生では30回までがんばることができ、カードに押された3つのスタンプを誇らしげに見せてくれました。

みんなと同じ50回の級は合格できなかったけど、担任の先生のサポートのおかげで息子にとっては、
「できなかった…」ではなく、「30回できた!」という達成感を感じる体験になったのです。

この1年生の時は担任だけでなく、他の学年の先生も含め、学校全体で支援に前向きに対応してくれる体制があり、当時の校長先生が学校の子どもたち一人一人をよく見てくれていたので、担任の支援のしかたにも理解があり、良い環境だったなと…改めて振り返るとそう感じます。

そんな穏やかに過ごせた1年生の1年間ですが、このまま続いてくれればと思ったのもつかの間。
当時の担任はいわゆる講師という肩書で、教員採用試験を他県にあるご実家の方で受けていたこともあり、その年に合格して遠くの学校へ転任することになってしまいました。

来年は先生が変わってしまう…
どんな先生になるんだろう…

春休みはそんな会話でいっぱいでした。
また少し不安な日々を重ねながらのお休みでした。

2年生のエピソードはまた次回。

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