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短編小説『箱の中の蛇』成瀬編

 紅葉とはつまり、リストラだ。

 光合成という仕事の成果が落ちた葉は養分の供給を絶たれて枯れる。最後に鮮やかな赤や黄に変色するのは、葉たちの悲しみや恨みや怒りだ。そんな風に感じてしまうのは僕の感性の方に問題があるのかもしれない。

 秋で、久しぶりに降った雨が月曜日を冷たく濡らしていた。

 水が低きに流れるように、僕は大学の学食のいつもの溜まり場に着いたところだった。成瀬はもう来ていて、四人掛けのテーブルに座って、僕を見つけるとニヤリと不気味に笑った。

「何を朝からニヤニヤしてるんだ」
「いいことがあったからだよ」

 成瀬にとって良いこととは、周りの人間にとっては良くないことである場合が多い。こんな風にいうと印象が悪いが、経験則から導き出した答えだ。

「どうせ時間あるだろ、ちょっとこれみてくれよ」

 僕を暇人と決めつけて、成瀬はリュックから何かを取り出した。
 
 薄汚れた人形だった。

 小さめの腹話術人形を模したセルロイド人形だ。5歳くらいの男の子で、大きな瞳に、まつ毛が異常に長く誇張され、口の両脇から顎にかけて線が引かれている。実際に口が開くわけではなく、デザインだ。僕はこの人形には見覚えがあった。

「人形か、あれ、これサークル室にあったやつか」
「そう。ハロウィン飲み会やった時に小道具として形田かたちだが持ってきたやつだ」
「これ形田のだったのか、それでなんで成瀬が持っているんだ」
「供養してほしいと頼まれたんだよ」

 人形の供養を頼まれることのどこが「いいこと」なのだろうか。ツッコミを入れるだけ疲れそうなので、僕は大人しく詳細を聞くことにした。

「供養って、この人形、いわくつきだったのかよ。しかしまだ成瀬にそういう類の依頼をしてくる奴がいるんだな。そんな能力は持ってないだろ」

 成瀬が霊能力なんてもっていないことを僕は確信していたが、他のサークルメンバーはそうではなかった。それどころがしばしば霊視や除霊まがいの依頼をしてくる人間がいる、その度に上手くやってきてしまっているらしく、質が悪い。

「失礼な。もっているさ。この人形はとても危険なんだぞ」

 成瀬は人形を畳んだタオルの上にわざとらしく寝かせて、その危険性についての説明を始めた。

 元々、この人形はサークルメンバーの形田の曾祖父の物だった。見た目より古く、形田が生まれる前から家にあって、戸棚の片隅に置かれ、ガラス越しにいつもリビングを眺めていたという。

 ハロウィンパーティという名のただの飲み会の雰囲気作りのために、形田が持参し、サークル室のロッカーの上に無造作に置かれていた。

 飲み会後もそのまま放置されていたが、最近になって形田が持ち帰ろうとしたところ、人形が明らかに”重くなっていた”というのだ。

「重くなっていた?」
「そうだ、形田から相談を受けたってわけだ」
「ちょっと持たせてくれ」
「いいだろう」

 成瀬は仰々しくタオルを押して人形を僕の前に差し出した。僕は相変らず懐疑的だったので、特に恐れることもなく人形を持ち上げてみた。

 人形のサイズや素材、着ている服を計算に入れてみても異常な重さとは思わなかった。

 それに仮に重くなっていたとしても、それを霊的な現象と決めつけたり、すぐにお祓いに結び付けるのは、極端な気がした。

「そんなに重くないと思うけどな。形田の奴、ビビりすぎじゃないか。他にも何かあるんじゃないのか」
「さすがだね、俺が見込んだだけのことはある」

 成瀬の鼻息が荒くなった。

「話は変わるが、実は大変なことが起きているのだよ」

 そう前置きすると、成瀬は声を潜めて話し出した。

「昨日からサークル棟の水道が使えなくなっているのは知っているな?」
「知ってるよ、点検って張り紙があったな」
「実は点検じゃない。受水槽の中から死体が発見されたんだよ」
「嘘だろ、そんな話、聞いてないぞ」
「当たり前だろ。極秘だよ。大学側は隠ぺいしたいんだよ。水道水を飲んでた奴らが怒るからな」

 成瀬が突拍子もないことを言い出すのはいつものことだが、今回は規模が違った。

「隠蔽って、そんなことできるわけないだろ。通報してないのかよ」
「俺の情報網を舐めるなよ。確かにいつまでも隠し通せないだろうが、事実だ」
「誰が死んだんだ? 学生か? 死因は?」

 僕の質問に成瀬は「そこまでは知らん」と答えた。

 怪しすぎる情報だが、実際にどこかで過去に似たような事件があった。確か飛び降り自殺をした男がスーパーの受水槽の屋根を突き破って死んでいたはずだ。

 僕はシャワールームを使った事はないのだけれど、何度か水道で手を洗っていたことを思い出した。

 死体の浸かった水で手を洗っていたことになる。

 暗い受水槽の中で、ゆっくりと浮遊する正体不明の人間の死体。水死体が時間経過でどのような変化をするのか、詳しくは知らなかったが、想像に難くない。

 誰かが水を使うと、対流が起きて、死体がゆっくりとこちらを向こうとする、その顔は……。

 僕は加速する気味の悪い想像を強制終了した。なぜこんなにもリアルなんだ、実際に見たこともないのに。

「それで、その水死体と重くなる人形がどう関係するんだよ」
「まあ焦るなよ」

 また成瀬に焦らされる。奴は確実に楽しんでいる。

「じゃあ次のヒントだ。人間の魂の重さを知っているか?」

 なぞなそでも出題しているつもりになっているらしい。ならば僕は全問正解していやるのみだ。

「ああ知ってるよ。21gだろ。有名な話だ」
「そうだ。20世紀初頭に、アメリカのダンカン・マクドゥーガル医師が、末期癌の患者たちで計測した。死ぬ前と死後で体重が21gだけ軽くなった。よって魂の重さは21gだってね」

 この実験と発表は有名で、映画化もされていたので知っていた。同じ実験を犬にも施して、体重変化がなかったので、犬には魂はないとも結論付けていた。しかし、当たり前だがこの体重減少にはちゃんと理由があった。

「実際は、死後に体温調節が出来なくなって発汗量が増えて、その汗が計測機から落ちた結果だろ」

 僕は得意気に言ってやった。

「さすが、よく知ってるな。でもさ、形田はそこまで知らなかったんだよ」
「形田にもこの話をしたのか」
「したよ。極秘情報の受水槽の死体の話もね。それと、人形が置かれていたサークル室の丁度真上がその受水槽だって事実もね」

 なるほど。と思った。

 成瀬は形田に、受水槽で死んだ人間の魂が人形に”吸い込まれた”・・・・・・・・と思わせたのか。だから”重く”なったんだと。

「この人形は呪われていて人の魂を吸い取る、そう脅しをかけたのか」
「脅したわけじゃないよ、霊視さ」
「それでこの人形をどうするつもりだ。除霊なんてできないだろ」
「暫くは俺が持ってる。検証したいことがあるんだ」

一体、何を検証するというのか。僕は変な奴だなと改めて思った。



 一週間もしないうちにサークルメンバー内で受水槽の死体の話が蔓延しだした。居酒屋で初めてその話を聞いてその場で嘔吐した女子学生もいた。

 匿名で大学に問い合わせた奴もいたが、回答は得られなかった。悪戯電話の類と思われたのだろう。

 大学が隠ぺいに成功したのか、その後もニュースなどにあがることもなく、いつの間にか受水槽で死んでいた人間は忘れさられていった。

 そんなある日、僕と成瀬は、飽きることもなく、いつものように学食の溜まり場で、四限までの時間を文字通り潰していた。

 大きなガラス越しに中庭が見える。冷たい風がカラフルな落ち葉を巻き上げていた。

 僕はずっと気になっていたことを聞いてみた。

「そういえばさ、あの人形どうした。形田の重くなる人形」
「ああ、あれね。もうないよ」
「ないって、じゃあ供養にだしたのか」
「まさか、そんなことするわけないじゃん。売ったんだよ」

 僕はプラスティックの湯飲みで飲みかけていたお茶を吹き出しそうになった。

「売ったって、なんでだよ」
「ふふーん、あの人形さ、プレミアものなんだよ。戦前に日本の企業が作ったんだ。あんなに保存状態が良いものは中々ないよ。人形供養なんか持っていったら一銭にもならないし、最後には燃やされるんだぞ、人類の芸術的財産をみすみす消失させるわけにはいかないのだ」

「おいおい、ちょっと待てよ。形田は供養してもらってると思ってるんだよな」
「そうだよ。だから言うなよな」
「まさか成瀬、初めからそれが目的で形田に言い寄ったんじゃないだろうな」
「いやいや、それだと順番がおかしいだろ、形田の方から人形が重くなった気がすると言ってきたんだぞ」

 確かにそうだった。そもそも形田が人形が重くなったなどと思わなければこんな話にはなっていなかったはずだ。しかし、何かがおかしい。

「箱の中の蛇だよ」

 成瀬が唐突にわけのわからないことを言った。

「え、箱?」
「そう、俺がサークル室に毒蛇を捕まえたと言って箱を持ってきたとする。そのまま箱だけを置いて部屋を出る、その後、その部屋に出入りする人間は危険な箱があるとういう情報だけを次々に伝達していくことになる。その内に箱への畏怖だけがどんどん大きくなっていく」

「何の話だよ」

「もし、毒蛇なんて初めから入っていなかったとしたら……。実際は何の脅威も効果も持たないただの箱が、周りの人間に大いなる影響を与え続けることになる」

 実際は存在しないものから影響を受ける……。

 僕はハッとした。

「もしかして、成瀬、嘘なのか?」
「やっと気が付いたか、嘘だよ」
「どこからだ?」
「受水槽の死体から。君の言った通り、ただの検査だよ」

 やられた。と思った。ニュースなんかになるはずがない、大学が隠ぺいなんてしているはずがない、やはり初めから死体なんて存在しなかったんだ。

「待て待て、整理させてくれ。どうしてそんな噂を流した」
「結果から考えてみろよ」

 正直、ムカついたが、心を落ち着かせて考えてみる。

 成瀬の目的がプレミア人形だとしたら、魂の重さの話と受水槽の死体を結び付けて形田を騙す必要があった。しかし、そうだとしても疑問が残る。お祓いという名目で人形を手に入れる為には、”人形が重く”・・・・・ならないといけない。

「まさか、人形に”重り”を仕込んだのか……?」

 僕の問に、成瀬は吹き出した。

「そこまではしてないよ。それに重さに気が付かれなかったら意味がないし、その後に話す魂の重さは”たったの21g”だぜ? 気づく方にかけるなんてギャンブルが過ぎるだろ」

 僕は混乱していた。だとしたら、人形が重くなったことに説明がつかない。

「それに、重くなったと思ったのは形田だけだろ、ここは”事実”なんだよ。俺はその話を利用しただけさ」

 ということは、形田に話を持ち掛けられた瞬間に、成瀬はこの作り話を思いついたということになる。受水槽の検査という事実もうまく利用して。

 あっけにとられている僕に成瀬は続ける。

「”たったの21g”なら気が付かないよな」
「え」
「人形の買い手がつくまでさ、試しに毎日、重さを測ってみたんだ、検証だよ」

 僕はその先は聞きたくなかった。

「どんどん重くなっていったよ。魂の数で言ったら20人分・・・・くらいかな」

 笑いながら話す成瀬に、僕もつられて笑ってしまった。どうせまた嘘だろう。

 そうに決まっている。

 何故だか僕の脳裏には、あの日に想像した”存在しない水死体”が、驚くほどのリアリティをもって浮かんでいた。

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