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祝!結婚式レポ!

親友の結婚式に出席した。
結婚式自体参加するのは初めてのことだった。

地元のキャンプ場で行われた式・披露宴は出席者を楽しませることに秀でており、新郎新婦の人柄がよく出ていると思った。

式は屋外で行われた。森の中に切り株の椅子が用意されていて、新郎側新婦側に分かれて座った。大人が切り株に座って静かに定刻を待っている様子はかわいかった。

隣に座っていた人が、着いたばかりの頃は、新郎新婦はせり上がりで出てくると思うと回答していたのに、時間が近づくにつれ、これわかったんだけど、まじで、後ろの方から歩いてくるんじゃないか?と真理に気づいた学者みたいな顔で話していておもしろかった。バージンロードにはカーペットが敷かれていたため、せり上がりの仕掛けがあれに隠れている可能性があるまだわからんぞと思いながらふふふと聞いていた。
新郎は小走りで新婦は車で後ろからやってきた。でも、ふたりはたまたま後ろから来ただけで、あそこにせり上がりの装置がなかった可能性は捨てきれていない。


ないとはいえない


新婦が車から降りてきた瞬間、気づいたら泣いていた。わたしがいちばんびっくりした。泣いているのが恥ずかしくて、最初まともにふたりの顔が見れなかった。
新婦の父から新郎へ。新婦が引き渡される時に新婦父が新郎に耳打ちしている。3月9日だったから『3月9日』歌ってたらおもしろい。
そうして誓いの言葉は、二人の共通の趣味である「アウトドア」にちなんだあいうえお作文により伝えられた。もう病める時も健やかなる時もじゃないんだね。ア ありがとうの気持ちを毎日伝えます。ウ うれしいこともかなしいことも二人で。ト 歳を重ねても... その後の誓いのキス。キスは言葉を封じ込める意味があります、と聞いて、二人の身体の中にアウトドアが閉じ込められ根付くのをじっと見ていた。なんか、見やすいキスだなと思った。友達のキスを見るってもっとキャッとなるものかと思っていた。首の角度や触れ具合だろうか。絵で描かれるような見やすくて美しいキスだった。ウエディングフォトを重ねるうちに習得した技なんだろうか。

式が終わり、リーフシャワーとブーケトスが行われた。
ブーケは絶対落としてはいけないと聞いていたので絶対に落とさないぞとダッシュしたら、実はちょうど小さな女の子に向かって投げられていて、わたしはそれを弾いて床に落としてしまった。その時のみんなの顔よ。若い子の幸せを奪う妖怪やん。そこまでして幸せになりたいんか?はい、すいません...。実際視界に入っておらず花束の導線を辿る中で女の子がいたことを確認した時、恥ずかしくて爆笑してしまった。恥ずかしかったり気まずかったりすると猛烈に笑うことが気を遣わせると一瞬で気づいてスンとした顔で男性のトスを見ていたけど、笑った後スンとしているやつは端から見たら心折れてるだると客観が入り、余計恥ずかしかった。

その後はキャンプ場の方へ戻り、披露宴となった。誓うのを式と呼びご飯を食べるのが披露宴だということもその日初めて知った。


青い空は凛と澄んで、羊雲はなし


富士山の麓なのもあり、気温は思ったより低く、準備されていた三つのストープの前は代わる代わる人でいっぱいになった。料理は、特にお肉が、寒すぎて味が鈍る中でもとてもおいしかった。ということは、正常に味覚が働くシーンで食べたら相当だっただろう。コンセプトに地元の良さを知ってもらうもあったようで、どの料理にも地の食材がふんだんに使われていた。どれもとてもおいしかった。

その後、友人代表のスピーチを読んだ。わたしは京都に行ってからしばらく新婦と連絡を取っておらず、新しい土地でそれぞれ生きているのだから、謙遜とかではなくこのタイミングでの友人代表のスピーチがわたしていいのだろうかと思っていた。友人代表のスピーチは何人かで行われることもあると見て納得していたのだが、行ってみるとわたしだけらしく変に感極まり、冒頭から泣いてしまった。こういうシーンをドラマで見た時に、喋りながら泣くの変だろと思っていた。泣きました。録画していたものを見ると風で声が小さく、大喜利で指摘される改善点と同じミスをしてしまっていた。まったくもって経験が活きない妖怪。鼻水が出すぎている中ずっとカメラが回っていた。途中から諦めて垂らし続けた。いいですよ、むしろ鼻水をアップで撮ってください。それを耳鼻科に提出してわたしの鼻水の質はいいのか教えてください。

大役を終え、この辺から緊張が溶けていった。写真を撮ったり撮られたりした。チーム対抗でモルックもした。0点を叩き出し、悔しかったので片付の前に二度投げさせてもらったら2回目で9点も出せた。四字熟語の由来かと思った。
室内に移動してスイーツビュッフェをたのしみ、両親への言葉、両親からの言葉、締めの言葉に続いた。新郎が締めの時に話した「これからも仲良くしていきたいお世話になるつもりの人たちをご指術させていただいた」というような内容を聞いて、すごく驚いてしまった。
ずっと仲良くしてきてこれからもきっと遠いながらたまに会ったりしていくのだろうとは思っていたのだから、驚く必要はないはずだった。でもとても驚いた。そんな気持ちだったん?誰かに仲良くしていきたいと思われていることに、あまりにも慣れていなかったのかもしれない。


わたしと親友ちゃん(AI ver.)


会の最中、ふたりはずっと笑顔だった。それも顔に皺が出来たり口を大きく開けたりするような笑顔だ。一生に一度の特別な日ということもあると思うが、それでもにこにこし続けることはわたしだったら難しいだろう。ふたりは普段からこうなのだろうと思った。そして、だからこそ人が集まるのだと思った。じぶんが怠っている努力に気づいた。

正直に書くと、結婚式に行く前は行ってじぶんがどんな感情になるのかが心配だった。
わたしは割と仲のいい人の幸せをじぶんのことのように喜べる方だと思う。でも、いま、いま、人の幸せを喜べる度量がいまのわたしにあるんだろうかと不安に思っていた。行って、ウェディングドレス姿を見て涙が出てきた時、全て杞憂だったと知った。

大人になっていくにつれて、わたしはわたしが思っているよりわたしのことが大事ではないと気づくことが増えた。優先されない感情がちゃんとある。

帰路。もらった白い薔薇を見つめながら、当てのない理想の結婚式について考えていた。

大学卒業前後で付き合っていた人と話した時は、結婚式のお金を全部ぶち込んだお笑いライブをしたい!と豪語していた。
でも、いまは、きっといつか普通の結婚式がしたい。結婚式じゃなくてもしたい。手作りでも自宅開催でもなんでもいいから、じぶんの好きな人たちと相手側の好きな人たちを集めて、相手に紹介したり、好きな人同士話しているところを見たりしたい。
わたしはおもしろくなくなってしまったのだろうか。そんなわけない。おもしろいってひとつじゃない。最近は破滅じゃないものも楽しめるようになっている。手作り結婚式で朝までそれ正解したり、⚪︎×クイズで高校生クイズの予選みたいな分かれ方したり、全員で一番大きな声でゲット・アップ・ルーシー歌ったりしたらいいじゃないか。実際やったら文字で見るよりたのしいもんだ。ね。ですってわよ。

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