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日記 ライフイズパーティ!

 
近所のスーパーで茄子が安く売られていて、もう秋かと思った。
椎茸の裏にひき肉と玉ねぎを詰めたやつを食べたいと思ったけど、手間なのでもも肉と茄子を買って片栗粉をまぶして炒めることにした。諸々800円ちょっと。レシートを眺めながら、どっちが手間だったんだろうと考える。
 
家に帰る。鍵を閉めながらただいまって口に出してみる。ひとり暮らしなのに靴が4足出ているし、風呂場にはシャンプーが3種類ある。
手を洗うついでにすぐに化粧を落とす。家に帰ったらとにかく化粧を早く落としたい。お気に入りのクッションに顔をつけてもふもふしたいからだ。幼少期のぬいぐるみや毛布と同じ役割なんだと思う。お酒を飲んだらたばこを吸うのも、おしゃぶりみたいなもんだと思う。

肌を綺麗にしたいとも思っていて、クレンジングを3000円台のものに変えたりピーリング効果のある美容液を買ったり美顔器で蒸気を当てたりしてみてるけど、道のりは遠い。肌に関することはいままでほとんどやってこなかったので、酷使したままになっている。ビタミンCを飲むことくらいしか続けられていない。できれば綺麗な30歳になりたい、勿論中身も伴いながら。中身が伴ってなければどんな格好しててもたのしくないんじゃないかと想像してしまう。
化粧はかわいくなれるので好きだけど、ファンデーションが肌に乗っている時はすこし息が詰まる。化粧水や美容液が肌に乗っている感覚が好きだ。丁寧に栄養を与えている感じがして。その日は特別なことはせず、化粧を落として簡単にそのままキッチンに向かう。
 
乾かしていた洗い物を仕舞う。仕舞うっていっても棚があるわけじゃないので洗面台の下にルールも上下も関係なくがしゃがしゃ置かれているだけのはなしだ。
茄子の皮をピーラーで適当に削いで、乱切りにして塩水につける。ボウルに並々浮かぶ乱茄子の量に恐ろしくなるが、明日も食べたらいい。浸してる間に2枚のもも肉をキッチンばさみで切る。はさみじゃない方の手にはビニル手袋。安いはさみだからなかなか切りづらい上に、キッチンが狭くて作業しづらい。でも、もし2倍のスペースがあったってそこまで真剣に料理を作るわけでもない。わたしが食べるものをわたしが作るだけ。料理が上手な人が、じぶんの好きな味をじぶんで作れるから料理はたのしい、と話していたけれど、じぶんが作るどんな料理よりも人が作ったご飯はおいしい。人の作ったご飯が食べたい。

たぶん椎茸の肉詰めにしとけばもう完成していた。もも肉に半分使って取ってあった市販の唐揚げ粉を薄くまぶす。量がなくて唐揚げにはならなそうだけど、これで味はつくだろう。この世のいろんなことは全部大袈裟なんだよ、とか思う。

家事のスイッチって大きな一個しかないから、料理ができている時は掃除や洗濯ができるけど、料理が終わった瞬間に全ての家事をやる気力がなくなってしまう。だから味がつくまで5分待っている間とかで風呂場の排水溝ネットを替えたりトイレに洗剤を垂らしたりしてしまう。この後食品に関わるのだから薬品とか触らない方がいいんだろうとか思いながらも、平行で進めてしまう。

塩水から取り出した茄子の水分をしっかり拭いて、片栗粉に塗す。油ちょっと多めで焼く。多かったので2回に分けた。ちょっと焦がしたい。最後に生姜のチューブと醤油と砂糖と。うちには砂糖はラカントしかない。キッチンペーパーにあげて油を吸わせる。まだ料理に油使うのに抵抗がある。が、おいしいので気にしたくない。

一回フライパンを洗ってからお肉に入る。同じように焼く。唐揚げの粉は揚げられると思ってるから焼かれて戸惑ったようにべちょべちょになった。粉を水と溶く時に水分が多すぎたらしい。火を入れる時間をのばして水分を飛ばす作戦も失敗して、まあでもこんなもんか。最初からレシピ通りに作っていないので、文句は言えまい。

いただきますって言って食べる。ひとりでいただきますって言ってたらかわいいかなと思ってここにも書く。もう買ってあるのだから、今ある箸を全部捨てて新しく買ってある箸を開ければいいのに、まだ古いのを使ってる。食器は百均のものが減ってきている。いつかじぶんで作ったお皿だけで生活したい。その時は、グラスも作りたい。
茄子と鶏肉を混ぜて盛り付ける。明日の分はもう冷蔵庫にある。おいしい。さすがわたしだ。さっき入れた調味料の味がする。意外性はない。こんな味だろうなって味がする。隠し味を当てたい。

水につけた茄子はちゃんと水を切ってから片栗粉にまぶして揚げ焼くのだと、好きだった人が食べさせてくれた茄子を、そのために作るわけではないけれど、茄子の料理を食べると思い出して、その日食べたものは世界で一番おいしくて、じぶんで作った茄子をつまんでこんな感動ではなかったんだよな、と覗き込む。あの日を追いかけているような気分になってそれでは留まっているみたいで嫌で、背筋を正して全部食べる。もうお腹いっぱいだけど。ほらね、全部食べました。おいしかったですけど。しばらく茄子はいいや。
 
andymoriの大切に箱にしまっていたはずだったのに底が抜けていたみたいな広まり方。独占欲は自信のなさですよって言われましても、わたしはわたしが蔑ろにされなければなんでもいいんです。ほんとに都会を走る猫に名前はいらないのか?とか考える。

人付き合い得意な方では全くないけれど、好きな人を立てて喋るとかその場にいる人全員がわたしがいなくても仲良く回るようにしたいとか、そういう(個人的には)最低限のことが自然にできてしまって、靴を揃えるとか人といる時必要以上に携帯を見ないとかと同じ、育ちの良さなんじゃないかと思う。猫背だし敬語もうまくないけれど、無意識に出ている些細な気配りや礼儀作法がおばあちゃんや母親の努力の賜物って感じがする。三世帯家族で育った有り難みは、二十五を過ぎてから体感するものらしい。

水飲もうと思って冷蔵庫開けたら、なんかまだ茄子いるんですけど…ってなった。

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