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アメリカはやっぱり資本主義の国だった🕶💖🍚🙈🌲🍚

今年度から私はCoop、いわゆる生協に入って、シフトを組んで自分達でご飯を用意する・片付けるという生活をしている。


Coopのご飯は、ご飯は大体、主食・主菜、副菜で、副菜としては主食の横に
ちょいと添える玉ねぎのソテーなんかが出される。その中で、時々、副菜が最後の人の分まで取っておかれることのないまま無くなることがある。理由は皆食べたいだけよそうから。


副菜が残っていなくてがっかりしながら席についたら隣の人の皿に山盛りにのっていた時、もう正直ショックと言うか、「はああああ?あり得ないそれはないでしょ」という気持ちが真っ先に浮かんだ。私は少ししか残っていなかったら、まず列の後ろの人をチラッと見て、最後の人までの人数で割ったくらいの量に調整する。うわあ美味しそうもっと食べたい!という気持ちがあっても、まずは絶対抑える。全員に渡ってから残っていたらおかわりする。そういうもんだと思ってたから皆好き放題やってたことが判明してもうびっくり。


でもそこに怒っていそうな人は全然いない。私引くほど心が狭いんか?とまず思う。でも、1ヶ月彼らを観察していた結果、彼らが心が広いんじゃなくて、解決の方向性が全然違うんだと思った。

彼らは「ああ、もう無いのか、じゃあ作るか」で解決しようとしている。実際自分で作っているし、ディスカッションでは「皆食べれるようにもっと沢山作ろう!」という結論になる。

ここから色々なことが考えられそうだなあと思った。食べ物の問題でも、日本だと元々ある量をいかに上手く分けるか、と考えていて絶対量は変えないまま自分達に努力を求めるけど、アメリカは誰かに我慢してもらうと言う発想がまず無い。やはり個人の自由最優先。災害の時にコンビニで暴動が起こらない!すごい!みたいな話が当然すぎて何に誉めることがあるのかと思ってたけど、いやあこの人たちは「食べたいから。必要だから。」って真顔で言って欲しいだけ取るわ…と思った。

反対に、アメリカの考え方は非常にクリエイティブであり、他責よりも先に「じゃあ自分でやるか」が来るのは清々しい。何か問題があったときに、日本ではヒソヒソ文句を身内で言い合うだけで、我慢して我慢して我慢して皆でジリ貧的な長期的な絶望があるけど、アメリカは悩んでいる暇があったら自分で自分をとっとと救っちゃう。それは明らかに空気の流れの良さと明るさを作ってる。

でも一番思ったのは、やっぱこの国では基本の考え方自体が資本主義なんだなあってこと。皆んなに食べ物が渡らないって状況に私は「いや減らせよ!!!」とキレてるけど、ビジネスチャンスだね!!もっともっと作ろう!!!っていうところに行き着く。

今学期は社会学理論の授業取ってて、ちょうどウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を扱ってた。ざっくり言うと、プロテスタンティズムの予定説(お金を教会に寄付するかで天国に行くが決まるわけではない)、天職(するべき仕事は神が決めるんだよ)、荒行(カトリックみたいにちゃらんぽらんしてないで宗教生活に真剣に励みなさい)という規律が資本主義のラショナリズム(じゃあ自分で財産を私有してもいいね)、自由労働(やりたい仕事をやる&職業労働が人生の中心にして全うすることが神への忠誠だ)、古典的資本主義(高利貸しビジネスなど、損得の上での人間関係を黙々と築く)の基礎になっているという理論なんだけど、それが確かにそうかもなって思った。

というのも、福島にいた時にビジネスの世界で生きている人に会うことがしばしばあって、ビジネスの世界の考え方って学校や日常生活の基本の考え方と全然違うな、そしてちょっときついなと思った。合理的であるか、結論が先であるかどうか、結果にコミットしているかどうかなど、彼らが重視していることは私の普段の考え方と摩擦を起こしていた。でも、そういう世俗的な考え方とビジネスの考え方の間の衝突ってアメリカでは無いように思う。ストレートに資本主義のモットーに行き着く。そりゃ資本主義、栄えるわと思った。


しかし誰も我慢しないようにとにかく絶対量を増やすという人間中心的な発想が環境資源の限界という観点からもう厳しい中、彼らは心の大転換が日本より抜本的に必要で大変そう。でもアメリカは置いといてヨーロッパは日本より環境意識高いからどうやって折り合いつけてるんだろう。色々気になるところ。


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