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文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの

イースター島、マンガヴァ島、そしてアナサジと同じように、マヤでも、環境問題と人口問題が戦争と内乱の増加につながった。イースター島とチャコ峡谷と同じように、マヤにおいても、人口が最大値に達したとたん、政治的かつ社会的な崩壊が起こっている。イースター島の農地が沿岸の低地から最終的に耕地にまで拡張され、ミンブレの農地が氾濫原から丘陵地へ拡張されたのと同様、コパンの居住地も、氾濫原からもっと脆弱な斜面へと広げられ、その結果、丘陵地における農業の発展が衰退へと転じたときには、それまでよりおおぜいの人口を維持するための食糧が必要になっていた。イースター島の首長たちがその時々の最大の石像を立てたあげくプカオを載せたように、また、アナサジの支配者層の人間たちが、トルコ石のビーズを二千個つなげたネックレスで身を飾り立てたように、マヤの王たちも、よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、お互いに負けまいと懸命になった。その姿は、これみよがしに浪費を重ねる現代アメリカのCEO(最高経営責任者)たちを髣髴させる。これらの不穏な類似点の締めくくりとして、イースター島の首長たちも、マヤの王たちも、現実の重大な脅威を前にしながら、なんら能動的な打開策を講じなかったことを挙げておこう。

人間社会と小さな集団は、いくつかの理由で、破滅的な決断を下してしまうことがある。問題の予見に失敗したり、生じた問題の感知に失敗したり、感知した問題を解決する試みに失敗したり、解決の試みを首尾よく成し遂げることに失敗したりする。

しかし、社会が常に問題解決に失敗するわけではないことも、また明らかだ。もし本当に失敗続きだったのなら、わたしたちは今ごろ、みんな死に絶えているか、あるいは一万三千年前の石器時代並みの条件下に戻って暮らしているだろう。

わたしたちは今、接続不能にいたる道を急ぎ足で歩いている。現在の子どもたち、若者たちが生涯を終えるまでのあいだに、世界の環境問題はなんらかの決着を見るだろう。問題は、それが自分たちの選んだ快適な方法による決着か、戦争、大量虐殺、飢餓、疫病、社会の崩壊など、選ばざる不快な方法による決着かということだけだ。これらの苛烈な現象は、人間社会の宿痾のように歴史の中に遍在しているが、その頻度は、環境の劣化、人口増加の圧力、その結果としての貧困や政情不安などの条件下で高くなる。

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