ちいさく確かなこころもち
毎日、都心の奥のひとけのない道をすすんで、ちいさな事務所に出勤する。ほとんどの社員が常駐先や自宅で働いているので、事務所にはわたしを含め3人ぽっちなこともよくある。
本をかく人になりたかった。本をかくって?具体的には?今後の計画は?と聞かれたらぷるぷる震えて家に帰り、ひとりですすり泣いてしまうけれども。それでも本をかきたかった。文章をかくことを仕事にしたいのだった。
うつ病になった。2023年11月のことである。めっちゃ文章が書けなくなった。読めもしない。それまでiPhoneのメモにつけていた日記も気づかぬうちに冬の頃のまま時間が止まっていた。その年の2月以降なにも書いていなかった。心療内科の先生にありとあらゆることを泣きながら伝えたら、就活中のときから適応障害だったのかもしれませんと言われた。そこからひきずっているのかな、と。
たしかに、からだとこころがぼろぼろでも、それまでにきめた面接の予定はぐんぐんと進んでいて、目の焦点も合わせられないまま面接を受けて、手応え云々のことなどかんがえず、泣きながらまっすぐ家に帰るのだった。それからもっとも好きな秋になったというのに、ベッドに横たわってわらうことも泣くこともなく、べつだん楽しみなこともないのに、時間が過ぎることにただ耐えていた。ゴールもないのに時間が過ぎるのを待つのは、ほんとうに狂ってしまう。ごはんを食べる気もおきなくて、何も知らない母が送ってくれた仕送りの食糧をみて、まだ生きなきゃいけないの?と、立ち尽くして涙が止まらないこともあった。お茶碗はんぶんのごはんを、ことことお湯でふやかして、鶏がらスープの素をふんわりかけただけのおかゆを一日2回に分けてたべるのが、せいいっぱいだった。
いま働いている会社は、ぼろぼろだった就活の期間に、私についてのことだけをきいてくれたからここにしようと決めた。はじめて面接で好きな本の話をつくろわずにできた。作業は地味だけれど、ぼちぼちやれている。あたたかな上司がチョコブラウニーをふわっと手渡してくれるような職場が私はすきだった。入社するころには、薬と環境のおかげか、うつも和らいでいた。でもまだ文章は書けないままでいた。
七月に入って、ある本を読んだ。読んだというか、読み直した。小原晩さんの『これが生活なのかしらん』という本である。わたしの中で、持ち歩く本を選ぶ基準に"本のサイズ"というものはない。文庫でも単行本でも、或いは辞書であっても、その日にひつようだと感じたら、気にせずがつがつ持ち歩く。だからその一週間、わたしはこの本を、会社と家と、そのあいだの8号車で、湯呑みのお茶をずずずとすするように大事に読んだ。うつのあいだ、小原さんと星野源さんの本だけはなぜだか読めていて、いまでも読み返すことが多い。きっと今後も、わたしはこのふたりに救われていくのだと思う。
ぱたりと本を閉じて、熱い眼球を、そろえた5本の指であっぱくしながら、「本かきてー」と言った。カレーを食べたあとの皿を洗っていた恋人が、「かいたらいいじゃない」とわらう。できるのかなー。できるできる、食後のアイスは? あ、たべる。できないことはあっても、やれないことはないんじゃない。そっか。ばりぼり、ばりぼり、ぱきっ。
きょうもちいさな事務所に出勤する。気遣いのうえで成り立っている、かぼそいおはようございますがわたしは好きだ。このお城にしずかに身をおきながら、かいてみようと思った。ぐぅぎゅるるるるる、とお腹がなって、ひとり気まずくなる。きょうは何をたべよう。
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