脱線キャリア〜旅と脱臼〜

 脱臼と旅は私の人生に仕事に、深くリンクし脱線キャリアと名付けてみた。

 東京都世田谷区にある東京農業大学の文系・国際食料情報学部国際バイオビジネス学科を卒業。独特な学部名称が多い大学だが、他校でいう国際経営学部である。
 学生時代の部活動は中学のバレーボール、高校はソフトボールで団体球技。昔から食べることやスポーツは好き。ただ栄養過多気味で徐々に体格は太めとなる。高校2年次に健康とプレーのレベルアップ、思春期のお年頃に服も好きでよりよい身の着こなしへ。食事と運動のバランスを改善し、ダイエットに挑戦しそこそこに減量。同時に栄養学に興味を持ち、管理栄養士の職を志そうと視野に入れる。学校を探し始めると、分野的に女子大しかない中で唯一男女共学の東京農大を知る。当時は芋っぽいイメージや大根踊り。正直校名的に唆られる感じではなかった。だが学部や学科を調べるなり、どんどん関心が高まっていく。半年後リバウンドしたことを機に、自身の管理もままならないのに人様の管理など以ての外、と思うようになる。また理系の為、受験も数学や理科の得意としていない科目であり、進路変更し本来の文系に戻す。学科の選択は幅広い視野で学ぼうと「グローバル・経営・食」そんなキーワードが詰まっており、学科の特徴で1/4が留学生の割合も魅力であった。受験は奨学金を利用するのもあり滑り止めは頭になく、偏差値を考慮の上で入りたい2校のみ。思えば高校受験も1校しか受けず崖っぷちな選択をする性格なのだろう。補欠ながら有り難くギリギリに拾われ合格。卒業後の就職は漠然とではあるが、自分が考え携わったものを世に放ち広めたいとメーカー・企画系の仕事をイメージした。
 現役の就職活動は一球入魂とばかりに少数精鋭さながら数社しか受けず、選考が進んだ2社が共に最終面接落ち。1社は関東圏、もう1社は学生時代に夜行バスに乗り、甲子園を見に行った神戸。その後も神戸は私にとって特別な場所であり、後の移住にも繋がっている。仕切り直しの秋の陣ではリーマンショックが重なり、求人が無くなってしまった。業界を広げ、数も多く受けるがどこも選考が進まない。そんな最中、割り切りというか社会人になると休暇の時間は限られるだろうから、今しかできないことをやろう。体力的な挑戦も兼ね、一度は登ってみたい富士山へ登頂。バイト代すべてを注ぎ込み、海外旅行にはたくさん行った。第一弾はただハワイに行くだけじゃつまらないなと、友人を巻き込みホノルルマラソンにエントリー。完走よりも完歩寄りの9時間15分もかかったがなんとかゴール。その後はヨーロッパ、アジアと第5弾くらい行っただろうか。全て別の友人と共にしたが、それぞれが思い出深い。旅の記録は写真だけではなく当時の情景が浮かび、今を生きる道のりに繋がっている。既卒で卒業となってしまったが、トータルでは貴重な時間と経験をし、かけがえのない大学生活であった。卒業後、大学生時代からのアルバイトを続けながら社会人の友人を横目に、世間体やとにかく社会に出なければと焦りが生じていた。同時にバセドウ病を発症しつつ(後に2年間の投薬治療で完治。以後経過観察で根治はなかなかしないようだが再発なし)求人を探す。まずやってみようの挑戦と未知の金融業界にて、晴れて正社員に。生命保険会社の営業は世の中のお金の仕組みや流れに日々学びと、モノではなくサービスを販売する難しさ。法人営業や個人への飛び込み営業、プラン変更などノルマに追われながら度胸も少しは備わってきた。だが長くは続かず、約1年間の勤務となった。その後、なぜこのタイミングでと言わんばかりに計4回の脱臼が起こる。

・初回仕事中
 2011年9月、神奈川県のとあるカフェオープニングスタッフで社員登用採用となり、毎日朝から晩まで勤務していた。連日5時起き、終わるのは22時あたりだったが、忙しさより夢中とも言える状態であった。準備から無事にオープンも迎えより濃密な日々となっていく。勤務し2ヶ月程経ったあたりのとある朝。キッチンでオーブンの取っ手を掴み、開けようとした瞬間。当時の浅田真央選手ばりにとは喩えも過言過ぎるが、華麗ではないスパイラルスピンをしたのである。過労と寝不足と前日の床清掃が少しあまかったのか、原因はわからない。取っ手は掴んだままの為、左肩が1回転を越え365度くらいにグリグリ、バキバキっと。私は派手に左肩を脱臼した。今まで怪我という大怪我はした事がなく、痛みと半ばパニック状態だがその場に居た他のスタッフとの連携で、店近くの接骨院へ。外してから30分程で肩ははまり、事なきを得た。1ヶ月間はギブスの固定が必要で、仕事の現場からは外れる事となる。何かできる事をやりたいがオープニングでとにかく毎日バタバタとしており、現場以外のポジションはなかった。休日もなくずっと働き詰めであったが怪我で休むとは思いも寄らず。だがこの休みで今と今後を考えた。正直ずっとこの仕事を続けるのは難しいと思い、2週間後に顔出しへ伺った際、現実的ではないと見返した。事務職など長く続けられる、身体の危険度も少ない仕事の方がいいのではとあれこれ考え出した。当時金融機関退職後のフリーターから、ようやくやりたい仕事やポジションを得て邁進しようとする中、ショックであったし他の方にも大変申し訳ない気持ちであった。並行して初めてのギブス生活は、左腕や肩は使えないだけでも、日常生活に影響を及ぼすことを体感する。一時的で大したことはないのだが何しよう、どうしよう、また就職活動も大変だなと。大袈裟だが無気力傾向にもなる。事情を知る友人は仕事後の夜遅く、都内から会いに来てくれて状況を把握し「まずは下は向かないで、上を向こうよ。笑っている顔がいい」と落ち込む私を励ましてくれた。その言葉も「笑顔・笑い」の大切さに深く刺さり続けている。また実家に居た為、母に生活のサポートをしてもらっていた。母の仕事は介護職員。子育てと共にいくつか仕事をしていたが、この時介護職員を始めてから幾年か経過していた。普段仕事の話をしなかったが、毎日の会話で私も聞くようになっていた。求人を見ていると福祉は多くあり、未経験可。私の経歴で正社員となると、希望の業界も募集要項に当てはまらず、もはや全然ないに等しい。大変失礼であるが福祉の仕事は敬遠していた。3K労働や人手不足の慢性化などイメージが先行していた、だが仕事がない。でも母は楽しそうに通勤していた、もちろん大変な時もありそうだがいい表情をしている。もやもやする娘を見かねたのか、「一度見てみたら」と勧めてくれた。確かに一度この目で現場を様子を見てみないと何も始まらない、何事も。
 母の元上司が同業界で転職し他法人で勤務しており、連絡を取り施設へ見学に伺う事となった。親戚等で利用している人がいなかったので、初めて訪れた場所であった。年齢も若年から高齢まで、様々なバックグラウンドを持つ方がいらっしゃる。正直あまり知らない、踏み入れていない世界であったと視野の狭さを感じつつ、今まで障がいをお持ちの方との交流が少なかったと振り返る。こちらは介護事業所の他に知的障がい事業所も運営している。併せて見学させて頂いた。知的障がい事業所は利用者の方が若く、養護学校卒業後の方々が多かった。この時、この出会いが私に刺激を与えた。職員の募集をしており、介護はハードルが高く感じたが、知的障がい事業の職はやってみようかと意欲が沸いた。毎日暗い表情をしていただろう私にとっては、純粋な笑顔に惹かれパワーが出た。また就労支援事業もあった。その様子を見て利用者と共に、かつて志したモノづくりで何か世に放つ。フィールドは違えど、できることは同じではないか、そんな発想の転換もする事ができたのもきっかけとなる。こうして脱臼から身体は回復し、もやもやな気持ちを抜け出す。後に最初の職場は通勤や勤務形態が合わない点もあり1年で退職したが、その後同業で転職し、社会福祉法人には9年勤める事となる。

・2回目バスケットボール応援中
 2015年10月、その日は昼間に地元親友の結婚式が都内で執り行われ出席。最寄駅から近い式場であったにも関わらず、方向音痴が炸裂し時間ぎりぎりの到着となってしまった。バタバタのまま介添人もさせて頂き、喜びと幸せに溢れた日であった。またほんのりと父の退職と母の誕生日祝いを兼ね、式場内のレストランに招いた。友人はよく実家に遊びに来ていたので、式のお見送り後あたりに鉢合わせを目論んだ。この式場は叔父(母の弟)も式を挙げた場所であったので、両親も思い出と共に重なったこの吉日を楽しめたようだ。2次会は無かったので、夜は大学親友とプロバスケットボールの開幕を初観戦に。フォーマルからカジュアルな服装に着替え、会場へと向かった。開幕戦ということで、試合開始前にハリセンにもできる万能旗が配布された。チアガールも登場し、会場のムードも盛り上がり、いざ試合開始。互角の試合で点差もほとんどないまま進行し、最終クオーターを迎える。再びチアガールも現れ、一気に会場のボルテージも上がっていた。私も応援に熱が入り、チアガールの真似と言わんばかりに激しく上下や左右にハリセンを振っていた。ラスト10秒、1ゴール決めれば同点にさらに激しくハリセンを振りかざす。すると試合終了5秒前左肩に衝撃が……、外れたとです。激痛が走る中、まさにブザービートの同点ゴール!その瞬間、連れの友人に「かっ肩が外れた。いっ痛い。久々にやってしまった。これは自分じゃはめれないレベル」以前ヨガのレッスン中に外したが、少し身体を動かし、もがけば自分ではめる事ができる。軽いズレとでもいうべきか。今回は明らかに大きくズレ、ガコッと外れた感じ。何より初回時を彷彿とさせるような痛みが凄い。私が以前脱臼したことを知っている友人は、驚きと私の痛がる姿にあたふたしつつ会場の係員を呼び、事情を伝える。「(プロの試合だったのでトレーナーの方など)もしこの会場に肩はめれる方います?」と伺う。脱臼は肩がはまれば、定位置に戻れば痛みが引き、どうってことはないのだが外れている時がとにかく痛い。係員が戻ってこられ「いるようですが試合が延長戦に入ってしまった為、あいにく動けないようです」土曜日夜だったこともあり、救急車を呼んで頂く事となった。係員と救急隊員の会話が電話越しに聞こえ「えっ選手ではなく、お客さん?」そりゃそうだ。なんで? どうして? そりゃそうである。救急車が到着し車椅子に乗り、係員から「懲りずにまた来てください」と見送られ、友人と救急隊員と共に初救急車へ。救急隊員に一部始終を話しながら「わかるよ、今痛いよね。自分も脱臼癖あるから。すぐはめてあげたいんだけど、自分のしかできなくて」と、そんな会話に少々ほぐれながら病院に到着。初回の接骨院と異なり整形外科の為、処置が違う。まずレントゲンを撮り、状態や関節の位置を確認。見事にポッコリ外れている。治療台にて横になり、医師に腕を持たれゆっくりと上げていく。所定だろうかある位置まで上げ、ポコッと関節がはまり痛みが引いた。初回は外して短時間であったが、肩をはめる時が一番痛い。今回は逆のようにレントゲン検査など時間は要するが、はめる時は痛くない。どっちもどっちな感じではあるが、とにかくはまれば痛みが引くと共に、安心感でホッとする。治療を終え、ロビーで待つ友人の元へ。本当に有り難く助かりつつ、友人も外れていた時の私の姿が壮絶だったようで、思い返しながら共に笑いが止まらない。奇しくもハレの日に再脱臼、とても濃く長い1日であった。普段あまりやらない動き、旗の振り過ぎには注意である。

・3回目カナダ・トロントCNタワー内にて 
 2017年6月、キューバ・カナダ旅を共に過ごす友人とランチへ。トロントのシンボル、CNタワーの上部にあるレストラン。360度回転するパノラマの景色と食事を、1時間程堪能する事ができる。店全体がリング状になっており、柱を中心にゆっくりと回転していく。眺めは刻一刻と変わっていき高みの見物というか、上空361mからの眺めは高くて圧巻だ。少しドレスコードをし、友人も1年間のワーキングホリデーのクライマックスでもあったので、お互いに気分も盛り上がっていた。食事を終えエレベーター乗り場へ向かう螺旋階段を下る際、事件は起きた。階段途中の踊り場でポーズを決め撮影後、階段3歩目あたりであっただろうか、足を滑らせた。落ちるまいと左手で階段手すりを掴み、勢いと捻ってしまったようで3度目の左肩脱臼。足元はローヒールのサンダルを履いていた。デザインが気に入り、旅行に向け新調した一足。まだ2回程しか履いておらず、レストランなどで履き替える為、持参していた。昔から遠足は履き慣れた靴で、と言い伝えのようにあったがまさかここでこうなるとは。友人は「えっどうしたの」と単なる転倒ではない私の姿に驚きつつ、タワー内のスタッフと共に駆け寄った。「かっ肩が……外れた」海外ということもあり、私自身も1、2回目よりもあわてふためいていた。ここはカナダ、会話は英語。英単語と友人に日本語で肩が外れたことを必死に伝える。英語が堪能な友人のおかげでスタッフにも事情が伝わり、救急車を呼んで頂くことに。タワーでの優雅なランチから一変、救急車が到着し担架で運ばれ病院へ。到着するとここからが長かった。今回も整形外科で診察室へ通されるも、医師は一仕事を終えた後だったか。のんびりとコーヒーを飲んでらしたり、私以外の方も随分と待っている雰囲気。ここはカナダ、医療も異なる。レントゲン撮影もゆっくり。途中麻酔を打たれたが眠気より痛みが上回る。はめる時の体勢は横にならず椅子に座ったまま、2回目同様に手を徐々に上げていき、ポコッとはまった。外してから3時間は経過していただろうか、会計に10万円を支払い(帰国後に保険適用で請求)友人と合流した。本帰国が近く予定があっただろう友人には大変申し訳なく、助けに至れり尽くせりであった。キューバ前半のバラデロというカリビアンブルーが美しいビーチで私が半日程食あたりにかかり、友人も少し体調を崩した。キューバで最終日に現地の方から少しではあるが、ぼったくりを受けており、(宿で出会い共に行動した日本人の交渉もあり、2時間程で事なきを得る)「この旅は色々と付いてくるね、驚いたわ」と連続の出来事に苦笑い。持っていた普段用の靴に履き替え、再びトロントの街を巡った。何かを掴んでいた点は初回と同じ、滑りと捻りにはご用心。
 帰国後、保険の申請と共にサンダルをメルカリで売った。人気モデルで状態もよく即売、何か怨念のようになっても嫌であり、本来なかなかない怪我である。快く次の方に愛着いただけるよう、もちろん備考に”滑りやすい”と記載。安全に着用されていることを願う。

・4回目タイ・カオサンロード付近乗船場にて
 2019年4月、タイの旧正月ソンクラーンに訪れた。最終日のバンコク。飛行機搭乗7時間前、カオスなカオサン通りからは空港へ向かうのに相当な時間を要すると見込む。雰囲気は楽しみ早々と退散。最終便の船に乗る為、足早に下り坂を進んでいたらスリップ。尻もちをつくまいと体勢を整えようとする中、バランスを崩し左肩をグキッと。まっまたか、まさか!今回は歩きやすく、水陸両用の滑らないサンダルを新調していた。基本履き慣れた歩きやすいスニーカーとサンダルを着用しているが、今回ソンクラーンは無礼講水かけ祭りとの呼ばれ通り、とにかく濡れる。4日間ほどの弾丸バックパック旅であり一足で十分と、調べ購入したものであった。5回程履き、履き心地がよかったので万全のはずが……。とりあえず船へ乗り込んだものの、10分後くらいには痛みが増し増しに。船員に話すが理解してもらえない。現地の方はほぼタイ語な事も多い。「Shoulder(肩)、Broken(壊れた)」とでも叫んでいただろうか。隣席の中国人がタイ語と英語を話せる方で、なんとなく理解して下さった。次の停車場が運良く病院が近いとのこと。その方が一緒に途中下船し、私を病院まで送り届けてくれることに、謝謝。感謝に尽きる中、船着場から病院へと移動のトゥクトゥクに揺られる。少しの揺れでも激痛が走るため、ゆっくりめのスピードをお願いし、三輪車とまではいかないが、かなりノロノロと低速であったと思う。約10分間の道中で、これまでの脱臼4部作が頭の中で走馬灯のようにかけ巡った。すべらない話ではなく、すべりまくりの話。病院へ到着し、今回も整形外科。レントゲンを撮り、麻酔を打たれたら即寝してしまったようだ。おそらく寝ている間に施術され覚醒した時に、はまり具合と痛みも引いており、肩の位置的に大丈夫そうであった。外してから1時間半程、病院がなかったらタイ式マッサージに飛び込もうかとも思ったが(自分ではどうにもできないのでプランB的な)助かった。そのまま空港へ、深夜便であったので朝日本に到着。念の為に病院で診察し、肩がはまっていることを確認でき一安心。ちなみに肩を外してから、はまるまでタイは1時間半3500円。2年前のカナダは3時間10万円。運、タイミングもあるが、比べるとso fast,高コスパのタイ。ただ処方された鎮痛剤。日本の医師に見せると生理痛の薬とのこと。痛み止めには変わりないが、なんとなく口にせずよかっタイ。たかが脱臼、されど脱臼。羽目は外さず肩外す。この通算4度目を機に長年の外し癖と今後の生活を踏まえ、再び外さないように手術を決断する。2019年6月無事手術をし、その後のリハビリも終え今日までは外さず生活している。再整復手術なので、外す前の言わば生まれた時の状態。外し癖はなくなったが、また違う原因で外すこともあるようで、気をつけていきたい。

 旅と脱臼が絡みながらも、保険会社勤務では相互扶助の精神を学び。飲食業でのホスピタリティと勤務中に左肩脱臼の怪我。1ヶ月程初めてのギブス生活は福祉業界にも繋がっていたのだ。農大卒の農業ではない畑違いの仕事は、異なる業種の思わぬ点と点が結ばれ線となった。
 また3回目のカナダの前に訪れたキューバ・ハバナの日本人宿にて世界2周目中の元教師である、日本人の猛者と出会う。訪れた200カ国ほどの話を聞き、未知なる世界を教えて頂く。福祉の仕事を始めてから一人暮らしにゲストハウス住民へ、ニッチな暮らし方と住む場所は変わっていった。一人旅にも目覚め、国内外の出会いや価値観の共有、文化の違いをリアルで体感する楽しみにもはまる。嗚呼まだ出会っていない人、水陸空、衣食住、世界遺産など旅は学び。利用者の方の突然の死にも触れ、人生一度きりがより深くモットーとなっていた。この出会いがさらなる旅欲に火を灯した。私もいつか世界中の笑顔や絶景に会いに行きたい、存分に旅がしたい。いつかではなく、なるべく早く。スポーツ好きは4年に1度の祭典、オリンピックにも照準を合わせ東京五輪後の2020年12月末。旅に出ようと世界一周を目論む。
 その後コロナウイルス蔓延により、思い描いていた航路とは変更しつつも、2021年4月から2年間国内外を旅した。若い頃は周りを気にしない、比べないっていうほど心身は切り替え下手である。うまくいかない、思うようにいかないことも多かった。マイペースでありたいながらも、仕事をしていない時はブランクと感じていた。だがこの旅はブレイクとなった。旅で動き、立ち止まる機会があったからこそ、また新たな目標も見つかった。これがやりたいと断言できることまではまだわからないが、もっと笑顔が溢れる世の中にしたいとシンプルな想いはある。2023年現在、旅を経て身につけたいスキルとしてwebデザインを学んでいる。世界のどこからでも五感をフルに、伝え方や表現の幅を増やしたい。笑顔を笑いを増しましに、人生を面白がろう。


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